弁護士の就職と転職Q&A
Q125「退職申請は、転職先を決める前に切り出してもよいか?」
西田法律事務所・西田法務研究所代表
弁護士 西 田 章
法律事務所では、緊急事態宣言が解除されて以降、リモートワークを原則としていた先でも、オフィス勤務に回帰させる動きが進んでいました。ところが、首都圏で再び新型コロナウイルスの感染者数が大幅に増加し、これが地方へも広がりを見せ始めて、いよいよ、リモートワークを恒久的な措置として併存させる必要性を感じ始めています。そんな中、アソシエイトの側では、在宅勤務時に感じた「現事務所で働き続けることの違和感」を大事にする者からは、「転職先は決めていないが、先に現事務所を辞めたいと考えている」という相談も聞かれるようになっています。
1 問題の所在
人材紹介業者が、アソシエイトの転職活動に関わる場面は、3つの立場に分かれます。1つは、転職を希望するアソシエイトからの相談に乗るキャリア・コンサルタントの立場です。ここでは、本人から現職に対して抱いている問題意識を聞き出し、その問題を解決できるような移籍先を検討することになります。2つ目は、中途採用を考えている事務所側に候補者を紹介するリクルータの立場です。ここでは、事務所の採用ニーズを聞いておいて、そのイメージに合致する候補者が見付かった時に、その候補者を推薦することになります。3つ目は、有望なアソシエイトの流出を防ごうとする現所属事務所側の慰留活動を手伝う人事コンサルタントの立場です。昨年までの平時であれば、アソシエイトは、毎日、オフィスに出勤するルーチンをこなしているため、退職希望を示すアソシエイトが現れた場合、パートナーは、そのアソシエイトに対して「まずは、一緒に飲みに行こう。ゆっくり話を聞かせてくれ」と誘うことができました。パートナーとしては、「アソシエイトが何を理由としてうちの事務所を辞めたいのか」の真意を把握しておく必要がありますし、有望なアソシエイトから具体的な問題点を指摘してもらえたら、ワークロードの調整や案件の割り振り等に関して、できる限り、運用を改善したいと考えます。逆に、一緒に飲みに行って、膝を付き合わせて話し合っても、なお、本人の退職意思が揺るがないのであれば、それ以上に慰留する必要もないと考えます。ただ、コロナ禍において、在宅勤務が続き、コミュニケーション不足の中で(中長期的なキャリアの話などできずに、目先の業務の話しかできていないため)、さらに「膝を突き合わせて話し合う」ということもできないままに、退職申請を認めてしまっていいのか、という不安もあります。そこで、外部コンサルに対して、退職を希望するアソシエイトの真意を確認してもらいたいという依頼が来ることがあります。
外部コンサルのスタンスは、誰を依頼者とするかによって異なるところがありますが、コロナ禍で、転職活動を進めにくい中で、アソシエイトが「転職活動を始める前に、現事務所に退職意思を伝えておきたい」と希望する場合における対応には悩ましいところがあります。
2 対応指針
現事務所で一緒に仕事をして来たパートナーとしては、退職申請をしてきたアソシエイトがまだ当事務所で活躍できる可能性を秘めていると期待しているほど、「一時の気の迷い」で退職するのは勿体ないと考えます。そのため、移籍先が決まっていないならば、まずは、仕事を減らしたり、担当案件を変えたりすることで、改善の余地を探ってもらいたいと期待します。それでも慰留できないならば、他のアソシエイトや次の新卒採用への悪影響を防げるような理由付けをしておきたいと考えます。
中途採用を検討する側としては、「前職をクビになったアソシエイト」を採用したくはないので(勤勉さや辛抱強さに欠けるアソシエイトを採用したくないので)、すでに前職を辞めたアソシエイトからの応募に対して「前職を辞めた理由」についての説明を求めることになります。
