不正競争防止法(平成27年法律第54号による改正前のもの)21条1項3号にいう「不正の利益を得る目的」があるとされた事例
勤務先会社のサーバーコンピュータに保存された営業秘密であるデータファイルへのアクセス権限を付与されていた従業員が、同社を退職して同業他社へ転職する直前に、同データファイルを私物のハードディスクに複製したこと、当該複製は勤務先会社の業務遂行の目的によるものではなく、その他の正当な目的をうかがわせる事情もないこと等の本件事実関係(判文参照)の下では、同従業員には、不正競争防止法(平成27年法律第54号による改正前のもの)21条1項3号にいう「不正の利益を得る目的」があったといえる。
不正競争防止法(平成27年法律第54号による改正前のもの)21条1項3号
平成30年(あ)第582号 最高裁平成30年12月3日第二小法廷決定 不正競争防止法違反被告事件 棄却(刑集72巻6号掲載予定)
原 審:平成28年(う)第2154号 東京高裁平成30年3月20日判決
第1審:平成26年(わ)第1529号 横浜地裁平成28年10月31日判決
1
本件は、自動車会社に勤務していた被告人が、同業他社への転職直前に、不正の利益を得る目的で、2度にわたり、勤務先会社のサーバーコンピュータに保存されていた営業秘密に係るデータファイル合計12件の複製を作成したという不正競争防止法違反(営業秘密不正領得)の事案であり、同法(平成27年法律第54号による改正前のもの。以下「法」という。)21条1項3号にいう「不正の利益を得る目的」の有無等が争われた。
第1審判決は、各データファイルの複製の作成につき、被告人にはこれらの情報を転職先等で直接的又は間接的に参考にして活用しようとしたなどといった不正の利益を得る目的があったものと認めて、営業秘密不正領得罪の成立を肯定し、原判決もこれを是認した。
被告人は上告し、①1件目の複製作成は、業務関係データの整理を目的とし、2件目の複製作成は、記念写真の回収を目的としたものであって、いずれも被告人に転職先等で直接的又は間接的に参考にするなどといった目的はなかった、②法21条1項3号にいう「不正の利益を得る目的」があるというためには、正当な目的・事情がないことに加え、当罰性の高い目的が認定されなければならず、情報を転職先等で直接的又は間接的に参考にするなどという曖昧な目的はこれに当たらないなどと主張した。
本決定は、所論に鑑み、本件における「不正の利益を得る目的」の有無について、決定要旨のとおり職権判示して原判決を是認し、上告を棄却した。
2
営業秘密侵害罪に対する刑事処罰規定は、平成15年の不正競争防止法改正により新設された。さらに、平成21年の同法改正により、①営業秘密を保有者から示された者(従業者等)が、営業秘密の管理に係る任務に背き、図利加害目的をもって営業秘密を領得する行為自体が新たに営業秘密侵害罪の対象とされるとともに、②営業秘密侵害罪の目的要件が、「不正の競争の目的で」から「不正の利益を得る目的で、又はその保有者に損害を加える目的で」(図利加害目的)に改められた。本件は①の罪に問われているものであり、また、②の改正後の目的要件である「不正の利益を得る目的」の解釈適用が問題となっている。
3
営業秘密侵害罪の目的要件に関する前記の平成21年改正は、従前の要件である「不正の競争の目的」が、一般に「公序良俗、信義則に反して他の事業者と営業上の競争をする目的」を意味すると解されており、競争関係の存在を前提としない加害目的や外国政府を利する目的等による営業秘密の不正な使用・開示等が営業秘密侵害罪の対象とならない等の問題点を踏まえ、営業秘密侵害罪の対象範囲を拡大したものとされている。
同改正後の目的要件(図利加害目的)のうち、「不正に利益を得る目的」は、「公序良俗又は信義則に反する形で不当な利益を図る目的」を意味し、自ら不正の利益を得る目的(自己図利目的)のみならず、第三者に不正の利益を得させる目的(第三者図利目的)も含むと解されている。営業秘密の保有者と自己又は第三者が競争関係にある必要はなく、第三者には外国政府機関等も含まれる。図利目的が肯定される具体例として、①金銭を得る目的で、第三者に対し営業秘密を不正開示する場合、②外国政府を利する目的で、営業秘密を外国政府関係者に不正開示する場合等が挙げられている。なお、平成27年改正後の立法担当者解説(経済産業省知的財産政策室編『逐条解説不正競争防止法』(商事法務、2016)220頁)においては、公序良俗又は信義則に反する形であれば、その目的は経済的利益か、非経済的利益かを問うものではない、「退職の記念」や「思い出のため」といった自己の満足を図る目的であっても、直ちに「図利加害目的」が否定されるわけではなく、その他の個別具体の事情を踏まえた上で、非経済的な図利目的又は加害目的が認められる場合もあるとされている。
他方、図利加害目的が否定される具体例として、①公益の実現を図る目的で、事業者の不正情報を内部告発する場合、②労働者の正当な権利の実現を図る目的で、労使交渉により取得した保有者の営業秘密を、労働組合内部に開示する場合、③残業目的で、権限を有する上司の許可を得ずに営業秘密が記載された文書等を自宅に持ち帰る場合等が挙げられている。
4
