◇SH3755◇東芝調査報告書に関する見解 上村達男(2021/09/14)

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東芝調査報告書に関する見解

早稲田大学名誉教授

上 村 達 男

 

 この見解は、すでに公表済みの産経新聞「正論」(2021年7月14日)に執筆した「ファンドに翻弄される日本企業」の趣旨を確認し、かつ正確を期すためにこれを敷衍し文章を追加したものであり、公表済みのものと同等の位置づけのものと考えている。「正論」論文は、日本のこの分野の法の水準がこの程度ということになったのでは、諸先生諸先学に対して申し訳ないとの思いに出たものであり、それを公表した責任上、同論文の足りない部分を補充し、敷衍しておくことは、私自身の問題としてその責任と考えたためである。

 

1 会社法316条2項の趣旨

 ① 沿革上、「業務・財産状況の調査」は、基本的に一定の少数株主が裁判所に対して検査役の選任という形で請求しうる少数株主権として位置づけられる制度であり、現行会社法358条も3%の株主が業務・財産状況に関する検査役の選任を裁判所に請求しうるとしている。会社法316条2項が株主総会決議のみで業務財産状況の調査者を選任できるとしているのも、同じく3%の少数株主権行使の結果として株主総会招集がなされた場合(会社法297条)に関する規定であるから、その制度の趣旨は会社ないし支配株主に対する少数株主による牽制ないし少数株主の保護の観点から認められたものである。したがって、会社ないし支配株主が反対する株主総会を少数株主として招集しても、目的たる事項に係る決議は成立しないのが通例であるため、この316条2項の調査者の選任決議が成立することは通常予想されず、従来この規定に対する関心は著しく低かった。

  1. ※ 酒巻俊雄=龍田節編集代表『逐条解説会社法(4)機関1』(中央経済社、2008)の本条解説(176頁浜田道代教授担当)が、「多数決の成立に自信をもつ株主が本条の活用にメリットを見出すような場合は,現実にはほとんど無い……」と言われるのは当然であった。
  2. ※ なお、取締役(役員)の職務の執行に関して不正の行為又は法令もしくは定款に違反する重大な事実があったにも関わらず、当該取締役の解任する旨の議案が株主総会において否決された場合に、取締役解任の訴えの提起(会社法854条)が可能になるために、株主総会で議案が否決されることが分かっていても、3%の少数株主権を行使して株主総会招集がなされることはありえた。

 ② したがって、仮に316条2項の調査者が選任されるような稀な事態があるとした場合に、少数株主保護の観点から調査者の調査対象に制限はないという主張がなされたとしても、それはどこまでも少数株主保護の観点に立つ見解である。そしてその場合でも本来は、調査の手法、態様および会社の事業目的の保護といった観点からの制約は当然にありうるが、そうした問題を論ずる実益はないとされてきたと思われる。この問題をもっとも詳しく論じられている松井秀征教授は(岩原紳作編『会社法コンメンタール(7)機関1』(商事法務、2013)278頁以下)、本条2項の調査者の権限を358条の業務・財産状況の検査役の場合と同様に、「調査に必要な一切の行為をなす権限」を有すると解して良いとされるが(286頁)、同時に、「総会決議によって検査役(現在では調査者)を選任することはきわめて考えにくいのも事実である」(281頁)とされており、前記浜田教授と同様の認識を示されている。このことはこの問題がどこまでも少数株主保護の問題であるとの認識を共有していることを意味している。

 したがって、今回の東芝の件のように株式の6割近くを有するファンド株主らにより普通決議によって選任された調査者が無限定の調査権限を有するとして行った調査は制度の趣旨に反する濫用的なものに違いないと想定することが許される、といったことが上記論考から理解できる。松井教授が、その意義や条件に関する情報開示がなされず、調査報告書が事実を明らかにしていることの保証が示されない「デジタル・フォレンジック調査」(後述)による無制限の調査を肯定する趣旨で「調査に必要な一切の権限」と言われたとは到底思えない。

 

2 少数株主による検査役選任請求権(会社法358条1項)との比較

 ① 会社法358条1項は、3%以上の株式を有する株主に対して、当該会社の業務・財産の状況を調査させるために、裁判所に対して検査役の選任の申し立てをすることができると定める。この検査役の調査権限に特に制約のないことが、今回の東芝の調査者の調査権限にも制約がないことの理由とされているようなので、ここで両者の制度について若干の比較検討を加えておく。

