弁護士の就職と転職Q&A
Q72「仕事の対価は経験か? 金銭か? 主観的満足か?」
西田法律事務所・西田法務研究所代表
弁護士 西 田 章
弁護士は、「自由業」の典型例と言われてきました。最近では、法科大学院の入学志願者が年々減少していることを取り上げて、「人気が下がった」と言われることが増えていますが、昔から「自由業=やりたいことをやって儲かる仕事」とみなされていたわけではありません。どちらかと言えば、「やりたくないことをやらないでもそこそこ食っていける」ことに最大の魅力がありました。ただ、競争が激化してきたことで、「やりたくないことをやらない」のと「そこそこ食っていく」ことを両立できるだけでも、「自分は相当程度に幸せな部類に属する」と感謝しなければならない状況になってきつつあります。
1 問題の所在
人材紹介業者は、転職希望者から、まずは「移籍先に求める条件」についての率直なニーズを聞き取ります。「給与は1000万円以上欲しい」「個人事件も受任させてほしい」「大規模プロジェクトにも携わりたい」「プライベートの時間も確保したい」「企業法務をメインとしつつも、一般民事も扱いたい」等々。
ただ、本人の喫緊のニーズに合致する移籍先を探す取組みが、中長期的なキャリア支援につながるとは限りません。「給与=事務所事件に従事することへの報酬」であり、高額の給与を提供してくれる先ほど、事務所事件への専従を求められてしまい、個人事件のために時間を割くことを認めてもらいにくくなります。また、大規模案件は、その成否が当事者に与える経済的影響も大きく、関係者数も膨らむために、担当弁護士には即時の対応が求められがちであり、案件継続中にはプライベートを犠牲にする覚悟が必要です。また、個人を依頼者とする一般民事系事件は、対面で十分に時間をかけた説明を踏まえて案件を進めなければ、依頼者の納得を得ることが難しくなるために、金額規模に関わらない手間暇が求められます。そのため、キャリア・コンサルティングでは、本人が抱く様々な希望について、キャリアプランの全体像を見据えて、現時点での優先順位を付けていくことが重要になります。
伝統的には、弁護士のキャリアモデルは、「高額な収入と自由を獲得できるとしたら、それは独立後のことだから、まずは、イソ弁として、労働条件に満足できなくとも、これを修行だと思って耐えなければならない」という理解が通用していました。時代と共に、弁護士の業務に専門性が求められるようになり、事務所経営の共同化が進んできました。また、企業では働き方改革が進められており、一従業員として働く弁護士の数も増えてきました。このような環境変化に応じて、弁護士はキャリアプランにどのような修正を求められているのでしょうか。
2 対応指針
仕事の対価は、金銭報酬と非金銭報酬(主観的満足)に分かれますが、それに加えて「将来に良い仕事を受けるための投資(経験値獲得)」を忘れてはなりません。
アソシエイト時代の仕事で最も重要なのは、この「経験値獲得」です。「未経験分野の仕事を振る先は若手優先」であり、年齢を重ねるほどに「新しい仕事」に挑戦する機会を与えてもらえなくなるからです。修行後の「独り立ち」先については、「メインシナリオ」をパートナー昇進に置きつつも、それが実現できない場合の「代替シナリオ」を社内弁護士への転向に設定するアソシエイトが増えています(かつては「地方で個人事務所を開く」が腹案の代表例でしたが)。
経済的成功は(アソシエイト時代ではなく)パートナー時代での仕事の成功指標に置くのが合理的です。タイムチャージ型のビジネスモデルが主流になっている現在の企業法務実務においても、アソシエイト時代には、所詮、自分の時間の切り売りでしか稼ぐことができず、その期間も所詮10年程度に止まります。パートナーとしてどのような環境でどうやって稼ぐかがキャリアの肝であることは、伝統的なキャリアモデル(イソ弁→独立)と変わりありません。
弁護士業務の主観的満足については、かつては「採算を度外視して、困っている人を助ける」ことで得られると考えられてきました。しかし、一般民事の競争激化は「他の弁護士ではなく、敢えて自分がこの依頼者、この事件を担当することの意味」の実感を失わせつつあります。むしろ、相当程度の企業法務経験を積んだ弁護士にとっては、企業の社外役員を務めることに対して「自己の経験値を生かした社会貢献につながる」と考える弁護士が増えています。
3 解説
(1) 経験値獲得を重視すべき時期
リーガルの人材市場においては、新卒採用と中途採用では、評価軸が異なります。新卒は「ポテンシャル採用」の対象者であり、その優劣は「学歴」「成績」で客観的に測られます。人柄は重要な選考基準ではありますが、それは「どんなに学歴/成績が良くても、人柄が悪ければ採用しない」というネガティブチェックに用いられるのが現状です。人柄さえ良ければ、学歴/成績が悪くても構わない、ということにはなりません。
