国際契約法務の要点――FIDICを題材として
第51回 第11章・紛争の予防及び解決(1)――総論(4)
京都大学特命教授 大 本 俊 彦
森・濱田松本法律事務所
弁護士 関 戸 麦
弁護士 高 橋 茜 莉
第51回 第11章・紛争の予防及び解決(1)――総論(4)
7 その他留意点
法的紛争に対峙する上での留意点として、直ぐに想起されるものとしては、以下が挙げられる。
⑴ トータルの損害を減らす
第43回において、損害の回避が不履行リスクの回避、換言すれば履行の確保につながると述べた。この観点は、法的紛争が発生した後、その効率的解決をはかるという場面にも当てはまる。すなわち、損害が生じ、これをめぐる法的紛争が発生したとしても、トータルの損害が少なければ少ないほど、効率的解決がはかりやすい。ここでいうトータルの損害というのは、自らに生じる損害と相手方に生じる損害の、総和である。
法的紛争の解決には、一般的には次の4段階があり、下の段階に進めば進むほど、紛争解決のコスト(労力、時間、費用等)は増加する傾向にある。
- ① 当事者間での和解交渉
- ② 代理人弁護士間の和解交渉
- ③ 調停人等の第三者を介しての和解交渉手続
- ④ 訴訟、仲裁等の第三者の強制力ある判断を求める手続
トータルの損害が少なければ少ないほど、和解実現のために各当事者に求められる譲歩の絶対量が少なくて済み、上の段階で和解がまとまる可能性が高くなる。他方、トータルの損害が大きくなるほど、その絶対量の多さ故に和解実現のための譲歩が困難となり、④の手続において、第三者の判断を求めざるを得なくなる可能性が高くなる。
トータルの損害を減らすためには、自らの損害に着目するだけではなく、相手の損害に着目する必要がある。また、トータルの損害を減らすタイミングは、保険金等による事後的な損害回復を除けば、基本的に損害が拡大している最中という、初期の段階である。この点は、法的紛争の解決において初期対応が重要となる理由の一つである。
⑵ 執行可能性
請求する場面では、執行できなければ、判決又は仲裁判断において勝訴したとしても、回収に結びつかない。いわば、勝訴の判断が絵に描いた餅となる。
そこで執行可能性が、重要な視点となる。また、その確保のために、第43回で述べた与信判断、担保取得等が、契約締結時等の当初の段階から、留意事項となる。
⑶ 保険会社への通知
保険契約上の義務として、法的紛争発生時、あるいはその原因となる事象の発生時において、保険会社への通知が求められることは一般的である。この義務の不履行は、保険金請求の支障となり得るため、確実に果たすべきである。
⑷ 証拠の保全
証拠は説得的な議論のために必要であるから、
これに加え、米国民事訴訟では、そのディスカバリールール上、証拠を保全し、その散逸を回避することが訴訟当事者の義務とされている。その他の海外の民事訴訟や、国際仲裁においても、証拠の保全は必要であることが多く、少なくとも証拠の隠滅は許されない。
この点は、日本の感覚と異なりうる点であるため、留意が必要である。日本の感覚では、社内文書や、不利な文書を証拠提出せず、その存在も明らかにしないことについて、当然視する傾向があると考えられる。しかし海外では、これらの開示ないし証拠提出は当然であり、これに応じないことが問題視されることが多い。
国や地域毎にルールが異なる点なので、一概には言えないものの、リスクがあり得るということは出発点として認識するべきである。ルール違反に対する制裁としては、米国民事訴訟では、多額の金銭的制裁、事実を不利に推認又は認定されるという制裁、さらには法廷侮辱罪の制裁があり得る。国際仲裁でも、事実を不利に推認されるという制裁(国際仲裁では「adverse inference」と呼ばれる)や、仲裁人が当事者間のコスト分担の割合を判断する場面において、不利に考慮されることが考えられる。
米国民事訴訟では、証拠を保全するための所定の社内手続(社内通知の送付等)が必要であり、これを怠ると上記制裁の対象となりうる。
⑸ 不利な証拠を作らない
当方関係者が作成した文書、電子メール等は、相手方にとって決定的に有利な証拠となる可能性があり、換言すれば当方にとって決定的に不利な証拠となり得る。例えば、不利な事実を認める内容、悪印象を与える内容である場合である。
相手方は、その様な証拠を、直接受領する場合の他、ディスカバリー等の証拠収集手続を通じて入手する可能性がある。そのため、不利な証拠となるような文書、電子メール等を作成しないように留意するべきこととなる。
⑹ 有利な証拠を残しておく
客観的には有利な事実が存在したとしても、相手方がその存在を否定した場合、証拠により証明できなければ、訴訟や仲裁においては存在しないものとして扱われてしまう。