 第一に、この358条の検査役は、株主総会の決議によって選任されるものではなく、株主総会の多数の意思や支配株主の意思がどうであろうとも、3%という少数株主に検査役の選任権を付与したものであり、その選任が株主総会自治を覆す意義を有するために裁判所の選任を要するとされている。そして検査役の調査結果は裁判所に提出し報告される(同条5項)。今回の東芝の調査者は株主総会の普通決議によって選任されており、裁判所によって選任される358条の検査役のような客観性・自律性の保障がまったくない。

 第二に、358条の検査役の報酬は裁判所が定めると明文で定めるが(同条3項)、今回の可決された臨時総会の議案では、調査者の報酬は、一義的には会社が支払うものとされたが、会社が払わない場合には、大株主であるエフィッシモが支払うこととされている。実際にどのように支払われたかに関する一切の情報開示がないこととも相まって、調査者は巨額の報酬を払うことのできるエフィッシモらの私的な調査者にすぎない実態になっているのではないかとの憶測が成り立つ状況にある。

 第三に、358条は株式会社の業務の執行に関し、不正の行為又は法令もしくは定款に違反する重大な事実があることを疑うに足りる事情がある時に裁判所が選任しうるものであるため、検査役の報告書にはそうした「疑うに足りる事由」があるか否かを報告することが求められる。裁判所は「疑うべき事由」があると認めたからこそ検査役の選任を認めたのであるから、報告書がそうした事由があるか否かについてきちんとした報告をしているかを確認する責任がある。したがってその報告の内容が不明瞭である場合には、裁判所はそれを明瞭にし、またはその根拠を確認するために必要があると認めるときは、検査役に対してさらに報告を求めることができるとしている(同条6項)。

 本件の316条2項の調査者の報告書は、不正・違法を疑うに足りる検証可能な証拠に基づく「事由」どころか、およそ法的に意味のある事由自体が何も明らかにされていない。358条の検査役であれば、裁判所が当の調査者に対して再度の調査を求めるべき状況であるが、それではそもそも裁判所が検査役の選任を行ったこと自体が誤りであったということになるであろう。なお、調査報告書がコーポレート・ガバナンス・コードに反する疑いがあるといったことをたびたび述べていることは、法令・定款違反、および著しい不正・不公正が存在しないことをむしろ明らかにしていると見ることができる。

 以上、本件の316条2項の調査は358条の検査役調査と比べると、その客観性、報告プロセス等の一切について何らの制度的な保障が存在せず、両者を同列に論ずべき条件自体が存在しない。また、調査者の報告は法的に意味のある事由をなんら明らかにできていない以上、358条であれば検査役の選任自体ができない状況と思われるため、358条の検査役の権限との対比において、316条2項の調査権限の範囲を論ずること自体に合理性はない。その意味では、358条の検査役との対比において本件調査者の調査権限を無制限と主張することはできない。株主総会で調査者の選任決議に際して、多数株主の意のままに、本件調査者の調査につき「調査者が認める一切の事項を調査する」といったことを条件にしても、そのことには株主総会での決議を除き一切の根拠がなく、そうした決議自体が法令違反(公序良俗違反)であり、決議無効確認の訴えの事由を構成するものと考えられる。

 本件調査はデジタル・フォレンジック調査とAIを活用したとされているが、デジタル・フォレンジック調査とは、特定の犯罪事実などを後追い的に解析するには役立っても、多くのメールやファイルをつなぎ合わせて事後検証に耐えうる新たな推論を導くものではないと聞く。AIは推論を導くが、AIに付けた「教師」次第で、推論自体に偏向や偏見が生じうるものとのことである。少なくとも、科学的かつ客観的な推論であると主張するためには、いわゆる「実験ノート」が公開される等、追試可能な材料が示される必要があるとも聞く。そのような材料等がまったく示されていない今回の報告書が、「正論」で書いたような「印象操作」あるいは「感想文」「作り話」という印象を受けることはむしろ自然なことと言える。

  1. ※ なお、弥永真生教授は、本件調査者の選任には具体的な調査目的の限定も、守秘義務の定めもなく、提案株主からの独立性・中立性も保障されず、株主総会の「公正な運営」といった法的評価とは言えない事柄を、ガバナンス・コードに照らして述べていることで、提案者が期待する方向へのバイアスがかかっているとみられるおそれがあるとされる(しょせん、そのようなものにすぎないと割り切れば良いのかもしれないとすら言われる)。要は法的な意義を認めることはできないと言われているのである。(弥永真生「東芝『会社法第316条第2項に定める株式会社の業務及び財産の状況を調査する者による調査報告書』をめぐる諸論点」ビジネス法務2021年11月号43頁以下。

