◇SH4084◇最三小判 令和3年9月7日 窃盗被告事件(長嶺安政裁判長)

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 被告人は心神耗弱の状態にあったとした第1審判決を事実誤認を理由に破棄し何ら事実の取調べをすることなく完全責任能力を認めて自判をした原判決が、刑訴法400条ただし 書に違反するとされた事例

 被告人は行動制御能力が著しく減退していた合理的な疑いが残るから心神耗弱の状態にあったとした第1審判決について、その認定は論理則、経験則等に照らして不合理であるとして、事実誤認を理由に破棄し、原審において何ら事実の取調べをすることなく、訴訟記録及び第1審裁判所において取り調べた証拠のみによって、直ちに完全責任能力を認めて自判をした原判決は、刑訴法400条ただし書に違反する。

 刑訴法400条

 令和3年(あ)第1号 最高裁令和3年9月7日第三小法廷判決

 窃盗被告事件( 刑集75巻8号1074頁) 破棄差戻

 原 審:令和2年(う)第811号 東京高裁令和2年11月25日判決(刑集75巻8号1112頁)

 第1審:令和元年(わ)第1942号 東京地裁令和2年4月3日判決(刑集75巻8号1108頁)

1 事案の概要及び審理の経過

 ⑴ 本件は、被告人が、スーパーマーケットにおいて、食料品を窃取したという窃盗の事案であり、責任能力の程度が争われた。

 第1審判決は、被告人が重症の窃盗症にり患し、その影響により窃盗行為への衝動を抑える能力が著しく低下していた疑いがあり、行動制御能力が著しく減退していた合理的疑いが残るから、被告人は、本件犯行時、心神耗弱の状態にあったとして、被告人を懲役4月に処した。

 ⑵ 検察官が控訴して事実誤認を主張したところ、原判決は、被告人が、本件犯行時、窃盗症にり患していたとしても、犯行状況からは自己の行動を相当程度制御する能力を保持していたといえるのであり、行動制御能力が著しく減退してはいなかったといえるから、被告人には完全責任能力が認められ、重症の窃盗症により心神耗弱の状態にあったとした第1審判決の認定は論理則、経験則等に照らして不合理であるとして、事実誤認を理由に第1審判決を破棄し、完全責任能力を認め、被告人を懲役10月に処した。なお、原審においては、検察官から医師の証人尋問等の事実取調べ請求がされていたが、原審は、これらの請求をすべて却下し、何ら事実の取調べをすることなく自判をしたものであった。そこで、被告人が上告した。

 ⑶ 本判決は、弁護人の上告趣意のうち、後記最大判昭31・7・18刑集10巻7号1147頁等の判例違反をいう点は、事案を異にする判例を引用するものであって、本件に適切でなく、その余の上告趣意も刑訴法405条の上告理由に当たらないとしながら、被告人は心神耗弱の状態にあったとした第1審判決を事実誤認を理由に破棄し何ら事実の取調べをすることなく完全責任能力を認めて自判をした原判決は、刑訴法400条ただし書に違反するとして、刑訴法411条1号により職権で原判決を破棄し、本件を原審に差し戻した。

2 説 明

 ⑴ 刑訴法400条は、「前二条に規定する理由以外の理由によつて原判決を破棄するときは、判決で、事件を原裁判所に差し戻し、又は原裁判所と同等の他の裁判所に移送しなければならない。但し、控訴裁判所は、訴訟記録並びに原裁判所及び控訴裁判所において取り調べた証拠によつて、直ちに判決をすることができるものと認めるときは、被告事件について更に判決をすることができる。」と規定する。本条ただし書は、「控訴裁判所において」取り調べた証拠の存在を自判の要件としているかのように読めなくもないが、これは、控訴審において事実の取調べをしたときには、その結果である証拠をも含めてという趣旨に解されており(河上和雄ほか編『大コンメンタール刑事訴訟法⑼〔第2版〕』(2011、青林書院)466頁[原田國男]参照)、自判の際に常に事実の取調べが必要であるとまでは解されていない。したがって、いかなる場合に事実の取調べが必要であるのかが問題となる。

 ⑵ 控訴審が、自ら何ら事実の取調べをすることなく、第1審判決を破棄して被告人に不利益な自判をすることができるかという問題について、かつての判例は、控訴審は、訴訟記録及び第1審裁判所で取り調べた証拠のみによって直ちに判決することができると認める場合には、常に自ら何ら事実の取調べをすることなく第1審判決を破棄して自判することができるとしていた。しかし、本判決も引用する最大判昭31・7・18刑集10巻7号1147頁(以下「判例①」という。)は、判例を変更し、控訴審においても、被告人は憲法31条、37条の保障する権利を有し、直接審理主義・口頭弁論主義の原則の適用を受けるから、被告人は公開の法廷においてその面前で適法な証拠調べの手続が行われ、これに対する意見弁解を述べる機会を与えられた上でなければ、犯罪事実を確定され有罪判決を受けることのない権利を有するとした。また、これに続く最大判昭31・9・26刑集10巻9号1391頁(以下「判例②」という。)も同旨を判示した。

