- 1 経過観察を受けている被爆者が原子爆弾被爆者に対する援護に関する法律10条1項所定の「現に医療を要する状態にある」と認められる場合
- 2 経過観察自体が、経過観察の対象とされている疾病を治療するために必要不可欠な行為であり、かつ、積極的治療行為の一環と評価できる特別の事情があるといえるか否かについての判断の方法
- 3 慢性甲状腺炎について経過観察を受けている被爆者が原子爆弾被爆者に対する援護に関する法律10条1項所定の「現に医療を要する状態にある」と認められるとはいえないとされた事例
- 1 経過観察を受けている被爆者が原子爆弾被爆者に対する援護に関する法律10条1項所定の「現に医療を要する状態にある」と認められるためには、当該経過観察自体が治療行為を目的とする現実的な必要性に基づいて行われているといえること、すなわち、経過観察の対象とされている疾病が、類型的に悪化又は再発のおそれが高く、その悪化又は再発の状況に応じて的確に治療行為をする必要があることから当該経過観察が行われているなど、経過観察自体が、当該疾病を治療するために必要不可欠な行為であり、かつ、積極的治療行為(治療適応時期を見極めるための行為や疾病に対する一般的な予防行為を超える治療行為をいう。以下同じ)の一環と評価できる特別の事情があることを要する。
- 2 経過観察自体が、経過観察の対象とされている疾病を治療するために必要不可欠な行為であり、かつ、積極的治療行為の一環と評価できる特別の事情があるといえるか否かは、経過観察の対象とされている疾病の悪化又は再発の医学的蓋然性の程度や悪化又は再発による結果の重大性、経過観察の目的、頻度及び態様、医師の指示内容その他の医学的にみて当該経過観察を必要とすべき事情を総合考慮して、個別具体的に判断すべきである。
- 3 慢性甲状腺炎について経過観察を受けている被爆者は、次の⑴~⑷など判示の事情の下においては、原子爆弾被爆者に対する援護に関する法律10条1項所定の「現に医療を要する状態にある」と認められるとはいえない。
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- ⑴ 慢性甲状腺炎が続発症である甲状腺機能低下症に至る割合は全体の10%に満たないとされている上、これに至ったとしても、直ちに重篤な結果が生ずることが一般的であるとまではうかがわれない。
- ⑵ 当該被爆者につき甲状腺機能低下症の診断における有力な検査所見で異常値が示されたことはなく、その状態が慢性甲状腺炎の診断から同法11条1項に基づく認定の申請までの約16年間継続していた。
- ⑶ 慢性甲状腺炎については、根本的かつ永続的に治療する確実な手段はまだないとされており、一般に、1年に1回程度の定期検査で経過観察を行い、甲状腺機能が低下した場合に初めて甲状腺ホルモンの補充療法を行うとされているところ、当該被爆者の慢性甲状腺炎については、おおむね3箇月に1回の経過観察が必要との診断の下で経過観察が行われていたものの、その態様は、問診や触診による甲状腺の様子の観察を行い、必要に応じて、血液検査やエコー検査を行うというものにすぎず、その結果、上記⑵の慢性甲状腺炎の診断から申請までの間に投薬治療が必要とされることもなかった。
- ⑷ 当該被爆者の慢性甲状腺炎については、主治医が何らかの合併症や続発症の具体的な前兆を把握した上で積極的治療行為を行っていたものとはいい難い状況が継続していた。
- (1~3につき、補足意見がある。)
(1~3につき) 原子爆弾被爆者に対する援護に関する法律10条1項、原子爆弾被爆者に対する援護に関する法律11条1項
平成30年(行ヒ)第215号 最高裁令和2年2月25日第三小法廷判決
原爆症認定申請却下処分取消等請求事件 破棄自判 民集74巻2号19頁
第1審:平成23年(行ウ)第149号 名古屋地判平成28年9月14日
第2審:平成28年(行コ)第74号 名古屋高判平成30年3月7日