 ② ところで、会社としては制度的にも実態としても正当性の乏しい調査報告なるものが公表された以上は、それを無視することもできるが、会社の業務・財産状況について、疑念が生じているかに言われていることについては、単なる風評被害に止まらない被害を受けている可能性、ないし受ける可能性があることから、火の粉を払うという意味において、会社独自の立場として、調査報告書とは無関係に独自の調査を行うことは当然に可能であり、むしろそれを行わないことが取締役の善管注意義務に違反する可能性もないとは言えない。この間、会社としては調査報告書の位置づけや方向について、それをまともに受け止めすぎたとしても、そのような過去の経緯にとらわれる必要もない。調査報告書がコーポレート・ガバナンス・コード違反の疑いを述べたとしても、そうした評価自身に根拠がない以上、相手にする必要すらない。

 このたびの株主総会を契機として取締役、役員等を不本意な形で退いたとされる人々としても、調査報告書を一切無視する自由も、それに反論をする自由もともに有することは当然である。

 ファンドの推薦を得て取締役となった人々も、会社の事業目的を達成するために会社に対する義務と責任を負っており、いやしくも取締役となることを推薦した株主のための便宜をこれに優先させるようなことがあれば、取締役の明白な任務違反となる。また、ファンドの推薦を得て取締役となった人々は、今後ファンドが要求する事柄など取締役会で審議する際には、決議に特別の利害関係を有する者として議決を行えないだけでなく、取締役会の定足数にも数えられないこととなる可能性が出てくることを十分に自覚する必要がある(会社法369条2項――この規定は取締役の会社に対する忠実義務違反を防止するための制度とされている)。

 

3 業務・財産状況の調査を年間を通じて実施するのがガバナンス・システム

 「正論」論文で指摘したが、業務・財産状況の調査のための検査役制度とは、会社の自立的なガバナンスのあり方を問うという観念がないか、著しく乏しい時代において、裁判所の介入により会社の業務・財産状況を調査するという貴重なそしてきわめて重要な機能を有してきた。

 しかし今日、取締役会の年間を通じた経営モニタリング機能の充実こそが、公開性の株式会社制度の存立基盤とされるに至っている。具体的には、取締役会制度、監査役会制度、取締役会内の委員会として社外取締役を中心として構成される指名委員会、報酬委員会、監査委員会等が特に重要視され、さらに会計監査人(監査法人)、財務に係る内部統制、内部監査制度等の充実が日々図られている。これらの仕組みはまさしく会社の事業目的の遂行にとって不可欠な会社の「業務・財産状況の持続的なモニタリング」制度そのものである。そしてそうした仕組みの充実こそが、経営権の正当性の根拠を提供している(持続可能なモニタリングに適さない株主総会に代わって持続可能な業務財産状況の調査等を担うのが取締役会を中心とした経営モニタリング機構である)。

 かつて、株式市場の存在を意識しない時代に、株主総会は万能機関とされていたが、株式市場の展開とその高度な流動性がもたらす日々定かならぬ多数の株主の出現は、所有と経営の分離、株主総会の無機能化、経営者支配そして経営監督体制としてのガバナンス・システム中心の体制へと変わっていった。今日では、公開会社(取締役会設置会社)の株主総会は、法定事項と定款で定めた事項に「限り」決議をすることができる機関とされ(会社法295条2項)、とうに万能機関としての性格を喪失している。

 もともと会社とは、民法上の組合契約がそうであるように、共同の事業を営むことを目的に契約的にあるいは定款により結合したものであり、会社経営目的の基本は法令・定款の遵守、すなわち定款の事業目的の達成にあり、株主価値最大化がこれを超える意義を有することは絶対にない。

 しかるに、ファンドの比率の高い株主総会であれば株主総会が急に機能しだし、ガバナンス・システムの上を行く存在になることはあり得ない。東芝で、今回ファンドが行ったことは、社外取締役、監査委員といったガバナンスシステムの中枢にいる者を、正当性の根拠の著しく乏しい調査者による報告という、いわば私的な作り話とも言える話の流布によって、その信頼性を害し、結果的に彼らを排除するという重大な帰結をもたらした。こうした行為は日本の企業社会の法秩序に対する挑戦に他ならない(本件調査報告書の公表は、刑法233条に言う「風説の流布、偽計による信用毀損・業務妨害」<この規定は金融商品取引法158条の風説の流布、偽計取引の母法をなしている>に該当する可能性すら否定できない)。

