◇SH3938◇北京2022オリンピックCAS事例報告――CASオリンピック仲裁の概要からワリエワ事件まで(1) 宮本聡/細川慈子/簑田由香(2022/03/15)

未分類

北京2022オリンピックCAS事例報告

―CASオリンピック仲裁の概要からワリエワ事件まで―(1)

弁護士法人大江橋法律事務所 東京事務所

弁護士 宮 本   聡

弁護士 細 川 慈 子

弁護士 簑 田 由 香

 

連載開始に当たり

 北京2022オリンピックでは、アスリートの華々しい活躍が多くの感動を呼んだ一方、ロシアオリンピック委員会(以下「ROC」という。)に所属するフィギュアスケーターであるワリエワ選手のドーピング違反疑惑に起因する出場資格の問題が大々的に報道され、スポーツ仲裁裁判所(Court of Arbitration for Sport)(以下「CAS」という。)のAd Hoc Division(臨時部。以下「CAS AHD」という。)の判断が注目を集めた。ワリエワ事件以外にも、CAS AHDにはいくつかの紛争案件が係属し、迅速な解決が試みられた。

 本連載は、CAS AHDの概要や北京2022オリンピックのCAS AHDの仲裁判断事例の紹介を中心に、全5回の掲載を予定しており、連載予定は以下のとおりである。本連載を通じて、CASおよびCAS AHDへの理解が広がり、アスリートをめぐる紛争の適正かつ迅速な解決に少しでも役立つことができれば幸いである。

 


  1. Ⅰ.CAS AHDについて(2022/03/15)
  2. Ⅱ.北京2022オリンピックのCAS AHD事例(総論)(2022/03/16)
  3. Ⅲ.北京2022オリンピックの個別事例①:ROCモーグル選手のワクチン接種に起因する出場枠の割当事件(2022/03/17)
  4. Ⅳ.北京2022オリンピックの個別事例②:ROCワリエワ事件(2022/03/18)
  5. Ⅴ.北京2022オリンピックの個別事例③:フィギュア団体表彰式事件(2022/04/13)


 

Ⅰ CAS AHDについて

1 概要

 スポーツ仲裁裁判所(Court of Arbitration for Sport)はスポーツ関連の紛争を仲裁・調停手続により解決する国際的紛争解決機関(本部はスイス・ローザンヌ)であり、その頭文字を取って一般に「CAS」と呼ばれている。

 CASは仲裁機関であり、第三者的な立場の仲裁人が選任され、仲裁人の下で仲裁手続が進められる。仲裁人の候補者リストはCASのウェブサイトで公表されており、世界各国の弁護士や大学教授等がリストアップされている。CASの手続では原則として英語、フランス語またはスペイン語が用いられる。

 そのCASが、オリンピック時(夏季・冬季とも)に、オリンピック直前および開催期間中の紛争を迅速に解決する臨時の特別部(CAS AHD)およびドーピング部(CAS ADD)をオリンピック開催地に設置しており、東京2020オリンピック[1]、および今般の北京2022オリンピックでも設置された。

 

2 CAS AHDの特徴

  1.   ⑴ 審理の対象(管轄)
  2.    CAS AHDでの審理対象となる案件は限定されており、オリンピック直前および開催期間中の紛争のみが審理の対象となる。具体的には、以下の2つの要件を満たす紛争である必要があり[2]、②の要件を満たすかどうかがポイントとなることが多い。

    1. ① オリンピック憲章61条[3]の対象となる紛争であること、および
    2. ② 当該紛争が、オリンピック競技大会の期間中またはオリンピック競技大会の開会式(今回の場合2022年2月4日開会)に先立つ10日間(今回の場合は同年1月25日以降)に生じたものであること
  3.    なお、2022年3月3日、International Paralympic Committeeが、ロシアパラリンピック委員会(以下「RPC」という。)およびベラルーシパラリンピック委員会(以下「NPC Belarus」という。)の所属選手について、北京2022パラリンピック大会(同月4日開会式)への参加を認めない旨の決定をし、これに対して、RPCおよびNPC BelarusがCASへの仲裁申立てを検討している旨の報道がなされた(もっとも、その後の報道ではCASへの仲裁申立てを断念したとされる。)。
  4.    この点、オリンピックと異なり、パラリンピック直前および開催期間中の紛争は、CAS AHDの審理対象にはならないため、RPC等がCASに仲裁申立てをするにしても、CAS AHDへの申立てはできなかった(管轄なしと判断された)と考えられる(北京2022オリンピック大会のCAS AHDの設置期間は2022年2月20日までとされている)。
     
  5.   ⑵ 迅速な審理(24時間以内の判断(原則))
  6.    出場資格に関する紛争を始めとしてCAS AHDの審理対象となる案件は、迅速な判断・解決が求められることから、CAS AHDでの審理には通常のCASの仲裁手続とは異なった、特別な規則(CAS Arbitration Rules for the Olympic Games)(以下「CASOG仲裁規則」という。)が適用される。
  7.    仲裁廷は原則として仲裁申立てから24時間以内に判断をしなければならない(CASOG仲裁規則18条)。この24時間は、申立書が受理される際に発行される受領時刻(同規則9条b))から起算される。
  8.    もっとも、実務的には24時間以内に仲裁判断がなされる事例はそれほど多くなく、仲裁判断までに数日あるいはそれ以上の時間を要する事例もある。ただし、事案の性質上、殊に迅速な解決が求められる案件(たとえば、出場資格をめぐる紛争で、競技が数日後に予定されているような場合)では24時間以内に判断が出されることもあり、24時間以内に判断が出されないにしても可能な限り迅速な審理判断が試みられる。
     
