◇SH2477◇最一小判 平成30年12月17日 損害賠償請求事件(小池裕裁判長)

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 名義貸与の依頼を承諾して自動車の名義上の所有者兼使用者となった者が、自賠法3条にいう運行供用者に当たるとされた事例

 YがAからの名義貸与の依頼を承諾して自動車の名義上の所有者兼使用者となり、Aが上記の承諾の下で所有していた上記自動車を運転して事故を起こした場合において、Aは、当時、生活保護を受けており、自己の名義で上記自動車を所有すると生活保護を受けることができなくなるおそれがあると考え、上記自動車を購入する際に、弟であるYに名義貸与を依頼したなど判示の事情の下では、Yは、上記自動車の運行について、自賠法3条にいう運行供用者に当たる。

 自動車損害賠償保障法3条

 平成30年(受)第16号、第17号 最高裁平成30年12月17日第二小法廷判決 損害賠償請求事件 破棄差戻(民事判例集登載予定)

 原 審:平成29年(ネ)第55号 広島高裁岡山支部平成29年10月12日判決
 原々審:平成27年(ワ)第766号、平成28年(ワ)第21号 岡山地裁平成29年2月3日判決

 本件は、Aが所有し運転する普通乗用自動車(以下「本件自動車」という。)に追突されて傷害を負ったX及びX(いずれも、原告、被控訴人、上告人)が、本件自動車の名義上の所有者兼使用者であるY(被告、控訴人、被上告人)に対し、自動車損害賠償保障法3条に基づき、損害賠償を求めた事案である。Aに名義を貸与したYが、本件自動車の運行について、同条にいう「自己のために自動車を運行の用に供する者」(以下「運行供用者」という。)に当たるか否かが争われた。

 

 事実関係の概要は、次のとおりである。

 (1) Aは、平成22年10月から生活保護を受けていた。Aは、平成24年3月頃、本件自動車を購入することとしたが、自己の名義で所有すると生活保護を受けることができなくなるおそれがあると考え、弟であるYに対して名義貸与を依頼し、Yは、これを承諾した。Aは、同月下旬、本件自動車を購入し、所有者及び使用者の各名義をYとした。

 (2) Aは、平成24年10月、岡山県倉敷市内において、自己の運転する本件自動車を、X(平成30年(受)第16号上告人)が運転しX(同第17号上告人)が同乗する普通乗用自動車に追突させる事故(以下「本件事故」という。)を起こした。X及びXは、本件事故により傷害を負った。

 (3) YとAとは、平成24年当時、住居及び生計を別にし、疎遠であった。Yは、本件自動車を使用したことはなく、その保管場所も知らず、本件自動車の売買代金、維持費等を負担したこともなかった。

 

 (1) 原々審(岡山地裁)は、「本件自動車の所有者及び使用者の名義はYであり、Yはその名義貸与を了承し、同人の住民票が名義変更に用いられている。これに対して、Aは、生活保護受給者であり、許可を得ずして自動車を保有することは許されない立場にあるにもかかわらず、福祉事務所に届け出るなどして同許可を得ることをしていなかった。そうすると、Aの自動車の管理・使用はYYの名義貸与の了承の上に成り立っているという他ない。」、「Yは、Aが本件自動車を使用することについて、自動車の運行を事実上支配、管理することができ、その名義貸与の経緯やAとの人間関係に照らせば、社会通念上自動車の運行が社会に害悪をもたらさないように監視、監督すべき立場にある」旨説示して、Yは本件自動車の運行供用者に該当すると判断した。

 (2) 原審(広島高裁岡山支部)は、上記事実関係の下において、Yは、単なる名義貸与者にすぎず、本件自動車の運行を事実上支配、管理していたと認めることはできないから、運行供用者に当たらないと判断して、X及びXの請求を棄却した。

 (3) 本判決は、判決要旨のとおり判断し、Yは運行供用者に当たらないとした原審の判断には、判決に影響を及ぼすことが明らかな法令の違反があるとして原判決を破棄し、損害について更に審理を尽くさせるため、本件を原審に差し戻した。