  1. ※ 明治初期以降の日本の商法について、日本でもっとも詳しい研究者と思われる西川善晃静岡大学准教授によると、戦前の検査役制度は監査役が機能すべき状況にもかかわらず機能しなかった場合における選任例がしばしば見られたとのことである(橋本良平『株式会社実務誌』(文雅堂、1925)295頁他――同准教授のご教示による)。要は戦前の検査役制度は当時のガバナンス・システムの重要な一翼を担っていたことを意味する。このことは今日、監査役制度の強化を志向する多様なガバナンス・システムの一環として位置づけられる独立社外取締役ないし監査委員を、かつての検査役制度に比べて比較にならないほどに独立性・自律性を欠いた業務・財産状況の調査者が追い出し、ガバナンス・システム全体の意義を全面的に貶めるという由々しき事態が生じたことを意味する。
  2. ※ 最終的に、経営陣のメールやファイルを自由に閲覧することによって書かれた調査報告書の事実上の影響により、結果的に独立社外取締役らが退任に追い込まれ、ファンドが推薦する社外取締役が選任されるに至ったことは、株主総会の決議の方法が著しく不公正なもの、あるいは多数決の濫用として、決議取消の訴えの事由となりうること等については、「正論」論文において述べたので繰り返さない。
  3. ※ なお、アクテイビストの中には、本年3月の臨時総会の第2号議案のように分配可能利益はすべて株主に現金か自社株買いで還元することを求める定款変更決議に賛成した者も多く、企業の中長期の事業目的を遂行するための利益の活用という経営判断裁量を全面否定して構わないとする集団が相当数存在したことは確かである(39.33%の株主が賛成した)。

 

4 株主総会における多数決の制約原理の多様性

 ところで、独立社外取締役も結局は株主総会で選任されるではないかとの素朴な思いが株主の地位の過大評価につながっているとも思われるので、そう単純に考えてはならない事情について、最後にその項目を列挙し若干のコメントを付しておくこととする。

  1.   英独仏にあるファンドないしアクティビスト対応の素性情報提供請求権制度が日本には存在しない。買収防衛策には被買収会社に買収者情報提供請求制度が用意されており、これを遵守しないと株主になることすらできない。議決権行使は企業および企業社会のデモクラシーを左右する権利であり、そうした権利を有する者としての正当性が確認される必要がある。
  2.   日本の買収ルールとして最高裁判決で承認されている濫用的買収者概念は、株主になったあとでも有効であり、濫用的株主概念が消えることはあり得ない(議決権の濫用法理の活用等)。
  3.   支配株主には支配に伴う責任が生ずることは世界の常識であるが(支配株主の誠実義務等)、日本にはこの概念が承認されていないために株式を多数有していれば何でもできると思い込んでいる株主が非常に多い。
  4.   昭和56年改正以前に存在した、株主総会における特別利害関係株主の議決権排除制度が廃止されたことで、利害関係のある株主による議決権行使に対する直接的な制約がなくなり、多数株主の行為に対する制約が著しく弱体化した。
  5.   議決権行使の事前差止(議決権行使禁止の仮処分)制度は例外的に適用されることがあっても(国際航業事件等)、活用されていないため、みすみす多数決の濫用と見られる議決権行使でも事前にチェックできなくなっている。多数決の濫用は現在では株主総会決議取消の訴えの事由になっているが、取消判決が出された後の処理等に困難な問題が生じ、事後規制には大きな限界がある。
  6.   株主の属性情報の開示がなされない中で、ファンド株主と自然人株主との間にも株主平等原則が適用されるかの思い込みが蔓延している。フランス・フロランジュ法は、株式を2年以上有する株主の議決権を2倍とすることで、短期的な株主を相当程度排除しているが、こうした制度は日本にも早急に導入すべきである。
  7.   議決権行使助言機関は短期的保有の海外ファンド等を得意先としており、今回の東芝の件でもファンドと一体の行動をしているが、その存在に係る情報開示はきわめて不十分であり、速やかに法規制の対象とすべきである(アメリカでは2022年総会シーズンから規制対象になる)。
  8.   アメリカは州会社法に反テークオーバー法を有しており、英国も長年の経験を有するテークオーバー・コードおよびその執行機関であるパネルが存在するが、日本には体系的な企業買収法自体がない。
  9.   昭和13年改正商法の時点で、日本には名義書換後6ヵ月は議決権を行使できないとの定款規定を設けることができるとの規定が存在した。こうした制度の復活は喫緊の課題である。日本では株式を売った者が株主総会で議決権を行使することに疑問を持たない向きが多い。

 株主による議決権行使とは、以上のような諸制度の充実を前提としてその意義を発揮しうるものであるが、日本ではこれらの制度と法解釈の不備がファンド株主等の存在感を不当に高めており、そのことが彼らの跳梁跋扈を許していることを、改めて認識する必要がある。

以 上

 


(うえむら・たつお)

早稲田大学名誉教授

 

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