第1 本件は、原子爆弾被爆者に対する援護に関する法律(以下「被爆者援護法」という。)1条に規定する被爆者であるX(原告・控訴人・被上告人)が、同法11条1項に基づく認定(以下「原爆症認定」という。)の申請をしたところ、処分行政庁(厚生労働大臣)からこれを却下する旨の処分を受けたことから、国(被告・被控訴人・上告人)を相手に、同処分の取消しと国家賠償を求めた事案である。
最高裁では、申請疾病につき経過観察を受けているだけのXが被爆者援護法10条1項にいう「現に医療を要する状態にある」と認められるか否か(要医療性が認められるか否か)をめぐって、その判断枠組み等が問題となった。
第2 事実関係の概要等は、次のとおりである。
1 事実関係の概要
Xは、長崎原爆が投下された際(当時9歳5か月)、当時の長崎市の区域内に在り、かつ、同日午後に爆心地から1.5㎞~2.0㎞の地点に立ち入った被爆者である。
Xは、平成6年1月に慢性甲状腺炎と診断されてから同22年2月まで継続的に医師による経過観察を受けた。経過観察の具体的内容は、問診や触診、甲状腺機能に関する各種の検査であり、検査においては、平成6年以降、抗TPO抗体(甲状腺に対する抗体)が繰り返し陽性を示し、同18年7月以降は、FT3(甲状腺ホルモンの一種)についてもほぼ毎回基準値より低い値が検出されたため、甲状腺機能の低下が疑われた。
しかし、甲状腺機能低下の有無の判断において最も重視されるTSH(甲状腺刺激ホルモン)及びFT4(甲状腺ホルモンの一種)については、平成6年1月から同22年2月まで一貫して異常値がみられず、結局、甲状腺機能低下症と診断されることもなく、Xに対しては、同22年2月までに積極的な治療行為は施されなかった。
Xは、平成22年3月に慢性甲状腺炎を申請疾病とする原爆症認定の申請をしたが、その後も、触診やエコー検査等による経過観察を受けるのみであった。
なお、第2審が確定した専門的知見によれば、慢性甲状腺炎に対する積極的な治療法はまだ見つかっていないとのことである。
2 訴訟の経過
第1審(判例時報2350号3頁)は、Xの慢性甲状腺炎は、原爆症認定申請の時点において積極的な治療行為を伴わない経過観察の対象とされていたにとどまり、将来悪化する蓋然性が高いなどの特段の事情を伴っていたとも認められないから、Xの慢性甲状腺炎には要医療性が認められないとして、原爆症認定申請を却下した処分行政庁の判断に違法はないと判断し、同却下処分の取消請求を棄却した。
これに対し、第2審(判例時報2373号12頁)は、経過観察のために通院している場合には積極的な治療行為を伴うか否かを問わず要医療性は認められるとした上で、慢性甲状腺炎は甲状腺機能低下症等の様々な合併症・続発症が生ずるおそれがあり、これらの合併症・続発症が発生している徴候の有無を見極めるために経過観察が行われていたことからすれば、要医療性は認められると判断し、第1審判決を取り消して、上記取消請求を認容した。
第3 説明
1 本判決は、原爆症認定を受けるには申請疾病について要医療性と放射線起因性の両方が必要であることを改めて確認した上で、単に経過観察を受けているという事実のみから要医療性を認めることはできず、経過観察を受けている状態について要医療性が認められるかどうかは、経過観察の対象とされている疾病の悪化又は再発の医学的蓋然性の程度や悪化又は再発による結果の重大性、経過観察の目的、頻度及び態様、医師の指示内容その他の医学的にみて当該経過観察を必要とすべき事情を総合考慮して、個別具体的に判断すべきである旨を判示し、その具体的な当てはめとして、Xが慢性甲状腺炎について経過観察を受けている状態については要医療性が認められるとはいえないとして、原爆症認定申請を却下した処分行政庁の処分に違法があるとはいえない旨を判断したものである。