 前記各大法廷判決は、第1審判決が犯罪事実の存在を確定せず、あるいは犯罪の証明がないとして無罪とした事案に関するものであったが、その後、最二小判昭31・12・14刑集10巻12号1655頁(以下「判例③」という。)は、第1審判決が被告人は心神喪失の状態にあったとして無罪としたのに対し、控訴審が何ら事実の取調べをせずに心神耗弱の状態にあったと認めて事実誤認を理由にこれを破棄し有罪の自判をしたのは違法であるとした。さらに、最二小判昭32・6・21刑集11巻6号1721頁(以下「判例④」という。)は、第1審判決が強姦致傷の公訴事実について傷害罪の限度で有罪としたのに対し、控訴審が何ら事実の取調べをせずにこれを破棄して強姦致傷の事実を認定したのは違法であるとし、また、最一小判昭41・12・22刑集20巻10号1233頁(以下「判例⑤」という。)は、第1審判決が殺人の公訴事実について殺意の証明がないとして傷害致死罪の限度で有罪としたのに対し、控訴審が何ら事実の取調べをせずにこれを破棄して殺意を認定し殺人罪として処断したのは違法であるとした。

 他方、判例①と同日に言い渡された最大判昭31・7・18刑集10巻7号1173頁は、控訴審において量刑を第1審判決より重く変更する場合には事実の取調べは不要であるとし、また、最二小判昭35・11・18刑集14巻13号1713頁は、法令の解釈適用の誤りを是正したに止まる場合には事実の取調べは不要であるとし、さらに、最大判昭44・10・15刑集23巻10号1239頁(悪徳の栄え事件)も、法律判断の対象となる事実が認定されており、裁判所の法律判断だけが残されている場合には、事実について当事者に争わせ、事実の取調べをする意義を認めることができないから、改めて事実の取調べをするまでもないとした。

 以上によれば、控訴審が、第1審判決を事実誤認を理由に破棄し新たな犯罪事実を認定して自判する場合には、事実の取調べを要するが、第1審判決の認定した事実を前提として、量刑不当を理由にこれを破棄し量刑を重く変更する場合や、法令適用の誤りを理由に破棄し犯罪の成立を認める場合には、事実の取調べを要しないとするのが判例の趨勢であるように思われる(石井一正『刑事控訴審の理論と実務』(判例タイムズ社、2010)402頁等)。なお、被告人の犯人性が争われた事案に関する最一小判令2・1・23刑集74巻1号1頁(以下「判例⑥」という。)は、従前の判例の立場を維持することを改めて確認した。

 ⑶ 本件は、第1審判決が、被告人は重症の窃盗症の影響により窃盗行為への衝動を抑える能力が著しく低下していた疑いがあり、行動制御能力が著しく減退していた合理的疑いが残るから、心神耗弱の状態にあったとしたのに対し、原判決が、被告人は、窃盗症にり患していたとしても、犯行状況からは自己の行動を相当程度制御する能力を保持しており、行動制御能力が著しく減退してはいなかったといえるから、完全責任能力が認められ、心神耗弱の状態にあったとした第1審判決の認定は論理則、経験則等に照らして不合理であるとして、事実誤認を理由に第1審判決を破棄し、自判したという事案である。

 本判決は、弁護人の上告趣意のうち、判例①ないし⑥を引用して原判決の判例違反をいう点は、事案を異にする判例を引用するもので、本件に適切でないとしながらも、前記のとおり、原判決は刑訴法400条ただし書に違反するとしてこれを破棄し、本件を原審に差し戻した。

 本件は、責任能力に関する事案であるという点で判例①、②及び④ないし⑥とは相異し、また、無罪判決を破棄して有罪を言い渡したわけではないという点では判例③とも相異する。本判決が、判例①ないし⑥を引用して判例違反をいう論旨について、事案を異にする判例を引用するものであって、本件に適切でないとしたのは、上記のような各事案の相異を理由とするものであると考えられる。

 もっとも、第1審判決及び原判決が、本件を、刑法39条等の法令の解釈適用の問題ではなく、責任能力の程度に関する事実認定の問題として捉え、判断していることは明らかである。そして、前記のとおり、判例①、④、⑤等は、第1審判決において認定されていない構成要件該当事実を控訴審において新たに認定する場合であり(判例②及び⑥は、判例①と同類型であるといえる。)、判例③は、第1審判決において認定されていない責任能力を控訴審において新たに認定する場合であって、いずれも事実の取調べが必要であるとされていた。これらの判例を通覧すれば、犯罪事実、言い換えれば構成要件に該当する違法・有責な事実を控訴審において新たに認定する場合には、事実の取調べが必要であるとする方向性が自然であるということができる。そうであるとすれば、被告人が心神耗弱の状態にあったとする第1審判決の事実認定を誤りであるとしてこれを破棄し、控訴審において完全責任能力を認定している以上、刑訴法400条ただし書の解釈として、控訴審が自判するに当たっては事実の取調べが必要であるというべきであろう。本判決が、判例①及び③ないし⑤を引用しつつ、原判決は刑訴法400条ただし書に違反するとして法令違反によりこれを破棄したのは、以上のような理由によるものと考えられる。

 なお、事実の取調べが必要である場合には、さらに、いかなる事実の取調べが行われる必要があるかという問題もあり、この点については「事件の核心」等について事実の取調べをする必要があるとするのが判例であるが(最二小判昭34・5・22刑集13巻5号773頁等。近時の判例として最一決令3・5・12刑集75巻6号583頁も参照)、本件の原審は、検察官からの事実取調べ請求をすべて却下し、何らの事実の取調べも行っていなかったから、この点は問題となる余地がなかった。

 ⑷ 本判決は、控訴審が第1審判決を破棄して自判する際、事実の取調べを要するか否かという問題について、新たな一事例を付け加えるものであり、実務上重要な意義を有すると考えられるので、紹介する次第である。

 

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