ベトナム:税務・税関監査に絡む贈賄容疑事件(2)
長島・大野・常松法律事務所
弁護士 澤 山 啓 伍
2. 本件での問題点と対応策
当職がこれまで関与したり見聞きしているベトナムの状況からすると、残念ながら、本件は、いずれも、その交付された現金の金額を含め、驚くものではなく、むしろ氷山の一角、あるいはベトナムで直面する典型的事例であるように思われる。ここでは、以下の3点についてコメントしたい。
(1)事前準備と反論の重要性
ベトナムでの税関・税務の監査の際には、当初監査チームから極端に恣意的な法令解釈や事実認定に基づいた過大な追徴額の提示が行われることが少なくない。これに対しては、日頃から法律、会計・税務の専門家の助言を得て、指摘を受けるような処理はしないようにしておくとともに、監査が入って指摘を受けた場合でも、その法的根拠・事実認定の適否について慎重に検討して、必要があれば正面から論理的に反論することが必要であろう。また、法的根拠の確認や事実の精査には時間を要することも多々あるところ、往々にして監査チームはごく短期間の回答期限を切って性急な回答を迫ってくることがあるが、このような性急な現金交付要請には応じず、反論を慎重に組み立てることが必要である。
実際、本件の2019年の事案でも、現地法人がコンサルティングを依頼していた大手グローバル会計事務所の税務セクションに照会したところ、現金交付前の初期段階では、一般論として監査チームの指摘は法的根拠を完全に欠くものではないとの見解が示されたものの(本報告書21頁)、その後さらに検討を進めた結果、投資拡張分について、初期投資資本に対する税優遇を継続して適用している税務局の認定事例を探し当て、これに基づき税務局職員に相談したところ、追加投資分について初期の税優遇が適用できることになり、追徴税額が更に減額され、最終的な追徴税額等の合計は約262万円となった(本報告書25頁)。結果論として、こうした正当な交渉が現金交付後に行われたことは残念なことであるが、現金交付が8月31日、第2調査報告書において減額された追徴課税額が通知されたのが9月6日、その後上記専門家による相談が行われ、さらに減額された最終調査報告書が通知されたのが9月10日であったという時系列から見れば、当初の段階から、回答期限の延長を求め、その間に十分な調査を尽くしていれば追徴課税額が減額されていた可能性も十分にあったのかもしれない。当職らが認識しているところでは、適切な専門家の介入と文書での要請等により、事実調査等を理由としてある程度の回答期限の延長を求めることは合理的に可能であり、認められるケースも多い。
なお、本件で指摘されている追徴課税の根拠とされている事項は、現地ではよく出てくる論点である。本件におけるその適否については事実関係にもよるものの、このような指摘事例が多いことは認識した上で、対応を準備しておくべきである。ただ、ベトナムの未成熟な法運用体制からすれば、どんなに準備をしていても、監査の担当者との間で見解の相違が生じることはあり得、全てについて保守的に運用しておくというのも効率的ではないため、ある程度リスクを取ることは必要である。重要なのは、そのリスクの内容・程度を理解し、可能な範囲の対策を打っておくことであろう。
(2)現地法人経営陣の遵法意識と本社の姿勢の重要性
本報告書では、現地法人が、以前から、通関を円滑に進めるために、通関申告において法定費用に加えて1件500円程度の追加費用を支払っていたり、検査のために不定期に来訪した税関職員に対して、指摘を回避するために1回当たり2500円相当の現金交付をしており、これらの支払の合計は、2014年から2019年の累計で約1400万円相当に及んでいたという事実も認定されている。しかも、現地法人社長は、このような現金交付が「不正」であるとは考えず、「必要コスト」程度との認識であったとのことである(本報告書57-59頁)。
