北京2022オリンピックCAS事例報告
―CASオリンピック仲裁の概要からワリエワ事件まで―(5・完)
弁護士法人大江橋法律事務所 東京事務所
弁護士 宮 本 聡
弁護士 細 川 慈 子
弁護士 簑 田 由 香
- Ⅰ.CAS AHDについて(2022/03/15)
- Ⅱ.北京2022オリンピックのCAS AHD事例(総論)(2022/03/16)
- Ⅲ.北京2022オリンピックの個別事例①:ROCモーグル選手のワクチン接種に起因する出場枠の割当事件(2022/03/17)
- Ⅳ.北京2022オリンピックの個別事例②:ROCワリエワ事件(2022/03/18)
- Ⅴ.北京2022オリンピックの個別事例③:フィギュア団体表彰式事件(2022/04/13)
Ⅴ 北京2022五輪の個別事例③:
フィギュア団体表彰式事件(CAS OG 22/11)
1 事案の経過
申立人9名(以下「本件申立人ら」という。)は、北京2022五輪に出場したフィギュアスケート団体(以下「フィギュア団体」という。)の米国チームのメンバーである。同競技は2022年2月7日に終了し、1位ROCチーム、2位米国チーム、3位日本チームという結果になった。同競技の表彰式は、当初、同日(2/7)に開催される予定であったところ、表彰式に団体チームメンバー全員が参加できるようになるまで延期された。同月8日、ROCチームの1人であるカミラ・ワリエワ選手(以下「ワリエワ選手」という。)から2021年12月に採取されたドーピング検査の検体から陽性反応が出たことにより、ワリエワ選手に対し暫定的資格停止処分がなされた。また、2022年2月8日、IOCは、フィギュア団体の表彰式が「法的な問題」により遅延することをアナウンスした。
同月9日、ワリエワ選手に対する暫定的資格停止処分はRUSADAにより取り消され、その後、かかる暫定的資格停止処分の取消し等を巡ってIOC等からCAS AHDに仲裁申立てがなされた。この件について、仲裁廷は、暫定的資格停止処分の取消しを維持する判断をしたものの、ワリエワ選手についてドーピング違反があったのかどうかについては判断を示さなかった(第4回:ROCワリエワ事件(CAS OG 22/08-22/10)参照)。
同月14日、IOC執行委員会は、関連するNOCとも初期的な協議を行ったうえで、「ワリエワ選手についてドーピング違反があったのかどうかの判断が出ていないことを踏まえると、公正性の観点から、北京2022五輪期間中のフィギュア団体表彰式の開催は適切でなく行わない」(以下「本決定」という。)および「ワリエワ選手のドーピング違反事件の結論が出た後に格調ある表彰式を開催する」旨の決定を行った。また、本件申立人らはIOC会長に会い、本決定の理由の説明を受けた。
2022年2月18日、本件申立人らは、CASがIOCに対し、北京2022五輪の閉幕前に、フィギュア団体のメダルを授与する表彰式を開催するよう命じることを求めて、CAS AHDに仲裁申立てを行った。本仲裁廷は、同月19日午後7時からヒアリングを行った後、同日、以下のとおり判断した。
2 判断要旨
表彰式等は、IOC五輪プロトコルガイドおよびオリンピック開催契約の要件に従って行われなければならず、私法上の契約であるオリンピック開催契約の準拠法はスイス法である。
スイス法等によると、契約は契約当事者間でのみ効力を有する。仮にIOCプロトコルの運営要件の規定(表彰式は競技会場で開催されなければならない旨の規定)が適用されるとしても、本仲裁廷は、これらの運営要件が、いつ、どこで、表彰式が開催されるかについて、本件申立人らに何らの権利も保証も与えるものではない、というIOCの見解に同意する。また、IOCプロトコルは、いつ、どこで表彰式を行うかについてのIOCの裁量を制約するものではない。
スイス法および確立されたCASの判例に従うと、スイスのスポーツ団体の意思決定機関の裁量的権限は広く認められている。かかる判例法理は一貫して権限の広範な行使を認めており、CASによって制約を受けるのは、極端な場合(つまり、違法、恣意または濫用が認められる場合)に限られる。
本決定は、濫用的でも、恣意的でも、権限を逸脱したものでもない。本決定は、本件申立人らから格調ある表彰式においてメダルを授与される機会を奪うものではなく、関連するNOCとの協議の後、かつ、本件申立人らがIOCの会長の前で意見を述べる機会を与えられた後になされたものである。
加えて、本仲裁廷は、ワリエワ選手の陽性反応に関連して起こり得る結果によって既に授与されたメダルが事後に変更されるリスクを回避したいIOCの利害を理解する。
本仲裁廷は、本件申立人らが五輪期間中の表彰式によりメダルを授与されることについての正当な期待・利益を理解する。しかしながら、このような状況が生じることを予期できた当事者はいないのであり、本仲裁廷は本決定によって本件申立人らの法的権利が侵害されたとの主張には法的根拠がないと考える。前例のない状況において、正当な期待の原則に基づく主張は本決定を取り消す十分な法的根拠にはならず、また、本決定は本件申立人らに課された制裁であるとも解されない。本件申立人らの主張する平等な取扱いの原則についても同様である。