したがって、有利な事実については、証拠を残しておくべきということになる。
また、その証拠に有利な事実と不利な事実とが混在すると、使いにくい証拠となるため、不利な事実の混在は避けるべきである。
証拠が残る典型的な場面は、相手方とのメール、文書等のやり取りと、社内的な議事録、報告文書等の作成である。その際には、上記の点に留意するべきである。
⑺ 秘匿特権に留意する
英米法では、弁護士と依頼者間の法的業務に関するやり取りは、秘匿特権として相手方に開示等をする必要がない。この秘匿特権を十分に享受できるようにすることも、留意事項である。
これが当てはまる一つの典型的な場面が、外部の専門家に相談する場面である。当事者が外部の専門家に直接相談すると、この秘匿特権の対象となることはないが、弁護士を通じて相談すると、弁護士及びその補助者間のやり取りとして、この秘匿特権の対象となりうる。外部の専門家の見解は不利である可能性もあり、これが相手方への開示対象になると、訴訟又は仲裁の帰趨にとって、大きな悪影響となる可能性がある。そのため、弁護士を通じた相談とし、秘匿特権の対象とすることが重要である。
⑻ 期間制限に反しない
法的紛争に関しては、消滅時効、出訴期間(statute of limitation)、上訴期間等の様々な期間制限が存在する。その違反は、請求権の喪失ないし実現不可能という著しい不利益に帰結しうるため、十分な留意が必要である。(特にFIDIC条件書ではクレーム・ノーティスをクレームの請求権を認識した日、または、当然認識してしかるべき日から28日以内に提出しなければならない。1日でも遅れたらクレームの権利を喪失すると厳密に解されることを、認識しておかなければならない。)
⑼ 整理と取捨選択のためのフレームワークを持つ
法的紛争で扱う情報は、膨大となる。但し、結論に影響を及ぼす程度という観点で重要度をみると、その偏差は著しく、したがって、重要な情報を効果的に把握することが必要である。
そのためには、争点が何か、結論の分かれ目となる点が何かを意識することは極めて有益である。
また、整理の視点を持つことも有益である。例えば、争点は、責任論に関する争点と、損害論に関する争点とに区分できる。責任論とは、請求が認められるか、換言すれば、それを基礎づける権利義務が認められるかを検討するものである。損害論は、請求が認められることを前提として、その金額がいくらであるかを検討するものである。この様な区分は、法的紛争という複雑な情報処理が必要とされる場面で、極めて有益と考えている。
⑽ 社内報告で完全を求めない
認識の共通化をはかるためのコミュニケーションには、コストがかかる。訴訟及び仲裁における主張立証は、基本的に、代理人弁護士から裁判官及び仲裁人に向けられたかかるコミュニケーションであり、そのコストの大きさは広く認識されている。
一方、社内報告も、認識の共通化をはかるためのコミュニケーションであり、相応にコストがかかるが、そのコストの大きさには、意識が向けられないことが多いようにも思われる。しかしながら社内報告が肥大化し、そのコストが裁判官及び仲裁人に向けられたコミュニケーションのコストに匹敵する事態も、あり得なくはない。
もちろん社内報告は重要であり、コストをかけるべきものではあるが、効率的な法的紛争解決という観点からは、合理的なコストであるべきである。そこで重要な視点が役割分担であり、換言すれば、任せる、信頼するという視点である。
法的紛争に直面し、不安を感じ、その解消のために多くの社内報告を求める気持ちは、当然のものであり、理解できる。しかしながら、法的紛争の解決は、人と人との間で行う和解交渉や、人による強制力を持った判断であり、不確実性が避けられない。したがって、いかに多くの情報を得ようとも、不確実性が消えることはなく、これに由来する不安が消えることもない。
また、法的紛争の解決においては役割分担がある。多くの場合、経営者が行うべきことは限られており、法務担当者と、外部弁護士に任せることが基本になる。そうすると、経営者とすれば、任せること、信頼することの合理性が確認できるだけの情報と、自ら判断する限られた事項に関する情報とが得られれば十分といえ、詳細を把握することは必須ではない。
以上を踏まえて、合理的なレベルで、効果的に社内報告を行うという視点も、コスト管理の目的にとって重要である。
8 小括
以上、法的紛争に対峙する手続の中で、留意するべきことを述べてきた。
これらに留意し、実行することは容易ではないが、効果的な紛争の予防ないし解決のためには、重要なことである。長期間に及び得る手続であることも踏まえ、粘り強く留意して頂ければと考えている。