◇SH2327◇証明責任規範を導く制定法に関する一考察――立法論を含めて(1) 永島賢也(2019/02/12)

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証明責任規範を導く制定法に関する一考察
―立法論を含めて―

第1回

 

【問題提起】

  1. 1  わが国には証明責任規範[1]に関し一般的に定めた制定法がない。証明責任規範とは、訴訟当事者の事実主張が真偽不明に陥ってしまったとき、その事実をなかったものとみなすか、逆に、あったものとみなすか決定する規範のことである[2]。いわば、真偽不明を要件として事実の存在または不存在の擬制を導くルールである[3]
  2. 2  他方、実体法上、個別的に証明責任規範が定められている例はある。たとえば民法117条1項の無権代理人の責任の定めである[4]。同様の規定は改正民法(平成29年法律第44号)の117条1項にもある[5]。「他人の代理人として契約をした者は、自己の代理権を証明したとき、又は本人の追認を得たときを除き、相手方の選択に従い、相手方に対して履行又は損害賠償の責任を負う」と定められている。このように、無権代理人の責任の発生を代理権の有無ではなく、代理権の証明にかからせているので、もし、代理権の有無が真偽不明に陥ったときは、それはなかったものとみなされ、無権代理人としての責任が発生することが定められている。他方、同条項は本人の追認については証明にかからせていない。
  3. 3  そのほか、民法419条2項も「前項の損害賠償については、債権者は損害の証明をすることを要しない」として、証明に関する金銭債務の特則が定められている。民法949条但書も「ただし、相続人の債権者が、これによって損害を受けるべきことを証明して、異議を述べたときは、この限りでない」として、当該但書によって発生する法律効果を証明にかからせている。
  4. 4  このように個別に証明責任規範を導く法律がある場合は、それによるとすればよいが、そのような規定がない場合につき、一般的に証明責任規範について定める法律は必要でないのであろうか[6]。この問題について考察してみたい。

 

【考察】

1 立法過程について

  1. (1) それでは、まず、一般的(包括的)な証明責任に関する法律が、我が国において定められていないのはなぜなのだろうか。立法過程を瞥見してみる。
  2. (2) もともと、旧民法証拠編1条には「有的又は無的[7]の事実有より利益を得んが為め裁判上にて之を主張する者は其の事実を証する責あり、相手方は亦自己に対して証せられたる事実の反対を証し或は其事実の効力を滅却せしむる事実として主張するものを証する責あり」と規定されていた[8]
  3. (3) この定めによれば、自分が主張する法的効果の要件となる事実を「証する責あり」とするとともに、その相手方は当該事実の「反対を証し」、あるいは、当該法律効果を滅却する事実として主張するものを「証する責あり」ということになる。たとえば、売買代金の支払を求める売主(原告)は、売買契約の成立を証明する責任があり、その相手方である買主(被告)は、売買契約が成立しなかったこと[9]を証明するか、または、代金請求権を覆す抗弁[10]を証明する責任がある、ということになる。
  4. (4) しかし、民法典の編纂過程で、この規定は削除され、それに伴って民事訴訟法に新たな証明責任規定を設けることが予定されていたが、遂に実現されなかった。この経過にはいわゆる法典論争と呼ばれる事態が影響していると思われる。次にそれを見てみよう。

2 法典論争について

  1. (1) 法典論争とは何か。法典論争とは、民法典および商法典の実施可否をめぐる延期派と断行派とで国論を二分する激しい争いが起きたことを指す。1890年にボワソナードの起草にかかる財産法(上述の証拠編を含む)と日本人委員による身分法が、元老院・枢密院の審議、修正を経て公布されたが(旧民法)、同法の1893年からの施行に際し、延期派は実施を延期するよう求め、断行派は予定のとおりの実施を主張した。当時は欧米列強との条約改正交渉が背景にあり帝国議会開設前の編纂完了を目指していたことなどから審議が不十分となっていたとされ、また、なによりも延期派の穂積八束氏の「民法出でて忠孝亡ぶ」という論文[11]の多大な影響があり、結局、その後、民法と商法の施行を延期する法律が可決されている[12]
  2. (2) その後、政府は、法典調査会を発足させて民法典と商法典の編纂にあたることとなった。民法典の起草委員は穂積陳重、富井政章、梅謙次郎の3名であった。そのうちのひとり梅謙次郎は、土方寧から証明責任について質問され、次のように答えている。「土方君のような疑いが、もし、此の条(筆者注:ここでは民法415条の帰責事由の証明責任にかかわる条項のことである)ついて起こされるならば、これまで議決になった箇条の中にも、そういう差し支えのあるべきと見られることはいくらもありますから、これは皆書き直さなければならぬ。挙証の責のないときには必ず消極にかかなければならぬという大原則を諸君が極めてくださらぬと困る。今まではただわかりやすい方を主として書いたのである[13]。」そして「証拠編は今度は多分民事訴訟法の一部として出るでありましょうから、そちらで願いたい。この条はどうなってもよろしいとしたところが、一体そういう主義でいつも起草しているものと見ると、誠に窮屈なものになるので、そのあたりのご注意を願いたい[14]」と[15]
  3. (3) このように証明責任については民事訴訟法の方に委ねたとされている。実際、民法に限らず他の法律においても、常に、証明責任の所在を意識して条項を作成することは(梅謙次郎の述べるとおり)「誠に窮屈[16]なもの」になるであろう。証明責任については、別途、証拠法など別の法律に委ね、その法律で証明という場面に適合的な定めをするなど、本来、役割分担があってしかるべきであったと思われる。その方が証拠法の発展に寄与することになったであろう。この点、我が国は100年以上の時間を逸してしまったのかもしれない。
  4. (4) また、土方寧は「民法証拠篇の欠点」という論文[17]で次のとおり述べている。「然るに、訴訟法は自由主義を採り、証拠篇は束縛制限主義に依拠せり[18]。是れ草案者を異にせるに致せし所ならんが故に、証拠篇を実施せんとならば訴訟法若しくは証拠法を修正し、二者の調和を計らざるべからず。」このように、当時、訴訟法と民法証拠篇との主義の違いがあるため、それらを調和させる必要性についても指摘されている。
  5. (5) こうして、民法典では、旧民法証拠篇1条の考え方はもとより、証明責任一般についても特に考慮されることもなく法典化の作業が進められたようである。