2 要医療性がいかなる場合に認められるかについては、条文上の明確な解釈指針があるわけではない。もっとも、申請疾病について放射線起因性が認められる場合には、何らかの積極的な治療行為が行われているのが通常であるため、要医療性の要件を満たすか否かがそれほど大きな問題とならずに判断されているのが実情であった。しかし、積極的な治療行為を伴わない経過観察のみを受けている状態が要医療性を満たすといえるかについては、いくつかの裁判例でこれが問題とされてきた。
下級審の裁判例の動向を概観すると、㋐癌の切除手術などの積極的治療を受けた後に行われる経過観察については、再発の可能性が高いとされている期間内は経過観察自体が疾病に対する根治治療の一環に当たるものとして、比較的容易に要医療性が認められていることがうかがわれるが(長崎地判平成20・6・23訟月56巻3号219頁、大阪地判平成20・7・18訟月56巻3号491頁、鹿児島地判平成21・1・23判例秘書、東京高判平成21・5・28最高裁HP、横浜地判平成21・11・30判例秘書、長崎地判平成27・6・30訟月63巻2号921頁、東京地判平成27・10・29最高裁HP、東京地判平成28・6・29最高裁HP、大阪地判平成28・10・27判例秘書等)、㋑まだ積極的治療が開始されていない状況で行われている経過観察については、要医療性を容易には認めない傾向にあることがうかがわれ、㋑の類型で経過観察につき要医療性が認められるには、将来疾病が重症化することが見込まれ、重症化した場合に直ちに積極的治療を開始するために経過観察が必要と判断されるような特段の事情が必要であるとするものが多かったことがうかがわれる(福岡高判平成28・10・28訟月63巻2号906頁、広島高判平成30・2・9訟月66巻10号1594頁、広島地判平成平成27・5・20訟月66巻10号1538頁)。
もっとも、本件の第2審判決のように、㋑の類型であっても医師による経過観察を受けていれば、それが医師による診察行為を伴うものである以上、要医療性の要件を満たすと解すべきであるとする裁判例もあった。
3 たしかに、被爆者援護法10条1項に規定する「現に医療を要する状態」における「医療」が同条2項各号所定の「医療」と同義であるとすれば、同項1号には「診察」が含まれているから、経過観察を要する状態(=医師による診察を要する状態)は常に要医療性を満たすという解釈も形式的には成り立ちうる。
しかし、本判決が判示するとおり、医療特別手当が他の手当と比べて特に手厚い内容とされていること等に照らすと、単に被爆者援護法10条2項各号に該当する行為を必要とするだけで要医療性の要件が常に満たされる結果となることを同法が予定しているとは解し難いものと考えられる。
本判決は、被爆者援護法10条2項各号は原爆症認定を受けた者に給付される医療の内容を列挙したものにすぎず、同条1項に規定する「現に医療を要する状態」に当たるか否かは、同法が規定する給付制度の全体的な仕組みや各種給付の趣旨から実質的に判断すべきものと解釈したものである。
4 本判決は、経過観察を受けている状態につき要医療性が認められるか否かを判断するに当たって考慮すべき事情として、判旨2のとおり、①当該疾病の悪化又は再発の医学的蓋然性の程度、②悪化又は再発による結果の重大性、③経過観察の目的、頻度及び態様、④医師の指示内容その他の医学的にみて当該経過観察を必要とすべき事情を挙げている。
これらは総合考慮の対象とすべき事情を列挙したものであるため、各事情の位置付けや重みは個別の事案ごとに判断するほかないが、各事情が列挙されるに当たってはおおむね次のような点が考慮されているものと考えられる。
まず、①当該疾病の悪化又は再発の医学的蓋然性については、この程度が高い場合には、経過観察といえども、疾病に対する治療開始時期を適切に見極めること自体の重要度が高くなるものと予想され、そのような経過観察自体を疾病に対する治療の一環と評価する余地も生ずる上、経過観察がそのようなものであることの結果として、検査の頻度が増し、検査内容も精密さを増すなど、患者への負担等も大きくなることが予想されるため、医療特別手当が支給されるべき状態として想定されている事態により近づく結果となるであろうことが考慮されているものと考えられる。