なお、平成21年改正の起草を行った経済産業省産業構造審議会知的財産政策部会技術情報の保護等の在り方に関する小委員会(第5回)において、経済産業省担当者が提出した資料(配付資料3「営業秘密の刑事的保護について」18~19頁)には、営業秘密侵害罪の目的要件を図利加害目的に改める理由の1つとして、「従業者が業務のためにやむを得ず行ってしまった場合のように、保有者のために行った場合には対象外とする必要がある」ことが挙げられ、その注記として、「刑法第247条に定める背任罪においては、『自己若しくは第三者の利益を図り又は本人に損害を加える目的』を要件として定めているが、これについての有力な見解は『本人の利益を図る目的』が存在しないことを裏から規定したものとしている」と記載されており、委員からも、「背任罪と条文が全く同じではないので、背任罪の解釈がストレートに適用されることにはならないかと思うが、保有者のためにする行為を不可罰にするという意味で、背任罪に近い考え方で図利加害目的を要求することに十分意味があると考えている」旨の発言がされている(山口厚委員発言)。学説上も、このような議論状況等に基づき、営業秘密侵害罪の図利加害目的には、①背任罪における消極的動機説と同様、「主として営業秘密保有者のため」に行った行為(本人図利目的)を処罰対象から除く機能と、②「主として正当な社内活動のため」、「主として違法行為の是正のため」、「主として正当な報道のため」にされた行為(正当目的)を処罰対象から除く機能という質的に異なる二重の機能がある旨の見解が主張されている(玉井克哉「営業秘密侵害罪における図利加害の目的」警察学論集68巻12号(2015)34頁以下)。一方で、①営業秘密侵害罪の図利加害目的は、背任罪における消極的動機説と異なり、「積極的に利欲的な動機があるとか、積極的に加害の動機がある場合」に限られ、さらに、②法21条1項3号の不正領得罪における図利加害目的は、「近い将来予定される使用または開示による」積極的な図利加害の動機が必要である旨の見解も存在する(帖佐隆「不正競争防止法21条1項3号と任務違背・図利加害目的」久留米大学法学74号39頁以下)。
5
本決定は、1件目の複製作成につき、被告人が複製した各データファイルを用いて勤務先会社の業務を遂行した事実はない上、同社の業務遂行のためにあえて同社から貸与されていたノートパソコンから私物のハードディスク等に各データファイルを複製する必要性も合理性も見いだせないこと、2件目の複製作成につき、最終出社日の翌日に行ったもので同社の業務を遂行する必要がなかったことは明らかであること等を理由に、各複製作成はいずれも同社の業務遂行以外の目的によるものと認定した。その上で、「被告人は、勤務先を退職し同業他社へ転職する直前に、勤務先の営業秘密である……各データファイルを私物のハードディスクに複製しているところ、当該複製は勤務先の業務遂行の目的によるものではなく、その他の正当な目的の存在をうかがわせる事情もないなどの本件事実関係によれば、当該複製が被告人自身又は転職先その他の勤務先以外の第三者のために退職後に利用することを目的としたものであったことは合理的に推認できるから、被告人には法21条1項3号にいう『不正の利益を得る目的』があったといえる」旨判示し、同旨の第1審判決を是認した原判決は正当であるとして上告を棄却した。
本件では、被告人が2度目の複製を行った直後に勤務先に複製が発覚したため、被告人が複製した各データファイルを具体的にどのように用いる目的であったかを事後の行動等から証拠上特定することはできない。第1審判決がいう「転職先等で直接的又は間接的に参考にして活用しようとしたなどといった不正の利益を得る目的」は例示であり、要するに(具体的な用法は特定できないものの)被告人自身又は転職先その他の勤務先以外の第三者のために退職後に利用する目的があったことをいう趣旨と思われる。本決定は、①従業員が同業他社への転職直前に営業秘密を領得した本件のような場合においては、当該領得につき勤務先の業務遂行目的がなく、その他の正当目的(内部告発・報道・労働組合活動等)もないのであれば、通常は消去法的に自己又は転職先等の第三者のために退職後に利用する目的があったことは合理的に推認できる旨の事実認定上の判断と、②そのような退職後の利用目的が認定できる以上、具体的な利用方法の如何にかかわらず、法21条1項3号にいう「不正の利益を得る目的」はあったといえる旨の法的判断を、本件の事実関係に即して示したものと解される。なお、法21条1項の図利加害目的の解釈については前述のとおり見解の対立があり、また、原判決は、「高い経済的価値を有する重要な営業秘密を不正競争防止法21条1項3号という極めて当罰性の高い態様で領得した場合に、正当な理由がなく専ら自己又は第三者の何らかの利益を図るためであるときには、その利益の内容が明確かつ具体的な意欲ではなく、また非財産的なものであったとしても、同法21条1項3号における『不正の利益を得る目的』に該当する」旨の解釈を示しているが、本決定は、あくまでも同業他社への転職直前の営業秘密領得という本件の事案に即した事例判断を示したにとどまり、「不正の利益を得る目的」について一般的な法解釈を示したものではないであろう。
6
本決定は、事例判断ではあるが、営業秘密侵害罪の成否について最高裁が示した初判断であるとともに、同種事案における目的要件の判断の在り方について一定の示唆を与えるものであって、重要な意義を有すると思われる。