弁護士の就職と転職Q&A
Q76「マンネリ化した職場は卒業すべきなのか?」
西田法律事務所・西田法務研究所代表
弁護士 西 田 章
ジュニア・アソシエイトの転職理由が「ハードワーク」や「パワハラ」を原因とするストレスフルな日々であることが典型例であるのに対して、40歳代の弁護士からは「今の仕事を続けても成長を得られない」という事情から「環境を変えるべき時期ではないか?」という問題意識を聞かされることが増えます。学校を、所定の単位取得後に卒業するのと同様に、職場についても「もはや学ぶべきことがない」と感じた場合に、「限りある職業人生をここで浪費していてもいいのか?」という迷いが生じます。
1 問題の所在
弁護士の仕事は、依頼者を支える黒子、裏方業務です。そのため、「キャリアの成否」は「よい依頼者に巡り会えたかどうか」で決まります。「よい依頼者」に尽くしたと感じられる弁護士は幸福であり、その充足感を得られないままに終えたキャリアは不完全燃焼感を拭い切れません。
そこで、弁護士のキャリアを二段階に分けて、前期を修行期間として割り切り、後期を「よい依頼者」のために尽くす自己実現の期間と位置付けることが効果的な職場選択につながります。つまり、アソシエイト時期は、「いずれどこかで出会うであろう自分の依頼者」のためにリーガルサービスの腕を磨く期間ですから、クオリティ・オブ・ライフを犠牲にしてでも、ハードワークに耐えて「経験値獲得」を重視することが正当化されます。そして、パートナーになってからは、いよいよ、自己実現の場を迎えるわけですから、「自分が支援したいと思える、よき依頼者」から自分を頼りにしてもらえることを期待して、声をかけてもらえるのを待つことになります。もちろん、業務に費やす時間の100%を、やりがいのある仕事で埋めることは、現実的には不可能です。事務所経営のためには、気に入らない依頼者(担当者)の仕事も受けなければなりません。ただ、仕事の100%が「気に入らない依頼者」の仕事で埋め尽くされてしまっているとしたら、「そもそも、なぜこの職業に就いたのか」の意義が見失われることにもなりかねません。
40歳代となっても、法律事務所のパートナーであれば、「売上げを立てなければならない」という、今年度の目標達成を最優先課題に設定せざるを得ないため、哲学的な問いは棚上げされがちです。また、インハウスでも、法務部長を目指す幹部候補生は人事評価という、現在進行形の課題クリアと葛藤しています。他方、法律事務所でもカウンセル的に、又は、インハウスでも社内昇進という目標を持たない層の中には、「弁護士キャリアはもう折り返し地点を過ぎた」「残り半分の時間も刻一刻と失われていく中で、今の環境でこのまま仕事を続けてよいのかどうか」という問題を深刻に考えるようになる弁護士が増えてきます。
2 対応指針
「会社都合」「事務所都合」に基づくリストラ型の転職とは異なり、「自己都合」の転職は、「次の職場が、現在の職場よりも優れた環境である」という見込みが得られる場合に実施するものです。もちろん、それは予め保証されるわけではありませんが、「よい依頼者と巡り会える」というシナリオを(一応は)描くことができ、かつ、「仮に失敗しても、取り返しがきく」「致命的な汚点を残さない」かどうかが判断基準となります。
法律事務所への転職は、現在の職場よりも、「よい依頼者」の仕事を受けやすい環境かどうかを確認することになります(例えば、レートが高過ぎたり、コンフリクトが生じやすかったり、社外役員になることが禁止されていたりすると、それだけ自己実現を図る機会を逃しやすくなります)。法律事務所における弁護士業務はフロント業務であることから、「初年度給与」の数字が持つ意味は大きくはありません(売上げさえ立てられたら、年俸が大幅に上がることもあります)。
また、社内弁護士としての転職は、「依頼者が一社に限定される」ことから、より慎重な検討が求められます。経済条件以外の検討ポイントとしては、転職先の提供する商品又はサービスについて、自分もその拡大を支援することに喜びを感じられること、自分がそのポストに就けば、他の候補者よりも優れた役務を提供する自信があることを挙げることができます。
3 解説
(1) 転職の判断基準
「転職の好機」は、単純に「現在の職場よりも優れた環境から誘われた時」です。これは、ジュニア・アソシエイトでも、シニア・パートナーでも変わりません。ただ、現在の仕事がストレスフルであったり、マンネリを感じていたりすると、「環境を変えたい」という気持ちが先行するために、「次の職場」でのシナリオを楽観的に評価し過ぎる危険があります。