 

 本件の争点は、名義貸与の依頼を承諾して本件自動車の名義上の所有者兼使用者となったYが、本件自動車の運行について、運行供用者に当たるか否かである。

 運行供用者に当たるか否かについては、「運行支配」と「運行利益」の2つの要素から運行供用者性を判断する「二元説」が判例・通説とされている。そして、運行支配があれば責任を負う理由として危険責任が説かれており、運行利益があれば責任を負う理由として報償責任が説かれている。

 

 運行供用者に関する主な最高裁判決として、次のものがある。

 (1) 最三小判昭和43・9・24集民92号369頁
 「自賠法三条にいう『自己のために自動車を運行の用に供する者』とは、自動車の使用についての支配権を有し、かつ、その使用により享受する利益が自己に帰属する者を意味する」と説示した。

 (2) 最一小判昭和45・7・16集民100号197頁
 子の1人が所有する自動車を別の子が運転していた際の事故について父親の運行供用者性を肯定する際に、「自動車の運行について指示・制禦をなしうべき地位にあり」と説示した。

 (3) 最一小判昭和46・7・1民集25巻5号727頁
 無断私用運転中の事故について、「運行を全体として客観的に観察するとき、本件自動車の運行が上告人のためになされていたものと認めることができる」と説示して、自動車の所有者である上告人に運行利益がある旨説示した。

 (4) 最三小判昭和49・7・16民集28巻5号732頁
 未成年の子がその所有車両を運転中に起こした事故につき、父に運行供用者責任が認められた。

 (5) 最三小判昭和50・11・28民集29巻10号1818頁
 「自動車の運行を事実上支配、管理することができ、社会通念上自動車の運行が社会に害悪をもたらさないよう監視、監督すべき立場にある場合」には運行供用者に該当する旨説示し、「父と同居して家業に従事する満20歳の子が所有し父の居宅の庭に保管されている自動車につき、所有者登録名義人となつた父は、右自動車の運行について自動車損害賠償保障法3条にいう自己のために自動車を運行の用に供する者にあたると解すべきである。」旨判断した。

 (6) 最二小判平成20・9・12集民228号639頁
 自動車の所有者Bの娘の友人であるAの運行について、Bの容認の範囲内にあったとみられてもやむを得ず、Bは、同運行について、自賠法3条にいう運行供用者に当たると判断した。

 

6 判例の傾向について

 運行供用者の意義については、前記5(1)の最三小判昭和43・9・24以降、「運行支配」と「運行利益」の2つの要素から運行供用者性を判断する二元説が判例・通説となっているところ、判例のいう運行支配、運行利益の内容は、規範化・客観化する傾向にあるといえる。

 運行支配については、事実としての支配ではなく、加害車両の運行を指示・制御すべき立場という規範的概念として捉えられるようになっており、前記(2)の最一小判昭和45・7・16の説示はその例といえる。

 運行利益についても、その内容は抽象化・客観化されており、前記(3)の最一小判昭和46・7・1の説示はその例といえる。

 昭和40年代の最高裁判決が、運行支配と運行利益を基準に運行供用者性を判断しつつ、その内容を規範化・客観化させていることは、判例解説においても、繰り返し指摘されている。例えば、前記(4)の最三小判昭和49・7・16の判例解説(島田禮介「判解」最判解民事篇昭和49年度36~37頁)では、「運行支配については、直接・具体的な支配の実在を要件とするものではなく、社会通念上、彼が車の運行に対し支配を及ぼすことのできる立場にあり、運行を支配・制禦すべき責務があると評価される場合に、その者に運行支配権が肯定され、運行利益の帰属も、必ずしも現実・具体的な利益の享受を意味せず、事実関係を客観的外形的に観察することにより、法律上又は事実上なんらかの関係で彼のために運行がなされていると認められる事情があれば肯定できる」としている。

