◇SH2971◇最三小判 令和元年8月27日 遺産分割後の価額支払請求事件(山崎敏充裁判長)

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 相続の開始後認知によって相続人となった者が遺産の分割を請求しようとする場合において他の共同相続人が既に当該遺産の分割をしていたときの民法910条に基づき支払われるべき価額の算定の基礎となる遺産の価額

 相続の開始後認知によって相続人となった者が遺産の分割を請求しようとする場合において、他の共同相続人が既に当該遺産の分割をしていたときは、民法910条に基づき支払われるべき価額の算定の基礎となる遺産の価額は、当該分割の対象とされた積極財産の価額である。

 民法910条

 平成30年(受)第1583号 最高裁令和元年8月27日第三小法廷判決 遺産分割後の価額支払請求事件 棄却(民集73巻3号374頁)

 原 審:平成29年(ネ)第4859号 東京高裁平成30年5月24日判決
 原々審:平成27年(ワ)第7992号 東京地裁平成29年9月28日判決

1 事案の概要等

 民法910条は、相続の開始後認知によって相続人となった者が遺産の分割を請求しようとする場合において、他の共同相続人が既にその分割その他の処分をしたときは、価額のみによる支払の請求権を有すると定めている。

 本件は、被相続人が死亡し、その法定相続人であった配偶者及び長男が被相続人の遺産について遺産分割協議を成立させた後、認知の訴えに係る判決の確定によって被相続人の子として認知された原告が、長男を被告として同条に基づく価額支払請求をした事案であり、同条に基づき支払われるべき価額の算定の基礎となる遺産の価額について、積極財産の価額から消極財産の価額を控除すべきか否かが争われた。

 上記の点について、本判決は、判決要旨のとおり、遺産の分割の対象とされた積極財産の価額とすべきであり、消極財産の価額を控除すべきではないとして、これと同旨の原判決の判断を正当として是認し、消極財産を控除すべきであると主張した被告の上告を棄却した。

 

2 民法910条の趣旨

 認知の訴えは、父又は母の死亡後も、その死亡の日から3年間、提起することができる(民法787条)。遺産の分割後に認知を認める判決が確定した場合、認知に遡及効が認められる(同法784条本文)ことからすると、被認知者を除外してされた遺産の分割は効力を持たないはずであるものの、認知の遡及効は「第三者が既に取得した権利を害することができない」とされている(同条ただし書)ため、認知前の遺産の分割によって既に他の共同相続人が取得していた権利は害されないということになりそうである。そこで、このような場合に、既に終了した遺産の分割等のやり直しを避けてその効力を維持しつつ、被認知者の利益を保護するため、価額による支払請求を認めたのが同法910条であると説明されている(谷口知平=久貴忠彦編『新版注釈民法(27)相続(2)〔補訂版〕』(有斐閣、2013)434頁(川井健))。

 

3 民法910条に基づき支払われるべき価額の算定の基礎となる遺産の価額につき積極財産の価額から消極財産の価額を控除すべきか否かについて

 ⑴ この点については、消極財産である相続債務の負担の在り方の問題とも関連しており、相続債務の問題を民法910条の支払価額の算定の際に考慮すべきであるとして、これを控除した遺産の価額を基礎として支払価額を算定すべきであるとする控除説と、相続債務の負担は同条の支払請求とは別個に考慮すべき問題であるとして、これを控除すべきでないとする非控除説の対立がみられる。この点は、判文中に引用された最二小判平成28・2・26民集70巻2号195頁においても、控訴審まで争点の一つとされていたものの、上告審では論旨外であったため、最高裁の判断が示されなかったものである(畑佳秀「判解」最判解民事篇平成28年度〔4事件〕81頁)。

 ⑵ この点に関する高裁レベルの裁判例として、非控除説を採用したものに、上記平成28年最二小判の原審(東京高判平成26・3・19金判1493号19頁。1審の東京地判平成25・10・28金判1432号33頁の判断を是認した。)のほか、福岡高判昭和54・12・3判タ412号148頁があり、控除説を採用したものに、大阪高決昭和54・3・29判タ389号139頁(1審の神戸家審昭和53・4・28家月31巻11号100頁の判断を是認した。)がある。

 ⑶ 学説においては、控除説が多数説とされている(前掲・新版注釈民法437頁)。控除説は、相続債務が被認知者を除く他の相続人によって負担されることを前提に、遺産のうち積極財産から消極財産を控除した純資産額を基礎として民法910条に基づく支払価額を計算すべきであるとする。