人材紹介業者には、経済条件(給与額等)を最も重視すべき指標に掲げるコンサルタントもいます。確かに、性質の異なる職場を厳密に比較することは困難であるために、比較可能な指標(給与額等)を用いてキャリア選択することは合理的なようにも思われます。しかし、企業法務の弁護士の人材市場は、所詮は「自分の時間の切り売り先」の選択にすぎません。金融商品への投資のように、短期間に億単位のアップサイドを得てアーリーリタイアを実現する、というシナリオを描くことまではできません。数百万円〜千万円単位で年俸が上がる雇用条件が提供されたとしても、年単位での勤務を継続できる見込みがあってこそ、それを受諾することを真剣に検討をする前提が整います。
逆に、一時的には、年俸が大幅に下がる雇用条件しか提供されないとしても、「よい依頼者と巡り会える」という確率を上げられる見込みがあるならば、真剣に検討する前提は満たされます(成長がないままに年次が上がってしまうリスクも考慮すれば)。
(2) 法律事務所移籍の判断基準
法律事務所は、依頼者にとってみれば、「リーガルサービスを提供する主体」となりますので、ランキング的評価を重視して選ぶことにも合理性が認められます。他方、そこで働く弁護士にとってみれば、法律事務所は「依頼者と巡り会うための導管」にすぎませんので、法律事務所自体の偏差値の高さを求めるのではなく、「良さそうな依頼者から声をかけてもらえた場合に、その受任を妨げるような事情が少ないこと」が重要となります(もちろん、業界内で高い評判を受けており、マンパワーがある事務所のほうが、依頼者からの声をかけてもらいやすい、というのはプラス評価できます)。
「受任を妨げるような事情」としては、弁護士報酬の時間単価と、コンフリクトが大きな要素として存在します。そのため、依頼を受けたい企業の顔ぶれが具体的に想定されている場合には、時間単価を下げたり、コンフリクトの制約が少ない先を求めて移籍する、ということも現実的な選択肢として考えられます。
また、最近では、純粋な弁護士業務ではなく、「社外取締役・監査役」を務めることに対して、職業的な使命を全うする機会があるのではないかという興味を抱く40歳代の弁護士も増えています。依頼者企業の側からすれば、「これまでに経験がない弁護士に依頼して、想定外の言動を取られても困る」という懸念が生じますので、「過去に任期を全うした弁護士を候補者に選びたい」という動機付けが働きます。「経験者には次の依頼が来やすい」という傾向がある代表的な職種ですので、「将来的に、上場企業の社外役員としての仕事を受けていきたい」と考える弁護士にとってみれば、「せっかく話が来ても、それを受任することができない環境」に身を置き続けることには、好機を掴み損ねてしまうリスクがある、という認識も広まってきています。
(3) 社内弁護士移籍の判断基準
一般的には、「社内弁護士のほうが、売上責任を負わない分だけジョブ・セキュリティがある」と思われがちです。しかし、現実には、一流企業ほど、プア・パフォーマーに要職を任せ続けることはできません(株主の利益も損ないます)。高額な給与を支払うポストであるほどに、欧米系企業であれば、退職勧奨の対象になりますし、日系企業であっても、より責任が軽いポストへの異動を検討せざるを得なくなります。
会社又は上司による自己への人事評価は、必ずしも、本人にとって納得いくものではありません。それは、法律事務所での弁護士業務における依頼者からの評価でも同様です。ただ、法律事務所においては「この依頼者とは相性が合わないので、他の依頼者でこれを取り戻そう」という戦略をとる道があるのに対して、社内弁護士にはその代替案がありません。また、総合職的なビジネスパーソンであれば、「この部署の上司とは合わないので、別の部署で昇進を目指そう」と発想を転換する余地が残されていますが、「法律専門職」であれば、それも適いません。依頼者を「一社」に限定し、その職域を「法務」に限定してしまっているが故に、「低い人事評価を受けたならば、プア・パフォーマーとして生き残ることを考えるか、それが嫌ならば、転職するしかない」という状況に置かれます。
そういう意味では、「社内弁護士として、自分の役務提供先を一社に全部を賭ける」というリスクの高い投資であることを認識した上で、その転職が「成功した場合のシナリオ」と「失敗した場合の代替案」のシミュレーションを踏まえて転職の意思決定をすることが望まれます。
将来シナリオを好意的に描けるかどうかにおいては、「自分個人としても、転職先企業が提供する商品又はサービスを好きになれるかどうか?」が大きな比重を占めます(例えば、「消費者金融業は弱者から高利を貪っておりケシカラン」とか「ゲームは子供の教育に悪影響を及ぼす」と考えている弁護士が、高給だけを目当てに、それら業界の社内弁護士ポストに就任することはお勧めできません。自分の選んだ会社の提供するサービスの社会的意義を自ら納得することができていなければ、再度の転職活動をすることになった場合において、「どうして今の会社に転職したのですか?」という質問への回答に窮することになってしまいます)。
以上