  9.   ⑶ 仲裁人の選任
  10.    CAS AHDで3名の仲裁人により仲裁廷が構成される場合には、CAS AHDの長が特別なリストの中から3名の仲裁人を選任する(CASOG仲裁規則11条)こととされており、申立人・相手方はいずれも仲裁人の指名権を持たない。
     
  11.   ⑷ 仲裁判断・不服申立て
  12.    仲裁判断は(電子メール等で)当事者に通知された時点で即時に発効する。迅速性を重んじる手続の性質上、仲裁廷は、判断の主文のみを先行して当事者に通知して判断の効力を生じさせ、理由を後回しにすることも可能とされている(CASOG仲裁規則19条)。
  13.    仲裁判断に不服のある当事者は、一定の条件を満たす場合に限り、判断が通知された日から30日以内にスイス連邦最高裁判所に対して取消しを求めることができる(CASOG規則21条)が、取消手続には少なくとも数か月かかり、また、取消事由も限定されていることから、CAS AHDの仲裁判断が重要な意味を持つことになる。

3 ドーピング部(CAS ADD)

迅速な紛争解決を目的としたCAS AHDの手続と同じく、ドーピング違反事案の迅速な解決を目的として、オリンピック開催地にはCAS ADDが置かれ、オリンピック競技大会の期間中またはオリンピック競技大会の開会式に先立つ10日間に生じたドーピング違反事例が、CAS ADDでの審理の対象となる。CASADDの判断に不服がある場合には、CAS AHDへの上訴が可能とされている。

なお、後記IVの2のCAS OG 22/08-22/10(ワリエワ事件)は、ドーピング違反の嫌疑に起因する事案であるが、審理されたのはワリエワ選手への暫定的資格停止処分の解除決定の適否であり、オリンピック期間中または開会式に先立つ10日間に生じたドーピング違反の有無ではないため、CAS ADDではなく、CAS AHDで審理されている。

(2)につづく



[1] 東京2020オリンピック大会のCAS AHDの仲裁事例報告として、前田葉子=宮本聡「東京オリンピックのCASスポーツ仲裁 第1号案件」NBL1211号(2022)43頁。

[2] CASOG仲裁規則1条

[3] オリンピック憲章61条の対象となる紛争は次の2つである。
①国際オリンピック委員会(International Olympic Committee)(以下「IOC」という。)の決定の適用や解釈をめぐる紛争、または②オリンピック競技大会の開催中、または大会に関連して発生した紛争であること。

 


(みやもと・そう)

弁護士(弁護士法人大江橋法律事務所東京事務所)・ニューヨーク州弁護士。2006年3月筑波大学第一学群社会学類法学専攻卒、2007年9月弁護士登録・弁護士法人大江橋法律事務所東京事務所入所。2016年5月University of Virginia, School of law卒業(LL.M.)、2016年8月~2017年7月米国法律事務所Wilson Sonsini Goodrich & Rosati(Washington, D.C.)Antitrust Practice Group勤務。2018年ニューヨーク州弁護士登録。
主な取扱分野は事業再生、紛争解決及びスポーツ法。主な著書論文(共著)として「東京オリンピックのCASスポーツ仲裁 第1号案件」NBL1211号(2022)43頁。

 

(ほそかわ・あいこ)

弁護士(弁護士法人大江橋法律事務所東京事務所)。2008年東京大学法学部卒業、2010年東京大学法科大学院修了、2011年弁護士登録。2017年University of California, Berkeley, School of Law卒業(LL.M.)、2017年~2018年ドイツ大手法律事務所の国際仲裁プラクティスグループへ出向。主な取扱分野は国際仲裁を含む国際・国内紛争解決。主な著書論文として「国際仲裁入門――比較法的視点から」JCAジャーナル2018年1月号・2月号、『約款の基本と実践』(商事法務、2020)他。

 

(みのだ・ゆか)

弁護士(弁護士法人大江橋法律事務所東京事務所)。2015年慶應義塾大学法学部法律学科卒業、2017年東京大学法科大学院修了、2018年弁護士登録。主な取扱分野はコーポレート・M&A、紛争解決、消費者法。

 

弁護士法人大江橋法律事務所:https://ohebashi.com/jp/

1981年に設立され、弁護士150名以上が所属し企業法務中心にフルサービスを提供する総合法律事務所である(2022年3月現在)。東京、大阪、名古屋を国内の主要拠点としつつ、上海事務所及び各国の有力な法律事務所との独自のネットワークを活用して積極的に渉外業務にも取り組んでいる。会社法、M&A、紛争解決、労務、知財、事業再生、独禁法、情報法、ライフサイエンスなどの幅広い分野において、総合的な法的アドバイスを提供している。

(東京事務所)
〒100-0005 東京都千代田区丸の内2-2-1 岸本ビル2階
TEL:03-5224-5566(代表) FAX:03-5224-5565

(大阪事務所)
〒530-0005大阪市北区中之島2-3-18 中之島フェスティバルタワー27階
TEL:06-6208-1500(代表) FAX:06-6226-3055

(名古屋事務所)
〒450-0002 名古屋市中村区名駅4-4-10 名古屋クロスコートタワー16階
TEL:052-563-7800(代表) FAX:052-561-2100

(上海事務所)
〒200120 上海市浦東新区陸家嘴環路1000号 恒生銀行大厦(Hang Seng Bank Tower)13階
TEL:86-21-6841-1699 (代表) FAX:86-21-6841-1659

タイトルとURLをコピーしました