確かに、この種の現金給付はベトナムでは珍しくないものと思われ、これがないと当局から様々な難癖を付けられて事業運営に支障を生じるという話はよく聞くところである。しかし、このようなファシリテーション・ペイメントは、ベトナム法上も違法であるし、日本の不正競争防止法の外国公務員への贈賄禁止規定にも抵触する行為であり、このような違法行為が長らく日常的に行われていたことが、現地法人の経営陣の規範意識を麻痺させ、2017年の事案のように、自ら「調整金」を払うための働きかけをするという行動に至ったのではないかと思われる。
また、現地法人の経営陣が自ら「調整金」を払うための働きかけをするに至ったのには、彼らが、現地の工業団地内や日系企業同士の情報交換、ローカルの従業員やコンサルタントとのやり取りの中で、そのような実務が少なからず行われていると認識していたことも一因にあったのではないかと想像できる。しかしながら、ベトナムでも、規範意識の高い日系企業の中には、そのような不正行為なしに事業運営を行っているところは多くある。もちろん、そのためには現場での相当な努力が必要となるし、前述のように、ベトナムの未成熟な法運用体制からすれば、相当の注意を払っていても、場合によっては高額な追徴金を課されたり、輸出入が滞って事業運営に影響が生じることもありうる。そこで重要なのは、本社の経営陣が、コンプライアンス重視の結果目先の業績に悪影響が生じてもやむを得ないという意識を堅持し、明確に社内に示すことであろう。そのためには、実態に即した適切な社内規程の策定のみならず、その確実な実施の確保、社内での繰り返しのコンプライアンス研修の実施が必要である。
(3)ベトナム側は収賄側を処罰するか?
ベトナムを舞台とした、日本企業による外国公務員への贈賄事件としては、これまでに、①パシフィックコンサルタンツインターナショナルがベトナム政府高官に262,000米ドルの賄賂を提供したとして2009年に有罪判決を受けた事件、及び②日本交通技術がベトナム鉄道公社関係者に約7000万円の賄賂を提供したとして2015年に有罪判決を受けた事件がある。これらは、いずれも日本のODA案件に絡む事件であり、その発覚後一時停止された新規ODA案件の採択は、ベトナム側が収賄側の事実解明を積極的に進めたことを受けて、再開されることになった[1]。
本件は、当職が知る限り、ODA案件絡みではない、日系企業が絡む贈賄事件として公表された初めての事案である。日本での司法取引の導入を受けて、三菱日立パワーシステムズの贈賄事件のような形で外国公務員への贈賄事件が表沙汰になるケースは今後も増えてくるものと思われる。ベトナム政府は、近年、民間企業の職員に対する賄賂についても贈賄罪が成立する可能性があることを明確化した新刑法を2018年に施行し、2019年には新汚職防止法、及びその施行政令としての政令59/2019/ND-CP号[2]を施行するなど、立て続けに汚職防止関連の法整備が進めるとともに、汚職防止と摘発に力を入れているとしている[3]が、報道されている摘発案件の多くは、政治絡みの案件であるとみる向きもある。本件においてベトナム政府がどこまで本気で収賄側の調査、処罰を行うのかは、今後のベトナムでの投資環境の改善に期待を持てるかどうかを占う上で極めて重要な指標になるものと思われる。
以上
- 2020/05/27追記:
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本記事脱稿以降のベトナムでの報道によれば、 本件についての日本での報道を受けて、 現地法人が所在しているバクニン省の税務局や警察において調査が 開始されたものの、 当事者や天馬ベトナムの会計担当者らは事実を否定している模様で ある。また、財務大臣は、5月25日に、 税務総局及び税関総局に調査を要求し、 かつバクニン省税務局及び税関局の調査を行う専門チームを設置し たと発表した。
[1] ②の事件後のODA再開につき、外務省「政府開発援助(ODA)事業をめぐる不正腐敗の防止に向けた日・ベトナム両国の更なる取組」(最終閲覧日 2020/5/15)参照。
[2] 政令59/2019/ND-CP号の内容については、「SH2840 ベトナム:汚職防止法施行令(上) 鷹野 亨(2019/10/23)」を参照。
[3] VOV「汚職防止対策に全力を尽くすベトナム」(最終閲覧日 2020/5/15)参照。