中途採用は「即戦力」の対象者であり、その優劣は「経験値」で測られます。弁護士歴5年以上の候補者の最大の「ウリ」が、未だに学生時代の成績又は司法試験の順位だったならば、実務家としては非常に残念な事態です。アソシエイトは、「高学歴/高成績」カードを用いることで、適切と思われる就職先(修行先)への入場券を獲得して、その就職先(修行先)で積んだ経験値をもって、人材市場における価値を高めていくことになります。
問題は、「今までやってきたことが自分に合わない」「もっと違うことをやりたい」という「キャリアのリセット」です。「未経験者」を対象とする「ポテンシャル採用市場」においては、「若くて素直であること」が圧倒的に有利です。反射効として、年輩者が「軸足を完全に動かすキャリアチェンジ」を行うのには苦戦を強いられます。そのため、若いうちに幅広い経験を積んでおくことは、弁護士キャリアの生存率を高めるためにきわめて重要です(つまり、新たな分野に挑戦する場合に「隣接する分野を経験してきた」と言って「軸足を半歩ずらす程度のことである」という説明ができるならば、「準」即戦力としてみなしてもらえるチャンスが生まれます)。
(2) 経済的成功を重視すべき時期
サラリーマン人生においては、「経済的成功=生涯賃金を最大化する」という視点から、「早期に給与の高い企業に潜り込むこと」が決定的に重要なポイントでした。ただ、これは「終身雇用」と「年功序列型賃金」が前提となっているものであり、法律事務所のアソシエイトにはまったく当てはまりません。もちろん、「前職の給与が高いほうが、転職先でも高い報酬パッケージを用意してもらえる」という慣行は存在しますが、これは、「それだけの費用を投じても、その人材を獲得することに経済合理性が認められる」という前提があった上での話です。法律事務所において、弁護士はフロント部門であるので(間接部門である企業法務部とは異なり)自己の経済的価値を売上げベースで実証されることになります。そのため、「他の弁護士でも代替できる技能しかないのに、年俸だけは高い」という人材については、「そんなに年俸の高い候補者は検討する必要がない」として、むしろ、「前職の給与が高いことが採用選考で不利に働く」リスクすら存在します(門前払いを回避するために前職の給与を過少申告する候補者すら現れています)。
もちろん、アソシエイトとしては「給与も高いし、良い経験を積むこともできる」というのが理想ですが、自分がパートナーに昇進した後のことも考慮すれば、「使えるかどうかも分からないアソシエイトにも高額の給与を保証するのが健全な事務所経営と言えるのか?」という疑問にも直面します。
いずれにせよ、アソシエイト時代の仕事の対価としては、「経験値>給与」という優先順位で職場を選択すべきことは明らかです(そのため、扶養家族等との関係で一定限度の収入を確保することが必須とされている転職者は、自己の中長期的キャリアプランに反する選択を強いられる場面にも遭遇します)。
(3) 弁護士としての主観的満足
企業法務系の事務所のアソシエイトの中には、「もっと手触り感のある仕事をしたい」「顔が見える依頼者のために働きたい」と言って、一般民事系の事務所に転職する方もいます。確かに、一般民事の仕事であれば、司法修習を終えた経験だけでも、一人前としての役割を果たせる案件も多数存在します。陸上競技にたとえてみると、競争(短距離や中距離等)のように、シンプルなルールで幅広い競技者がいる種目が一般民事に近く、跳躍(棒高跳等)のように、一定の訓練を積まなければ、試合に参加させてもらえない種目が企業法務に近いと言えます。つまり、一般民事のほうが、競技者(取扱う弁護士)の数が多くて裾野が広い分だけ、その中で一流として生き残っていくための競争倍率が高く(自分よりも若くて身体能力が高い新規参入者に脅かされやすく)、企業法務のほうが参入障壁が高い分だけ、それを扱う事務所に雇用されただけで一定の優位性が保たれており、かつ、技能を磨き続けることで若手との差別化を図りやすい、という傾向があります。
法律専門家としての満足、という意味では、「弁護士でありさえすれば、自分でなくとも処理できる仕事」については、充足感は薄くなります。特に、弁護士の数が増えて、個人でも、インターネット等を通じて営業熱心な弁護士に容易にアクセスできるようになった現状において、「他によろこんで手を挙げる弁護士もいる中で、敢えて、自分が採算を度外視してまで受任する必要があるか?」と自問すれば、プロボノ案件を引き受ける意義に納得感を得にくくなってきています。
自分の能力や経験を見込んで依頼してくれる仕事。自分が担当することによって、他の弁護士が受けるよりも優れた解決に導くことができる、という自信を持てる仕事。そういう意味では、企業の社外取締役又は社外監査役業務は、「これまでの自分の企業法務経験のすべてを役立てることができる仕事ではないか?」という思いを抱くシニアな弁護士は増えてきています(そのため、そのような意欲がある弁護士と、企業法務のバックグラウンドを持った社外役員を求める企業とを適切にマッチングする仕組み作りが求められているところでもあります)。
以上