弁護士の就職と転職Q&A
Q58「激務に耐えた経験は、市場価値を上げてくれるのか?」
西田法律事務所・西田法務研究所代表
弁護士 西 田 章
「働き方改革」の波は、法律事務所にも緩やかに及び始めています。「アソシエイトに労働者性が認められるのか?」という問いを肯定する結論が出されたわけではありませんが、表向きは、稼働時間を監視し、過剰な労働を防ぐ仕組みを講じる事務所が増えて来ています。ただ、他方で、企業法務の仕事には「踏ん張り」が求められる場面があることは今も変わりありません。現在、一流事務所でパートナーを務めている弁護士達は、皆、アソシエイト時代に「激務」を乗り越えて来た世代であるために、「どうすれば、今のアソシエイト達に、自分達の若い頃のような踏ん張りを求められるか?」という課題が生じています。
1 問題の所在
伝統的には、法律事務所は、「新卒採用」を好んで来ました。「まっさらな新人に、ゼロから、当事務所の文化と仕事のスタイルを教え込みたい」「他所で教育を受けてヘンなクセがついてしまったら、矯正できない」という発想がありました。
しかし、最近は、「新人弁護士を少し強く指導しただけでも、パワハラと言われてしまう」「ブラック事務所と呼ばれてしまう」という警戒感も生まれています。パートナーたちも、総論的には「アソシエイトにワークライフバランスが保たれた質の高い生活を過ごしてもらいたい」と考えて、「深夜までの残業や週末出勤を常態化させたくない」という姿を思い描いてはいます。ただ、現実には、M&AのDDレポートの提出期限が迫っていたら、残業してでも間に合わせなければなりません。密行性のある仮処分の申立てを依頼されたら、週末でも出勤して準備しなければなりません。そのような「踏ん張り」が求められるときに、アソシエイトから「仕事は定時に終わるのが原則」とか、「時間外労働には残業代が支給されるべき」と、(専門職の責任よりも先に)労働者の権利を優先して主張されてしまうと、「それでも弁護士か!」と怒鳴りたい衝動にも駆られるようです(ドライなアソシエイトの立場からすれば、「事務所のキャパシティーをオーバーするような業務を受けてしまったパートナーの判断ミス」ということになるのかもしれませんが)。
「水は低きに流れる」の例えのように、「仕事のキツい職場からユルい職場へ」の順応は出来ても、その逆には難しいものがあります。そこで、法律事務所の採用担当パートナーからは、「どこか他所で『仕事の厳しさ』を教え込まれたアソシエイトを採用すれば、自ら『憎まれ役の鬼軍曹』を引き受けないで済む」というニーズも聞かれるようになりました。それでは、どのような経験であれば、「『仕事の厳しさ』を教え込まれたアソシエイト」という評価につながるのでしょうか。
2 対応指針
採用担当パートナーは、「自分たちがアソシエイト時代に経験したのと同じような激務をこなした若手弁護士」には、「ここぞという時の『踏ん張り』がきくだろう」という期待を抱きます。そのため、転職市場でのプラス評価の対象は、「採用担当パートナーの想像力が及ぶ経験」に限られます。
例えば、企業法務の世界で「あの弁護士の仕事は緻密で素晴らしいが、その下で働くのは大変」という評価を受けているパートナーの下で働いた経験や、「あのクライアントは、要求水準が高く、かつ、即答を欲する」という評判の企業(外資系投資銀行や投資ファンド等)を代理した経験は、採用担当パートナーに注目してもらいやすいです。
他方、かつては存在していなかった新種の業務(例えば、危機管理案件におけるメールレビューやヒアリングメモの作成)については、(採用担当パートナーの経験に照らした共感を得ることができないので)「そんな仕事ばかりしていたら弁護士として成長できないのではないか?」という疑問を抱かれてしまうこともあります。
3 解説
(1) 要求水準の高いパートナーの指導を受けた経験