 相続人は被相続人の権利だけでなく義務も承継するものであるところ(同法899条)、控除説は、被認知者が相続債務を負担しない理由について、認知によっても庶子は共同相続人となるのではない(我妻榮『改正親族・相續法解説』(日本評論社、1949)167頁)、被認知者は普通の相続人のように同法899条により被相続人の権利義務を承継するわけではない(中川善之助責任編集『註釈相続法(上)』(有斐閣、1954)213頁(加藤一郎))などと説明する。このような説明は、同法910条の立法経緯について、遺産の分割後に真の相続人が見付かったときは遺産の分割をやり直すことになるところ、私生児の場合だけは区別して良いのではないかということで価額の償還になったとされる(我妻榮編『戰後における民法改正の經過』(日本評論社、1956)184頁)ことに沿うものということができる。しかし、私生児は認知によっても共同相続人とならないというような考え方は、嫡出子と嫡出でない子の法定相続分を区別する合理的な根拠は失われている旨の判示をした最大決平成25・9・4民集67巻6号1320頁に照らしても、現時点において採用し難いものと考えられる。

 また、控除説を採用すると、具体的事件の処理の妥当性に疑問を生ずる場合があり得るように思われる。例えば、認知の時点において他の共同相続人の間で遺産の一部について分割協議が成立していた場合、残りの遺産については被認知者も遺産の分割に参加すると考えられる。この場合に、控除説を採用するのであれば、相続債務のうち、上記の「遺産の一部」に相当する部分については、被認知者は承継せず、同条の支払価額の算定において考慮され、その余の部分については、被認知者も他の共同相続人と共に承継すると考えることになりそうである。そして、上記の部分は、「分割協議の対象とされた遺産の価額」の「遺産全体の価額」に対する割合により算定されることになるように思われる。しかし、「遺産全体の価額」を評価して上記割合を算定しなければ同条の支払価額を算定できないというのは被認知者にとって不便である上、遺産や相続債務の範囲が明確でない場合にはその算定は困難であり、同条に基づく支払をした後に想定外の遺産や相続債務の存在が判明する可能性も否定できない。債権者としても、相続債務の帰属を明らかにするために上記割合を算定する必要があるということになれば、その権利行使に支障を来しかねない。

 ⑷ これに対し、近時の学説には、前掲・新版注釈民法438頁、床谷文雄=犬伏由子編『現代相続法』(有斐閣、2010)164頁(岡部喜代子)、松原正明『全訂判例先例相続法Ⅱ』(日本加除出版、2006)512頁など、非控除説を採用するものが多くみられる。

 判例は、可分債務について、法律上当然分割され、各共同相続人がその相続分に応じてこれを承継するものと解すべきであるとしており(最二小判昭和34・6・19民集13巻6号757頁参照)、実務においても、相続債務は遺産の分割の対象から除外されている(上原裕之ほか編著『リーガル・プログレッシブ・シリーズ遺産分割〔改訂版〕』(青林書院、2014)318頁(片岡武))。相続債務が遺産の分割の対象とならず、遺産の分割が積極財産のみを対象とするものであるとすれば、遺産の分割のやり直しに代えて被認知者のために価額支払請求を認めた民法910条の支払価額の算定においても、積極財産のみを基礎とするのが当事者間の衡平の観点から相当と考えられる。

 非控除説を採用する場合には、認知によって相続債務の負担に変更を生ずることになるものの、認知の時点において既に相続債務の弁済を受けていた債権者の利益は、認知の遡及効の制限(同法784条ただし書)や債権の準占有者に対する弁済(同法478条)等の規定によって保護されることになると考えられる。また、既に相続債務が弁済されていれば、被認知者が弁済をした共同相続人に対して不当利得返還債務を負うことがあり得ると考えられるところ、当該共同相続人が同法910条の支払請求の相手方であれば、相殺によって処理することが考えられ、本件でも、原審において、被告からこのような相殺の抗弁が予備的に主張され、その一部が認められている。

 ⑸ なお、学説の中には、原則として非控除説を採用すべきものとしつつ、民法910条に基づく支払により不当利得を生じて法律関係が煩瑣になることをなるべく避ける観点から、他の相続人により相続債務の全額が弁済されているような場合には例外的に控除説を採用すべきであるという折衷的な見解(能見善久ほか編『論点体系判例民法<第2版>10相続』(第一法規、2013)172頁(大塚正之))もみられるものの、理論的な整合性に疑問がある上、相続債務の全体が明確でない場合もあり得ることに照らしても、採用し難いように思われる。

 

4 本判決の意義

 本判決は、民法910条に基づき支払われるべき価額の算定の基礎となる遺産の価額につき積極財産の価額から消極財産の価額を控除すべきか否かという学説及び下級審裁判例において見解の対立がみられる問題について、最高裁が、遺産の分割の対象や相続債務の負担を踏まえ、非控除説を採ることを明らかにしたものであって、理論的にも実務的にも重要な意義を有すると思われるので紹介する。

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