 そして、前記(5)の最三小判昭和50・11・28の判例解説(田尾桃二「判解」最判解民事篇昭和50年度625~632頁)は、「運行供用性の判断にあたって、運行利益、運行支配の概念はきわめて有効な道具であり、基準であった。しかし、運行供用の多種多様な形態、内容に対応して右概念を修正しているうちに、運行利益は、有形、無形、心理的、感情的な利益までも含むことになって、客観化、希薄化した。運行支配も、本来の物権的支配からはなれて支配可能性、更には支配すべき義務を怠った場合まで含むことになって、抽象化、規範化した。(中略)本判決が、運行利益、運行支配という言葉を用いることを敢えて避け、『車の運行が社会に害悪をもたらさないよう監視、監督すべき立場』といったのは、右のような運行利益、運行支配概念の複雑、多様化に伴いこれらを中間項概念として使いにくくなった状況に鑑み、強いて右のような概念を用いる必要のないことを示したものであろう。」とする。

前記6)の最二小判平成20・9・12は、自動車所有者Bは、Aと面識がなく、Aという人物が存在することすら認識していなかったのに、Aの運転を容認していたとして運行供用者性を肯定されており、ここでいう「容認」の内容は客観的・抽象的なものといえる。この判決も、運行支配・運行利益の内容を規範化・客観化させてきた判例の延長線上にあるといえる。なお、この判決は、運行供用者に当たることを肯定する際に、運行支配、運行利益やそれに類する言葉は用いず、「容認の範囲内」という言葉を用いているが、二元説に立つことを否定するような説示はされておらず、二元説に立つことは前提として、運行支配を肯定する際に、「容認」に言及したにすぎないように思われる。

 

 判例の傾向はこのようなものであるところ、本判決は、生活保護を受けているAに対する名義貸与について、「事実上困難であったAによる本件自動車の所有及び使用を可能にし、自動車の運転に伴う危険の発生に寄与するものといえる。」と評価し、「Yは、Aによる本件自動車の運行を事実上支配、管理することができ、社会通念上その運行が社会に害悪をもたらさないよう監視、監督すべき立場にあったというべきである。」という前記5(5)の最三小判昭和50・11・28と同様の説示をして、Yが運行供用者に当たるとの判断を示した。

 運行供用者の意義については、二元説に立つとしても、その外延は必ずしも明確なものではなく、事例判断が積み重ねられることにより、その意義が明らかになっていくものと思われる。そして、名義貸人が運行供用者に当たるか否かについては、前記5(5)の最三小判昭和50・11・28が名義貸しのケースではあるが、その判決の事案は、自動車の所有者である息子と名義人である父親が同居し、息子は家業に従事し、自動車は自宅の庭で保管されていた一方、父親による息子に対する名義貸与の承諾は事後的な承諾であったという事案であり、必ずしも名義を貸与したことによる責任に焦点が当たったケースではなかったように思われる。これに対し、本件は、名義人は、自動車を所有し運転していた者の弟であり、親族関係はあるものの、二人は疎遠な関係にあり、運行供用者に当たるか否かの判断においては、名義を貸与したことによる責任に焦点が当たるケースであったといえる。本判決は、当該事案における名義貸与について、「事実上困難であったAによる本件自動車の所有及び使用を可能にし、自動車の運転に伴う危険の発生に寄与するものといえる。」と評価して、Yが運行供用者に該当するとの判断を示したものであり、このようなケースにおける重要な事例判断といえる。本判決の判文では、「運行支配」という言葉そのものは用いられていないが、 YのAに対する名義貸与が「自動車の運転に伴う危険の発生に寄与するもの」とされ、Yは「本件自動車の運行を事実上支配、管理することができ、」と判断されているのであり、危険責任の観点から、運行支配が認められたものと解される。なお、本判決は、「運行利益」には言及していないが、YはAの弟であること等からすると、前記6のとおり「運行利益」の内容は抽象化・客観化しており、本件は、運行利益についても肯定する余地のある事案であったようにも思われる。

 また、本件では、原則的には自動車を所有することができない生活保護を受けている人への名義貸しが問題となっており、安易な名義貸しに警鐘を鳴らす点でも、重要な意義を有するといえる。

 以上のとおり、本判決は、事例判断ではあるものの、実務的に重要な意義を有するものと考えられる。

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