[1] 高橋宏志『重点講義民事訴訟法(上)〔第2版補訂版〕』(有斐閣、2013年)519頁参照。小林秀之『新証拠法〔第2版〕』(弘文堂、2003年)165頁参照。

[2] ここでは民事裁判を前提にする。

[3] ローゼンベルクの「民法及び民事訴訟法上の証明責任」においても「事実主張の真実性が確定できない事例において、裁判官に対し彼のなすべき判決内容について指示することが、証明責任規範の本質であり意義である」と、証明責任規範の本質と意義が語られている(Leo Rosenberg, Die Beweislast auf der Grundlage des Bürgerlichen Gesetzbuchs und der Zivilprozeßordnung 1923)。原文は「In dieser Anweisung an den Richter über den Inhalt des von ihm zufällenden Urteiles, falls die Wahrheit einer erheblichen Tatsachenbehauptung nicht festgestellt werden kann, liegen Wesen und Wert der Beweislastnormen」である。なお、原文では「Anweisung an den Richter über den Inhalt des von ihm zufällenden Urteiles」という文字に隔字体が用いられ「裁判官に対し彼のなすべき判決内容について指示する」という箇所が強調表示されている。翻訳書として、レオ・ローゼンベルク(倉田卓次訳)『ローゼンベルク 証明責任論〔全訂版〕』(判例タイムズ社、1987年)がある。訳者は「Feststellungslast(確定責任)こそ Beweislast の本質であるとの認識が確立された今日」と述べる。

[4] 岡口基一『要件事実入門』(創耕舎、2014年)32頁参照。

[5] 改正民法453条の検索の抗弁も、「弁済をする資力があり、かつ、執行が容易であることを証明したとき」と証明にかからせている。自賠責法3条但書も「証明したとき」と定めている。

[6] 伊藤眞『民事訴訟法〔第5版〕』(有斐閣、2016年)367頁では「論者が主張する証明責任規範定立の意義のほとんどは、説明の問題であり、また、証明責任規範の源は、実体法規範に求められるというのであれば、あえて独自の規範を定立する必要に乏しい」と述べられている。もっとも、後述のとおり証拠の偏在への対処を含めるのであれば独自に規範を定立する意義が出てくるのではないかと思う。

[7] 積極的事実または消極的事実という意味と解される。

[8] 読みやすさのため、カタカナはひらがなに変換した。

[9] たとえば、契約書の調印に至らなかった事実、あるいは、贈与の事実など。

[10] たとえば、弁済など。

[11] 家父長制的家族制度の美徳を説き、婚姻を基調とする近代的家族観を批判した(法学新報第5号)。

[12] この延期法の可決で、法典論争は終結をみたとされている。

[13] 高橋・前掲注[1] 543頁は、「日本民法の立法の際の資料によると、起草者(梅謙次郎、穂積陳重、富井政章)は条文の書き方について、証明責任の分配を犠牲にしても分かり易い表現を心掛けたと言明している。すなわち、条文の表現(書き方)は日本においては、証明責任の分配の基準となりにくいことを起草者自身が認めているのである。」と述べられている。

[14] 読みやすさのため、適宜、ひらがな等に変換した。

[15] 石田穣「立証責任論の再構成――通説の批判」判タ322号(1975年)8頁。「この梅謙次郎の説明から明らかなように、立法者は、民法典の編纂において立証責任の配分を特に顧慮することなく分かりやすい表現の選択に意を用い、立証責任の配分を民訴法に任せたのである。」と述べられている。

[16] 民法については、その各条項の立法目的に集中して条文を作成し、証明の問題は訴訟法の方に委ねる方が効率的な作業ができるであろう。

[17] 法学新報第13号(1890年)、星野通『明治民法編纂史研究』(信山社、1994年)458頁。

[18] ここは自由心証主義と法定証拠主義に対応する議論と思われる。

 

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