◇SH1740◇インタビュー:法学徒の歩み(2) 伊藤 眞(2018/04/03)

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インタビュー:法学徒の歩み(2)

東京大学名誉教授

伊 藤   眞

西田法律事務所・西田法務研究所代表

弁護士 西 田   章

 

 

 前回(第1回)は、伊藤眞教授から、学生時代に遡って、「消去法」で法学部に進学された経緯や、学部生時代は決して優等生ではなかったこと(大教室の二階席から講義を見下ろすだけの消極的な学生だったこと)などをお伺いしました。

 今回(第2回)は、伊藤教授から、司法試験の苦手科目をどのように勉強したかに始まり、研究者としてのスタートを切ってからも、迷いも抱きつつ、留学先として、当時、民事手続法の研究においてはまだ一般的ではなかったアメリカを選択した経緯などを語っていただきます。

 

(問)
 次に、司法試験の勉強法をお伺いしたいと思います。どのような基本書を使っていたのですか。

  1.    民法では、我妻榮先生のダットサン民法(一粒社)を使いました。基本書選びで一番困ったのは、刑法でした。私は、学部の授業は、刑法も刑事訴訟法も、平野龍一先生の講義を受けて、平野先生の教科書は持っていたのですが、こちらの理解力不足のため、いくら読んでも全然わかりませんでした。そして、困り果てていたところに、検察官出身の植松正先生の『刑法教室』(大蔵省印刷局)に巡り合うことができて、これを読んで初めて「あぁ、こういうことか!」と理解することができました。今は、初学者向けのわかりやすい本もたくさん出版されているかもしれませんが、当時の私は刑法教室で救われました。植松先生は、もうお亡くなりになられましたが、一橋大学の名誉教授でいらしたころ、私が一橋に赴任して、懇親会などで謦咳に接し、その折りの御礼を申し上げることができ、うれしかったです。
     

(問)
 平野龍一先生は、講義だけでなく、期末試験も難しかったのですか。

  1.    平野先生は優れた研究者として定評のある方ですが、ご講義は、私ぐらいの学生には難解すぎました。ただ、講義で「ぜひこれをわかってもらいたい」という部分では、特に力を入れて熱弁を振るわれたので、試験対策は、声を高くしてご説明された箇所にヤマを張れば、当たりました(笑)。
     

(問)
 司法試験の民事訴訟法は三ヶ月教授の本で勉強されたのですか。

  1.    そうですね。主たる教科書は、三ヶ月先生の『民事訴訟法』(有斐閣・法律学全集)でした。三ヶ月先生のご著書は、読めば感銘を受けるのですが、司法試験向きかというと、そうではなかったように思います。口述試験の主査は、伊東乾先生(元 慶應大学教授)、副査は、村松俊夫先生(元 東京高裁判事)だったように記憶しますが、かなり厳しい御質問を受けた覚えがあります。もっとも、それは、私の勉強不足のゆえであり、三ケ月先生の教科書のせいではなかったのでしょうが。
  2.    当時から、兼子一先生の『新修民事訴訟法体系』(酒井書店)は、広く読まれている権威ある体系書ですが、これは、私程度の水準の学生が読んでも全然面白くありませんでした(笑)。
     

(問)
 実体法の科目、例えば、商法の授業で興味を惹かれるものはありましたか。

  1.    商法は何人かの先生の授業を受けましたが、一番、感銘を受けたのは、竹内昭夫先生の授業でした。当時の私がどこまで正しく理解できていたかはわかりませんが、竹内先生の授業は、企業、商取引、消費者といった経済活動の内容や主体のあり方の本質に迫るお話で、とても魅力的だった、という覚えがあります。
     

(問)
 当時は、「実体法の地位が高くて、手続法の地位が低い」という見方はなかったのですか。

  1.    そういう風潮はあったかもしれません。加藤一郎先生は、当時の民法学のリーダーのお一人でしたが、三ヶ月先生は「加藤くんは手続法を研究する意義を理解していない」というようなことも仰っていました。民法、商法といった実体法が主で、手続法は従たる地位にある、という認識があったのかもしれません。
  2.    一方、刑事法の分野では、平野龍一先生の世代までは、刑法と刑事訴訟法の両方とも守備範囲として授業も担当されていましたから、あまりそういう意識はなかったのかもしれませんね。
     

(問)
 専門法分野の選択を後悔したことはないのですか。「実体法を選んでおけばよかった」とか。

  1.    そういう後悔はありません。というのも、研究対象に法分野の縛りはないからです。私の主たる研究領域は民事手続法ですが、論文のテーマに何を選ぶかは自由です。あとは、掲載していただける媒体があれば、批判と評価を受けることもできます。例えば、民事手続法にまったく関係ないテーマで、「テレビ広告に対する法規制」という論文(ジュリスト784号〜785号(1983年))を書いたこともあります。
  2.    これほど離れたテーマでなくとも、民事手続法には、民法、会社法、商取引法と関連するテーマはいくらでもありますし、破産犯罪を取り上げれば、刑法にも関連します。研究対象に制約を感じたことはありません。中身さえ良いものを書けば、研究対象の制約はないというのが私の信念です。もちろん、そのためには研究の蓄積が必要ですが。
     