次に、②悪化又は再発による結果の重大性も、上記①と同様であり、疾病の転帰が重大であったり、病勢が重かったりする場合は、早期に的確な対応を採る医学的必要性が高いものと考えられ、その端緒を得るために重点的に行われる経過観察は密度も濃く、一般的な定期検査とは性質が異なることが多いと予想されることが考慮されているものと考えられる。
そして、③経過観察の目的、頻度及び態様については、経過観察の頻度があまりにも低く、また、態様も一般的な検査にとどまるような場合には、特定の疾病に対する経過観察といえども、定期的な健康診断と異ならないようなこともありうることから、経過観察の目的をも踏まえつつ、これを受けている状態が医療特別手当を支給する趣旨に合致する状態であるといえるか否かを検討するために、考慮要素の1つとされたものと考えられる。
最後に、本判決は、④医師の指示内容その他の医学的にみて当該経過観察を必要とすべき事情を考慮要素としている。これは、経過観察には多種多様なものが含まれうるため、当該患者における経過観察の位置付け等については医学的知見によるところが大きいことから、考慮要素の1つとされたものと考えられる。
5 判決要旨3は、慢性甲状腺炎につき経過観察を受けていたXの具体的な診療経過に照らして、要医療性が認められるとはいえないと判断したものである。
その判断の詳細は判決文のとおりであるが、慢性甲状腺炎については根本的かつ永続的に治療する確実な手段はまだないとされていることからすると、これに対する経過観察は甲状腺機能低下症等の続発症やその他の合併症を早期に発見するために実施されているものといわざるを得ない。そして、その方法は一般的には1年に1回程度の定期検査でよいとされていることや、Xについてはおおむね3か月に1回の経過観察が必要とされていたとはいえ、その態様は問診や触診が中心であり、血液検査も必要に応じて行われていたにすぎなかったこと、慢性甲状腺炎が甲状腺機能低下症に至る割合は全体の10%に満たないとされており、これに至ったとしても直ちに重篤な結果が生ずることが一般的であるとまではうかがわれないこと等からすると、Xが経過観察を受けている状態が医療特別手当を支給する趣旨に合致する状態であったとはいえないと判断したものと考えられる。
6 本判決には、慢性甲状腺炎に係る経過観察であればおよそ要医療性が認められないというものではなく、Xについても、疾病の状況の変化等の事情の変更により、要医療性が認められる可能性がある旨をいう宇賀克也裁判官の補足意見が付されている。
宇賀裁判官の補足意見にもあるとおり、経過観察が行われる目的は多種多様であるため、今後、経過観察の内容等が変わればXについても要医療性が認められる余地がある。このように要医療性の判断は個別性が高いものであるため、要医療性の要件充足に関する判断の在り方については、今後の裁判例の集積を待つほかないが、本判決によって、要医療性が認められるための要件と考慮要素が示されたことは、原爆症認定における今後の審査実務にとっても意義のあることといえよう。
7 本判決は、経過観察が行われている疾病について要医療性が認められるための要件とその該当性判断における考慮要素について最高裁が初めて判断を示したものである上、その当てはめの例も示したものであり、理論上も実務上も参考になると思われる。
本判決の評釈等として、①岩本浩史・新・判例解説Watch行政法No.210、②飯島淳子・法教477号(2020)140頁、③太田匡彦・ジュリ1548号(2020)72頁、④樽井直樹・賃金と社会保障1758号(2020)9頁、⑤田村和之・賃金と社会保障1758号(2020)29頁、⑥内藤雅義・賃金と社会保障1758号(2020)36頁、⑦嵩さやか・民商法雑誌156巻5・6号(2020)929頁等がある。