本件申立人らは、五輪期間中に表彰式でメダルを授与された他の選手と異なった取り扱いを受けていると感じるかもしれないが、前例のない状況下において異なった取り扱いをすることが、当然に、正当な理由のない、不平等な取り扱いを構成あるいは示唆するものではない。本仲裁廷は、本決定は恣意的または正当化できないものではないと考える。
本件申立人らの素晴らしい成績や人生をかけた努力は称賛と尊敬に値し、本件は何の非もない選手らに影響した不運な状況であると理解している。しかしながら、同時に、本仲裁廷はこの件についての決定はひとえにIOCの裁量にゆだねられていると認める。
したがって、本件申立人らの請求には理由がない。
3 コメント
本件は、ROCワリエワ事件(CAS OG 22/08-22/10)(第4回:北京2022五輪の個別事例②参照)の発端となったドーピング違反の嫌疑により、フィギュア団体の表彰式が五輪期間中に開催されなくなったことから、2位となった米国チームが五輪期間中の表彰式の開催を求めたものである。
五輪期間中に表彰式を開催しない旨の決定や処分の適否が問題となった事例はCASのデータベースを調査した限りでは見当たらず、おそらく前例はないものと思われる。
表彰式の開催についてIOCに広い裁量があること、予想できず前例のない状況下であったこと等の本件の事情に鑑みればIOCの裁量の行使について恣意性や逸脱濫用はない、という本仲裁廷の判断内容に異論は出にくいと思われる。
本仲裁判断では、本件申立人らの所属する米国オリンピック・パラリンピック委員会(USOPC)が仲裁の当事者に含まれていないこと、本決定に先立ち関連するNOCにはIOCから事前相談がなされていたことなど、USOPCに関する事情が挙げられているが、これはIOCが予想できなかった状況下において関係者にも配慮した決定プロセスを行ったことを基礎づける事情と思われ、権限の恣意的、濫用的な行使がなかったことを推認させる事情となっている。
本件では、3位となった日本チームのメンバーも、本件申立人らと同様な状況であったといえるが、フィギュア団体の日本チームの選手による仲裁申立てはなされていない。米国と日本とで選手の対応が分かれたことには、様々な要因があるであろうが、米国と日本との紛争への対処に関する社会文化的な背景の違い[9]も遠因の一つではないかと推察される。
(完)
(みやもと・そう)
弁護士(弁護士法人大江橋法律事務所東京事務所)・ニューヨーク州弁護士。2006年3月筑波大学第一学群社会学類法学専攻卒、2007年9月弁護士登録・弁護士法人大江橋法律事務所東京事務所入所。2016年5月University of Virginia, School of law卒業(LL.M.)、2016年8月~2017年7月米国法律事務所Wilson Sonsini Goodrich & Rosati(Washington, D.C.)Antitrust Practice Group勤務。2018年ニューヨーク州弁護士登録。
主な取扱分野は事業再生、紛争解決及びスポーツ法。主な著書論文(共著)として「東京オリンピックのCASスポーツ仲裁 第1号案件」NBL1211号(2022)43頁。
(ほそかわ・あいこ)
弁護士(弁護士法人大江橋法律事務所東京事務所)。2008年東京大学法学部卒業、2010年東京大学法科大学院修了、2011年弁護士登録。2017年University of California, Berkeley, School of Law卒業(LL.M.)、2017年~2018年ドイツ大手法律事務所の国際仲裁プラクティスグループへ出向。主な取扱分野は国際仲裁を含む国際・国内紛争解決。主な著書論文として「国際仲裁入門――比較法的視点から」JCAジャーナル2018年1月号・2月号、『約款の基本と実践』(商事法務、2020)他。
(みのだ・ゆか)
弁護士(弁護士法人大江橋法律事務所東京事務所)。2015年慶應義塾大学法学部法律学科卒業、2017年東京大学法科大学院修了、2018年弁護士登録。主な取扱分野はコーポレート・M&A、紛争解決、消費者法。
弁護士法人大江橋法律事務所:https://ohebashi.com/jp/
1981年に設立され、弁護士150名以上が所属し企業法務中心にフルサービスを提供する総合法律事務所である(2022年3月現在)。東京、大阪、名古屋を国内の主要拠点としつつ、上海事務所及び各国の有力な法律事務所との独自のネットワークを活用して積極的に渉外業務にも取り組んでいる。会社法、M&A、紛争解決、労務、知財、事業再生、独禁法、情報法、ライフサイエンスなどの幅広い分野において、総合的な法的アドバイスを提供している。
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