1 事案の概要
本件は、税関長の許可を受けないで、うなぎの稚魚をスーツケースに隠匿して成田空港から日航機に積載する方法で輸出しようとした事案において、関税法111条3項、1項1号の無許可輸出罪の実行の着手時期が争われたものである。
2 本件の事実関係
本件当時の成田空港における日航機への機内預託手荷物に関する検査は、国際線チェックインカウンターエリア入口に設けられたX線検査装置による保安検査をし、検査が終わった手荷物には検査済みシールを貼付するという方法で行われていた。同エリアは周囲から区画されており、同エリアに入るには、当日の搭乗券等を所持してX線検査装置がある入口を通る必要があった。また、日航では、同エリア内にある検査済みシールが貼付された荷物については、そのままチェックインカウンターで機内預託手荷物として預かって航空機に積み込む扱いとなっていた。一方、機内持込手荷物については、別に保安検査を行うため、同エリア入口でのX線検査を行わない扱いとなっていた。
被告人らは、この検査態勢を悪用して密輸出を繰り返していた。その手口は、まず、衣類在中のスーツケースにつき機内預託手荷物と偽って同エリア入口でのX線検査を受け、検査済みシールを貼付してもらった後、そのまま同エリアを出て検査済みシールを剥がし、今度は、うなぎの稚魚が隠匿された本件スーツケースを機内持込手荷物と偽って入口でのX線検査を回避して同エリアに入り、先に不正に入手した検査済みシールをそのスーツケースに貼付し、これをチェックインカウンターで機内預託手荷物として預け、機内に乗り込むというものである。
本件は、計画通り、うなぎの稚魚が隠匿された本件スーツケース6個を同エリア内に持ち込み、先に不正に入手した検査済みシールを各スーツケースに貼付したが、機内預託手荷物として預ける前に、同カウンターで航空券の購入の手続を行っていた段階で、張り込んでいた税関職員に発見されたものである。
3 本件の審理経過
本件について無許可輸出の未遂罪を認定した1審判決に対し、控訴審判決は、実行の着手とは、犯罪構成要件の実現に至る現実的危険性を含む行為を開始した時点であって、本件のような事案においては、スーツケースについて同カウンターで運送委託をした時点と解すべきであり、検査済みシールをスーツケースに貼付したまでの事実をもって未遂罪が成立するとはいえず、予備罪が成立するにとどまると判断して、1審判決を破棄した。
これに対し、本判決は、本件事実関係を前提に、本件スーツケースを機内預託手荷物として搭乗予約済みの航空機に積載させる意図の下、機内持込手荷物と偽って保安検査を回避して同エリア内に持ち込み、不正に入手した検査済みシールを貼付した時点では(「では」とは「遅くとも」という趣旨と思われる。)、既に航空機に積載するに至る客観的な危険性が明らかに認められるとして、実行の着手を肯定し、控訴審判決を破棄した。
4 実行の着手時期に関する学説・判例
実行の着手時期について、学説は、犯罪意思が外部に表明されたときに実行の着手があるとする主観説(現在ではほとんど支持されていないようである。)と、行為の客観的な危険性に着目する客観説があり、後者は、さらに、構成要件該当行為又はそれに密接に関連する行為が行われたときと解する形式的客観説(団藤重光『刑法綱要総論〔第3版〕』(創文社、1990)354頁など)と、構成要件の実現に至る実質的危険性の観点から判断するという実質的客観説(佐伯仁志『刑法総論の考え方・楽しみ方』(有斐閣、2013)339頁、前田雅英『刑法総論講義〔第5版〕』(東京大学出版会、2011)148頁など)とがあり、実質的客観説が多数説のようである。もっとも、形式的客観説を基本としつつ、実質的客観説の基準を併用する説(井田良『講義刑法学・総論』(有斐閣、2008)397頁など)、形式的な基準と実質的な基準とは相互補完的関係にあると理解する必要があるとする説(山口厚『刑法総論〔第2版〕』(有斐閣、2007)269頁など)などの中間的な見解もある。さらに、実質的客観説にいう「危険性」の判断に際し、①行為の客観面のみならず行為者の主観面も資料に加えてよいか、②行為者の主観面を資料に加えるとして、行為者の故意のみならず計画をも資料に加えてよいかという点でも対立があるが、①の点については、これを認める学説が多数であり(例えば、同じくけん銃の引き金に指を掛けて銃口を人に向ける行為であっても、脅すつもりであるのか、殺害するつもりであるのかによって、人の生命に対する危険性は全く異なるとする。)、対立しているのは②の点である(この点を否定する見解として大谷實『刑法講義総論〔新版第2版〕(成文堂、2007)369頁など、肯定する見解として西田典之『刑法総論〔第2版〕』(弘文堂、2010)306頁などがある。)。
この問題について、判例は、大審院時代は形式的客観説を採用していたと理解されている(窃盗の実行の着手時期に関する大判昭和9年10月19日刑集13巻1473頁など)。一方、最高裁の判例としては、ダンプカーにより婦女を他所へ連行した上強姦した場合につき、同女をダンプカー内に引きずり込もうとして暴行を加えた時点において強姦行為の着手があるとした最決昭和45年7月28日刑集24巻7号585頁、被害者を失神させた上、自動車ごと海中に転落させて溺死させようとした場合につき、クロロホルムを使って被害者を失神させる行為を開始した時点で殺人罪の実行の着手があるとした最決平成16年3月22日刑集58巻3号187頁などがあるが、これらの判例は、その時点で既に強姦や殺人に至る「客観的な危険性が明らかに認められる」という判断枠組みを採っており、実質的客観説を採用していると理解されている(なお、平成16年の判例は、危険性の判断に際して行為者の計画を考慮することを認める趣旨と理解されている。)。
5 本判決について
関税法は、「輸出」について「内国貨物を外国に向けて送り出すことをいう」(2条1項2号)と規定しており、本件のように、外国仕向機に直接積載する方法による輸出の場合は、航空機に積載すれば自動的に外国に向けて送り出されるから、航空機に積載する行為が構成要件該当行為と捉えることができよう。
本判決は、本件当時の機内預託手荷物に関する検査態勢などの本件事実関係を前提に、本件スーツケースをチェックインカウンターエリア内に持ち込み、検査済みシールを貼付した時点では、「既に航空機に積載するに至る客観的な危険性が明らかに認められる」としており、上記2つの最高裁判例と同様に実質的客観説に沿った判断枠組みを採るものと理解できよう。また、「航空機に積載させる意図の下」とも説示しており、その「客観的な危険性」の判断に際して、行為者の計画をも考慮することを認めた趣旨と理解できるように思われる。
なお、本判決には、千葉勝美裁判官の補足意見が付されている。そこでは、本件における機内預託手荷物の保安検査の特殊性を説明するとともに、実質的客観説に沿ったと思われる法廷意見の判断枠組みを是認しつつ、それと同時に、「構成要件該当行為………に密接な行為が行われたと評価することもできる」と、形式的客観説に沿った判断枠組みからも同様の結論である旨示しており、控訴審判決の法律判断を破棄するに当たり、実行の着手時期に関する別の立場に立ったとしても実行の着手が肯定されることを、確認的に補足して説明したものであって、特に法廷意見と異なる立場に立つことを示したものではないと推察される。