米国のSSRNから見るコーポレート・ガバナンスの最新動向
第3回 「サステイナブルなコーポレート・ガバナンスと取締役の義務」に関する
ECの報告書(EY報告書、2020年7月)について
早稲田大学法学部教授
渡 辺 宏 之
「サステイナブルなコーポレート・ガバナンスと取締役の義務」に関するECの報告書(EY報告書、2020年7月)
欧州においても、欧州委員会(EC)が2020年7月に「サステイナブルなコーポレート・ガバナンスと取締役の義務」に関する最終報告書を公表し〔Study on directors’ duties and sustainable corporate governance – Publications Office of the EU (europa.eu)〕、非常な論議を呼んでいる。同報告書は、調査研究がErnst &Young(EY)に委託されたため、「EY Report(EY報告書)」と通称されている。同報告書は、ECのイニシアティブ(Initiative)の一環として作成・公表されたもので、「サステイナブルなコーポレート・ガバナンス」を実現するための方策を、複数の選択肢方式で提示している。また、現下の世界で生じている様々な問題の根源として、「株式市場における短期主義」を挙げて批判していることも、同報告書の特徴として特筆すべき点である。
しかしながら、同報告書に対する徹底的な批判が、ハーバード大等の米国の学者を中心に噴出しており(欧州の有力な会社法・資本市場法の研究者の多くも報告書批判に賛同)、ECに対して同報告書のやり直しや政策への不参照を求めている。報告書批判の主要なポイントは、①「株式市場の短期主義」にほとんど関係のない租税回避や環境問題等まで短期主義が原因だとしている、②データの裏付けが薄弱、または権威のある学術誌の趨勢を無視している、③会社法改正の論拠が説得性を欠く、といった点である。
下掲は、EY報告書を徹底批判した、ハーバード大教授(ロースクール・ビジネススクール)の連名論文である。
同論文は、上記SSRN Working Paperの他、ハーバード大学のWorking Paper、欧州の学会のWorking Paper、イェール大学のジャーナルと同じ論文が別のかたちで4回発表された。それらに先行して、同論文の要約版がECに意見書として2020年10月に提出されており(ECへの意見書(Feedback)一覧は本リンクから確認可能)、ほぼ同一の論文が各種媒体で計5回刊行されたことになる。EY報告書を始めとした最近のステークホルダー主義経営や短期主義批判に対する、反対の論陣を張る意図が強くうかがわれる。
「短期主義批判への反批判」について
同論文はSSRNでも注目を集め、コーポレート・ガバナンス関連の種々のランキング(Recent Top 10 Papers)に名を連ねた。同論文に対する批判や反論もいろいろとありうるはずだが、いわば世界的権威であるハーバード大学の4人の著名な教授の連名の論文であるからであろうか、同論文について正面から言及・批判した論文は、SSRN掲載論文では、現在のところ下記の拙稿だけのようである。
なお、下掲の拙稿においても、上記拙稿の「Appendix」とほぼ同じ内容を掲載している。
〔参考リンク:同論文に関するSSRN Citations 左記リンクは2021年1月20日付のものであるが、本稿脱稿時点でも、他の引用論文は同ページからは確認できない。なお、Citationは、SSRNのupdate processにより一時的に参照できなくなる場合がある。〕
EY報告書への批判についてコメントするならば、「株式市場の短期主義の弊害」等については、問題設定のレベルの混同、論理の混乱やデータの説得性の不足に関しては、報告書に対する批判はそれなりに正当である。しかしながら、「短期主義の弊害の証拠がない」とする批判論者の主張もまた大きく説得性を欠く。例えば、近年の米国のS&P500企業では大幅な自社株買い等により「株主への支払金額 > 株主からの受取金額」となっているが、他方でそれ以外の企業では「株主への支払金額 < 株主からの受取金額」となっていることから、米国の株式市場全体ではより成長性の高い企業へ向けて「資金の効率的配分」が行われているとの見解が主張されている。しかしながら、前者の企業群の株主に支払われた資金が、後者の企業群への投資に実際に向けられたか否かは不明であり、それはひとつの「可能性の示唆」に留まっていると言わざるをえない。また、近年のアメリカ等の株式市場で、効率的な資金配分の観点から仮に「短期主義のメリット」がある程度存在するとしても、そのことで短期主義の弊害がなくなるわけではない。
自社株買いについても、資金調達コストや財務指標の向上の観点からメリットがあったとしても、会社の本質的な「稼ぐ力」を向上させるものではない。また、たとえ自社株買いが長期的な企業価値に貢献するという見解に立ったとしても、会社が結果的に株式(会社が返済する必要がない)を負債(返済する必要がある)に切り替えた場合、会社の信用リスクが増加して相対的に倒産の可能性が高まることになり、そうした一連の会社の行動はやはり「近視眼的(短期主義的)」であるといえよう。
欧州の学者グループによる「EY報告書見直し提案」(2021年4月7日)
EY報告書に対する上述の批判の流れの一環として、2021年4月7日、欧州の学者グループが、EY報告書に対して再考を求める提案を公表した。これには、欧州の多くの著名な会社法・資本市場法関連の学者が署名しており、提案の共同代表者(全5名)であり上記連名論文の中心的執筆者でもあるハーバードロースクールのMark Roe, Jesse Friedの両教授をはじめ、米国等の有力な学者も少なからず署名している(Call for Reflection on Sustainable Corporate Governance | ECGI)。
同提案自体は、EY報告書の根本的な再考を求めるものではあるが、その具体的な主張の中身は、「長期主義にも短期主義にも、メリット・デメリットの両面がある」や「株主価値は長期的な企業価値を前提に算出されるものである」といった、これまでの批判と比べるとかなり穏当な内容のものになってきている。筆者は同提案には関与していないが、同提案の共同代表の一人となった英国の学者と、同提案の内容にかかわる諸論点につき、今年1月に詳細に議論を行なった。そうした議論が何がしか有意義なものであったとしたら幸甚である(上述の2つの拙稿の最新版では、議論の成果を踏まえている)。
第4回につづく
★米国のSSRNから見るコーポレート・ガバナンスの最新動向 第1回 〈インタビュー〉SSRN(Social Science Research Network)について 渡辺宏之(2021/05/07)
◆米国のSSRNから見るコーポレート・ガバナンスの最新動向 第2回 米国ビジネスラウンドテーブル新宣言(2019年8月)について 渡辺宏之(2021/05/14)
(わたなべ・ひろゆき)
早稲田大学法学部教授。専門分野は、会社法・資本市場法・金融法・信託法。東京大学特任准教授、早稲田大学准教授等を経て、2008年より早稲田大学教授。
〔渡辺 宏之(Hiroyuki Watanabe) – マイポータル – researchmap〕
https://researchmap.jp/read0164658
〔SSRN(Social Science Research Network)掲載論文〕
Author Page for Hiroyuki Watanabe :: SSRN
https://papers.ssrn.com/sol3/cf_dev/AbsByAuth.cfm?per_id=810174