企業法務で高い売上げを達成しているパートナー弁護士は、2つのタイプに分かれます。ひとつは、アソシエイトを手足として使うことで、膨大な作業量の仕事をこなして、タイムチャージで稼ぎを生み出すタイプであり(「パワハラ」と呼ばれることも多く)、もうひとつは、自らの勘とセンスに従って、ポイントを絞った作業で仕事を進めて成果を出すことで、報酬金で稼ぐタイプです(「職人」と呼ばれることが多いです)。
「一度は、他所で仕事の厳しさを知っておいてもらいたい」「その洗礼を受けておいてもらいたい」という採用担当パートナーの視点からは、前者の「パワハラ」的なパートナーの下で激務をこなした経験はプラス評価の対象になります。さらに、「なぜ転職したいのか?」という点についても、「あの先生についていくのは、中長期的には難しいと判断したのだろう」と推測してもらえるので、転職理由の正当性も理解してもらいやすいです(これに対して、職人的弁護士の下での勤務経験は、「職人的なボスのスキルを盗めたか?」という実質が問われることになります)。
残念なのは、「パワハラ的に指導は厳しいが、弁護士業界的に無名なボス弁」の下での激務経験です。転職活動での応募先事務所にとって不知の事務所やボス弁の名前を出したところで、「なぜ、そんな事務所に入所したの? 入る前に気付かなかったの?」という、『進路選択のセンスの無さ』を指摘されて終わってしまうことが多いです。
(2) ディマンディングなクライアントを代理した経験
企業法務では、「仕事の厳しさ」は、「クライアントの要求度合い」によっても左右されます。日系企業では、まだ「弁護士=先生」という意識が残っており、継続的関係がある顧問先からの訴訟案件であれば、次回期日を見据えてスケジュール立てられた仕事を落ち着いてさせてもらうことができます。
他方、外資系投資銀行等では、「弁護士=ベンダー」と位置付けられており、担当者自身も社内での自己のポジションを守ることに必死な状況にあるので、ピントのボケた回答には満足せずに、社内の上層部や関係部署を説得できるだけの回答を求めて来がちです(外部弁護士は、その期待に応えられなければ、弁護過誤で訴えられるのではないかというプレッシャーの中で仕事をしています)。投資ファンド等も、自らが、投資家に対する責任を背負っていますので、「高いリーガルフィーを支払う以上はそれに見合ったリーガルサービスを提供してもらう」という意識が強く見られます。
これらクライアントを代理してきた経験は、転職活動における応募先事務所にも「それだけディマンディングなクライアントに対応してきたならば、うちの事務所のクライアントは優しく感じるよ」という安心感を与えてくれます。
(3) 新種の業務を続けることのリスク
転職活動で、「激務をこなした経験」が高く評価されるのは、採用選考を担当するパートナーにとって、「あぁ、自分も若い頃にそういう苦労があったな」「でもそれが今の自分につながっているから、無駄でなかった」という思いを与えさせることができるからです。逆に言えば、「採用担当パートナーの想像力が及ばない激務は、評価対象になりにくい」と言えます。例えば、離婚専門の事務所で、ひとりで何十件も離婚事件を抱えて、連日、深夜まで、依頼者の愚痴を聞かされたり、相手方からのクレーム対応に追われている、というのは、「激務」ではあることは理解できますが、採用担当パートナーからは「その経験が、うちの事務所の業務に役立つかどうか分からない」というゼロ評価を受けるリスクが高いです。
同様に、企業法務系の仕事でも、新種の作業には同じようなリスクが存在します。例えば、危機管理業務は、この10年で格段に市場が拡大してきましたが、「大量の資料の中から関連するメールを抽出する」とか「関係者をヒアリングして聞き取りメモを作る」という仕事は、現在の採用担当パートナー達がジュニア・アソシエイト時代に潜り抜けて来た経験とは異なるため、共感を得ることができません。「大変なのはわかるけど、そればっかり続けることが、弁護士の成長に役立つのかわからない」「いずれAIに置き換わる仕事じゃないの?」といった、一歩引いた、醒めた目で評価されてしまうリスクが存在します。
以上