◇SH2112◇コンプライアンス経営とCSR経営の組織論的考察(105)雪印乳業㈱グループの事件を組織論的に考察する⑮岩倉秀雄(2018/09/28)

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コンプライアンス経営とCSR経営の組織論的考察(105)

―雪印乳業(株)グループの事件を組織論的に考察する⑮―

経営倫理実践研究センターフェロー

岩 倉 秀 雄

 

 前回は、雪印乳業(株)の対応のまずさにより食中毒事件の規模が拡大した経緯について、筆者が共同執筆した『雪印乳業史 第7巻』を基に「情報開示の遅れ」について述べた。

 雪印乳業(株)は、株主総会前日の6月27日に、大阪工場製造の低脂肪乳を喫食した消費者から食中毒症状の苦情の第1報を受けた後、翌28日、大阪市保健所による大阪工場への立ち入り調査を受け、同日23時ころ保健所に自主回収と社告掲載を求められたが、工場長は「自主回収については了解するが、社告掲載については社内で検討させて欲しい」と回答し直ちに対応しなかった。

 この間、関西支社や東京本社で緊急品質委員会等を開催し、関係役員にも報告・相談していたが、社長が食中毒事件の発生を知ったのは、第1報から2日後の29日10時30分、帰京のために千歳空港にいた時であった。

 東京本社に戻った社長、第二事業本部長は、同日13時40分頃、関係者と協議して、翌日の朝刊に社告を出すことを決定したが、被害の拡大を受けた大阪市は、6月29日の16時、18時、21時30分の3回にわたり記者会見を行い事件を公表した。

 保健所の会見後、問い合わせが殺到した雪印乳業(株)は、同日21時45分に西日本支社で記者会見を行ない、苦情の発生状況、自主回収の案内などを説明し、6月30日、全国紙朝刊に社告「お詫びと回収のお知らせ」を掲載した。

 雪印乳業(株)は、経営トップへの伝達、記者会見、社告回収等、危機対応の遅れが食中毒の被害を拡大[1]した。

 今回は、事件拡大の原因になった情報開示の遅れに続き、社長の「寝ていないんだ」発言に代表される報道対応のまずさについて考察する。

 

【雪印乳業(株)グループの事件を組織論的に考察する⑮:食中毒事件拡大の経緯③】

 「食品メーカーにとって食中毒は致命傷」と言われるが、雪印乳業(株)の危機の拡大は、情報開示の遅れだけではなく報道対応のまずさにより企業体質(組織文化の一部)そのものへの不信感が拡大したことがあげられる。(『雪印乳業史 第7巻』412~413頁参照)

 例えば、6月29日の記者会見で、謝罪と原因説明が記者会見の目的であったにもかかわらず、「危険性を認識しながら商品を市場に放置し回収措置が遅れるなど対応が後手に回った理由」を記者に質問された際に、回収が遅れた理由を「28日に株主総会があり、幹部が不在だったため」、あるいは「原因がはっきりするまではいたずらに不安をあおるのはいかがなものか」、「発表が遅れたのは保健所と発表を同じにするため」と不遜な態度で回答、被害の拡大防止を第一に考える真摯な姿勢を示さず、「消費者軽視の言い訳」と受け取られ、さらに保健所との関係を悪化させた。

 また、事態の収拾を急ぐあまり事実を正確に把握せずに記者会見を行なった結果、発表内容が二転三転した。

 2000年7月1日の社長の記者会見では、社内調査により、大阪工場の製造ラインにある予備タンクのバルブ付近から黄色ブドウ球菌が検出されたことを発表し謝罪した。黄色ブドウ球菌の温床となったとみられる乳固形分については見つからなかったという幹部の説明に対し、大阪工場長が突然、被害発生後の6月29日バルブを分解して調べたところ、バルブの内部から10円玉大の乳固形分が見つかっていたと発言した。

 それを聞いた社長は、記者会見の席で、「君、それは本当か」と発言し顔色を変えたが、これにより最も重要な事実を社長が知らないという社内の連絡体制の悪さを全国に露呈した。(しかも、この工場長の発言も2日後、「バルブの内部全体に汚れがあった」と訂正された。)

 さらに、大阪工場の営業禁止処分を受けて行った7月2日の記者会見では、「バルブの洗浄をどのくらいの頻度で行っていたのか」の質問に対して、当初は、週1回、その後10日に1回、さらにほぼ10日に1回と言い直し、最後にマニュアルを確認すると答えるなど、バルブの手洗い頻度は前日の記者会見で説明している内容なのに明らかな準備不足が目立った。(なお、バルブは週1回分解洗浄して中性洗剤で手洗いする規定になっていたが、実際は6月2日の後、23日まで3週間洗浄されていなかったことも明らかにされた。)

 また、幹部による軽率な発言も目立った。

 7月4日の大阪工場製品の回収命令と自主回収について説明する記者会見で、「大きな社会的責任を感じています」と陳謝する一方で、記者から全品回収の判断が遅れたことへの追求が進むにつれ、幹部からは「「毎日骨太」の危険性は7月2日には知っていた。「毎日骨太」のクレームはほとんど出ていない。」と説明し、7月2日には「毎日骨太」の危険性を知りながら4日までに自主回収しなかったと非難された。

 また、「黄色人種と黒人の20%は乳糖不耐症」と話し、人種差別発言として批判された。

 そして、記者会見を切り上げて引き上げる際に、「被害者をどう思っているか」と報道陣から詰め寄られた社長は、思わず「私は寝てないんだ」と口走ってしまい、その後、「消費者を重視しない発言」としてこの場面が繰り返しTVなどで放送され、雪印乳業(株)のイメージの失墜に拍車をかけることになった。 

 このように、雪印乳業(株)の食中毒事件は、企業の広報が危機管理において極めて重要な役割を担っていることを改めて認識させるきっかけになった。 

 次回は、食中毒事件後の雪印乳業(株)の対応と原因究明の経緯を考察する。



[1] 6月30日23時の時点で、「低脂肪乳」を飲み、嘔吐、下痢等の症状を訴える発症者の数は、自己申告を含め大阪府など8府県で3,789人、既に退院した人を含めて入院患者数は74人になった。(雪印メグミルク編『雪印乳業史 第7巻』(雪印メグミルク、2016)412頁)

 

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