(問)
 研究者ではなく、法律実務家、例えば、裁判官になることはまったく考えなかったのですか。

  1.    それはありました。一橋大学にいた頃、40才代に、「裁判官の仕事をすること」を真剣に考えたことがあります。ただ、東京大学に異動する話も受けて、実現にはいたりませんでしたが。
     

(問)
 そうなのですね。それでは、弁護士をやってみたいと考えたことはないですか。

  1.    ある程度の年齢になってからは、弁護士はありませんね、大変そうだから(笑)。弁護士業務に加えて、事務所経営までしなければならないとなると、自分の気力、体力では出来る自信がありません。
     

(問)
 実務家からは、伊藤説に対して「実務に対する理解が深い」という評価がありますが、ご自身でも「実務」を意識している部分もあるのですか。

  1.    実務との関係は常に意識しています。実務を離れた理論はありえないと思っています。実際に影響を与えられるかどうかさておき、「実務に影響を与えてやろう」という気持ちがないままに論文を書くことはありません。
  2.    実務で問題として意識されているところを検討する。場合によっては、実務では問題として意識されていないところを敢えて理論の側から取り上げる。実務を変えよう。そういう指向性がなければ、法律学の意味は失われると思います。
     

(問)
 旧訴訟物理論を採用しているのも、実務と整合させる視点があったのですか。

  1.    実体法との関係とか、訴訟法上の規律の合理的解釈とかを考えると、旧訴訟物理論を採るべきだと考えています。そして、旧訴訟物理論に立脚した訴訟運営に、特に支障がない中で、敢えて、基礎的枠組みを切り替えて、新訴訟物理論を採用する必要はないと思います。
  2.    新訴訟物理論を支持される研究者がいらっしゃることは理解できますが、「現在ではどちらの説を採っても差異はなくなっている」という説明で終わっているのは不可解で、基本的枠組みとして、いずれをとるのかはハッキリさせなければいけないと思います。
     

(問)
 研究者としての使命感は、助手時代から一貫してお持ちなのですか。

  1.    いえ、そんなことはまったくありません。若い頃は、「法解釈学にどういう意味があるか?」がわかりませんでした。裁判官は、具体的事件が目の前にあります。その妥当な解決のために、どうやって法を解釈すればいいかを考えます。弁護士の場合には、依頼者の利益を守るためにどういう論理構成をすればいいか、どういう事実を発見すればいいか、という原点がはっきりしています。
  2.    それに対して、具体的事件とも、依頼者の利益とも離れて、抽象的に「この法規の解釈はこれが正しい」と、どうしてそういうことが言えるのかは、わかりませんでした。来栖三郎先生が法解釈論争で問題提起されたとおり、私も、法解釈の客観性には懐疑的でした。
     

(問)
 助手時代には、まだ、研究者の仕事に迷いがあったのですか。

  1.    東京大学の助手の任期は、3年が期限です。この間に助手論文を書いて、どこかの大学にポストを見つけていただくことになります。私は、その3年間では、まだ自信が持てませんでした。
  2.    実は、私の助手論文(「不動産競売における消除主義・引受主義の課題」(法協88巻4号(1971年)、89巻9号(1972年)、90巻3号(1973年))は、未完です。公刊されているのは、歴史研究部分だけで、日本法の解釈や立法への提言が含まれていません。当時、民事執行法の立法作業が行われていましたが、それに対する自分の決断ができませんでした。
     

(問)
 研究者として生きていく覚悟ができたのはいつ頃なのですか。

  1.    「客観的な法解釈」とか、「正しい立法のあり方」というものがあるのか。今は、「迷っても仕方ないから迷わない」ことにしているだけで、自分の中でも解決しているわけではありません。ただ、法の実現すべき価値にある程度の普遍性を見出せたのは、2年間、アメリカに留学したことが関係しているかもしれません。
     

(問)
 アメリカ留学なされたのは、丁度、連邦倒産法が大改正された時期ですよね。留学先の選択に迷いはなかったのでしょうか。

  1.    実は、留学先選択も随分と迷いました。日本の民事訴訟法の母法はドイツ法なので、伝統的には、民事訴訟法学者にはドイツに留学される方が多かったです。
  2.    その中で「何かあたらしい視点、発想を学び取りたい」という意識があったので、私はアメリカを選択しました。
     

(問)
 でも、あたらしい選択にはリスクも伴いますよね。

  1.    当時、民事訴訟法の研究者で、アメリカに留学するのは少数派でしたから、リスクはあったかもしれません。ドイツに留学して勉強すれば、母法であるドイツ法の学説や判例は、そのまま日本法の解釈にも役立つので、業績としての評価につながりやすいという側面はありました。
  2.    それに対して、アメリカ法の場合は、「アメリカでそういう議論がある」というだけで終わってしまったら、日本の民事手続法の解釈や立法の参考にもならないで終わる、という怖さはありました。

(続く)

 

 
 
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