そのため、転職希望者としては、原則としては、転職希望先からのオファー取得後に退職申請をすることが無難です(現職への礼儀は「オファーを受諾する前に相談する」ことや「転職後にも定期的に近況を報告する」ことでも果たすことができます)。やむを得ず、退職した後で転職活動を行う場合には、自分の働きぶりや人柄を知ってくれている人物からの推薦を受けることで、応募先の懸念を払拭する努力を尽くす場合もあります。
3 解説
(1) 現事務所側の立場
法律事務所のパートナーは、所属アソシエイトからの退職希望に対して、2つの顔を持って接します。ひとつは、指導を担当する先輩弁護士としての立場です。その立場からは「うちでも十分にやっていける素材なのに、ここで脱落してしまうのは勿体ない」として、退職希望者のキャリアを真剣に心配しての慰留をしてくれることがあります。もうひとつは、事務所の経営サイドの一員として、「このタイミングでのアソシエイトの退職が他に悪影響をもたらすことがないか?」を冷静に分析しなければならない立場です。
退職申請者にとって対応が悩ましいのは、前者の親身な慰留です(慰留を振り切るためには、先輩のようなキャリアを歩みたくないと主張しなければなりません)。後者の経営サイドへの対応としては、「自分は、当事務所とは違う方向性の道に進む」(地方への引越しやインハウスや一般民事への転向等)ことを理由にしてあげると納得してもらいやすいです(必ずしも、それが実態とは少しズレるものだったとしても)。
(2) 中途採用側の立場
中途採用をする事務所は、「他の事務所で不要の烙印を押された人材」を受け入れたいとは考えていません。「他の事務所で慰留されるような人材」である方が、候補者としての適性は高いので、「内定者が現事務所から慰留されながらも、それを振り切って移籍してきてくれる」というのが理想型です。
転職市場では、「アソシエイトは次の職場が見付かるまでは現職場を退職しない」のが一般的であると考えられているところから、先に、現職場を退職してしまうと、「本人に何か問題があって事務所側から解雇を言い渡されたのではないか?」という懸念が生じることがあります(仕事の不出来だけでなく、パワハラやセクハラ等の不祥事が懸念されることもあります)。特に、共同事務所において、中途採用の手続要件にパートナー会議での全員同意を課している先では、誰かひとりでもパートナーに懸念を抱かれてしまうことが致命的な障害となることがあります。そのため、採用を進めたいパートナーとしては、候補者の能力が優れていることを示す客観的材料を整えると共に、候補者が退職を先行させざるを得なかった事情を自ら理解して、懸念を抱くパートナーに対してその合理性を(クビになったわけはないことを)説明する身元保証人的な役割が求められることになります。
(3) 転職を希望するアソシエイトの立場
アソシエイトの中には、「転職先を決めたことを事後報告する形で、退職を申請するのは、自分を採用してくれた現事務所のパートナーに対して不誠実ではないか?」という問題意識を抱く方もいます。その発想からすれば、まず、現事務所に対して退職を申請して、それをパートナーに了承してもらってから、転職活動を始める、という順序を辿ることになります。ただ、これは、退職申請を受けたパートナーとしては、本人の退職意思がどこまで確定的なものかを知ることができません。そして、「退職したい本当の理由は何か?」を追及した上で、ワークロードが多過ぎるアソシエイトに対しては、仕事量を減らす調整を提案することになりますし、担当事件の類型に不満があるアソシエイトに対しては、事件の割り振りの見直しを提案することになります。
退職理由は、本人にとっては確定的でも、世代を超えたパートナーには理解してもらいにくいこともあります。その時は、(「もう決めました」という事後報告は避けるとしても)転職希望先からのオファーをもらった段階で、「オファーを受諾したいと考えている」という相談の形で退職申請をすることが無難ではあります。その場での気不味さが残ったとしても、辞めた後にも前職との人間関係を継続できるかどうかは、担当していた案件の引き継ぎをきちんと行い、転職後にも近況を定期的に報告する、といった形で礼儀を尽くすことに依存しているように思われます。
以上