最三小決、吸収分割を理由に違約金債務を負わないとの当該賃借人の主張が
信義則に反するとされた事例
岩田合同法律事務所
弁護士 大 櫛 健 一
平成29年12月19日、最高裁は、賃借人が契約当事者を実質的に変更したときは、賃貸人は賃借人に対して契約を解除した上で違約金を請求することができる旨(以下「本件違約金条項」という。)が規定された建物賃貸借契約において、賃借人が吸収分割により契約上の地位を承継させた場合には、同吸収分割を理由に違約金債務を負わないとの賃借人の主張が信義則に反するとの判断(保全事件に係る決定)を下した。事案の概要については下図を参照されたい。
本決定は、直接には本件違約金条項の解釈を示した事例判断ではあるものの、かかる本件違約金条項が設けられる実務上の背景として、民法における賃借権の譲渡禁止の原則(民法612条)とM&A取引における賃借人の実質的な変更との関係等が念頭にあると考えられるため、まずは、この点について説明する。
民法上、賃借人は、賃貸人の承諾を得なければ、賃借権の譲渡を行うことができない(民法612条1項)。そして、賃借人が、賃貸人の承諾を得ずに、第三者に賃借物の使用又は収益をさせたときは、賃貸人は賃貸借契約を解除できる(同条2項)。ここにいう「賃借権の譲渡」に、指名債権の譲渡(民法466条)や事業譲渡(会社法467条)などが含まれることに実務上争いはないと思われる。他方で、しばしば実務において問題とされるのは、M&A取引における①賃借人の資本関係(株主等)の変動、②合併(会社法748条以下)や③会社分割(会社法757条以下)による賃借権の移転等によって生じる賃借人の実質的な変更が、「賃借権の譲渡」に該当するか否かである。
これらのうち、①賃借人の資本関係(株主等)の変動に伴って賃借人の実質的な変更があった場合については、「賃借権の譲渡」には該当しないと解されており(最判平成8年10月14日民集50巻9号2431頁参照)、また、②合併による賃借権の移転についても、賃借人が存続会社となる場合はもちろん、消滅会社となる場合であっても、残存する存続会社が賃借人の人格の同一性を維持しているため、「賃借権の譲渡」には該当しないと解するのが一般的である(東京高判昭和43年4月16日高民21巻4号321頁参照)。
他方で、③会社分割による賃借権の移転は、合併と異なって必ずしも賃借人の人格の同一性が維持されるとは言い難いため、「賃借権の譲渡」に該当するとの解釈が実務上は有力であると考えられるが、明確な先例が存在するわけではない。
こうした賃借人の実質的な変更によって賃貸人が予期せぬ不利益を被ることを防止するために、企業間の不動産賃貸借契約実務においては、しばしば本件違約金条項に類似した違約ないし解約条項が設けられる。本決定においても、本件違約金条項が設けられた趣旨として、賃貸人及び賃借人においては、本件の建物が老人ホーム用に建築されており転用が困難であることや20年間の賃貸借期間は賃貸人が支出した建物建築資金を賃料によって回収する趣旨であることが合意されており、賃借人の実質的な変更による賃貸人の不利益を回避することが意図されていたと認定されている。
本決定は、吸収分割会社である賃借人から吸収分割承継会社である新賃借人への賃貸借借契約に係る権利義務関係の承継は認めつつも、本件違約金条項に関し、当事者間で合意された趣旨を踏まえ、賃借人による吸収分割を理由とする違約金債務を負わない旨の主張が信義則に反するとの判断を下した。
以上のとおり、本決定は、不動産賃貸借契約実務上、類似条項がしばしば設けられる本件違約金条項の効果に関し、吸収分割が行われたケースについて最高裁が一定の判断を示したものとして、M&A取引実務及び不動産賃貸借取引実務において参考になるものと思われる。
なお、本件における違約金額は、解除時点(平成28年12月9日)から建物引渡しの15年後(平成39年10月)まで約11年近い長期にわたる賃料相当額となる。建物賃貸借取引においては、賃借人に対し中途解約時の違約金として長期間の賃料相当額の支払義務を課した場合、賃貸人による賃料の二重取りは適当でないなどの観点から公序良俗違反(民法90条)を理由として当該違約金の一部を無効とする下級審裁判例(東京地判平成8年8月22日判タ933号155頁等)も散見される。本決定は上記違約金額の有効性を取り上げていないものの、少なくとも本件の保全手続は上記違約金額が有効であることを前提に進められていることにも注視すべきであろう。
以 上