タイ:巨額不正融資事件からみえるタイの司法制度の一端
長島・大野・常松法律事務所
弁護士 箕 輪 俊 介
タイ最高裁判所は8月26日、タイ大手4行の一角である、クルン・タイ銀行(以下、「KTB」という。)の元経営幹部らが汚職などの罪に問われた裁判で、被告19人に最長で禁錮18年の実刑判決を言い渡した。この事件は、2003年から2004年にかけて、返済能力のない借入人として格付されていた不動産会社に対し、その関連会社を通じて、総額100億バーツ(当時のレートで日本円にしておよそ300億円)近い複数の貸付・借換がKTB幹部により承認され、実行されたというものである。この不正融資には、KTBに対して時の首相であったタクシン・チナワット氏の働きかけがあったとされる。本件は、2012年に、タクシン・チナワット元首相やKTBの元頭取、貸付を受けた企業を含む22人と5社が公務員の汚職を処罰する刑法第157条、商業銀行法違反などで起訴されたものであり、約3年の歳月を経て今般判決が下された。
注目すべきは当該裁判が政治家の汚職などを裁定する一審制の特別法廷、最高裁判所政治職在任者刑事事件部で行われたことである。タイでは、政治家・公務員らの汚職・不正行為防止のための体制作りの一環として、首相を含む政治的公務員が公職・公務に対する罪を犯した場合、この政治職在任者刑事事件部が政治家の汚職事件を専属的に審理及び裁判を行うこととしている。
政治職在任者刑事事件部は、政治的公務員のみならず、政治的公務員を支援し、案件に関与した者についても審理する権限を有する。KTBの元経営幹部らが最高裁判所政治職在任者刑事事件部にて審理及び裁判がなされたのもこのためである。
事件部の判決及び命令に対し、再審の請求ができないわけではないものの、再審受理の条件が非常に厳しいため、実質的には事件部の判決又は命令が終局的なものとなる。この点は、第一審裁判所、控訴裁判所、最高裁判所という三審制を取るタイの一般の刑事裁判と大きく異なる。事実、本件も1回の審理で判決が確定し、判断を下されたKTBの元頭取らは判決後、直ちに収監された。
昨年のクーデターより政権を握る軍事政権は、汚職の撲滅を重要政策のひとつに掲げており、実際に汚職の数は従前に比べて減少しており、裁判所における立件数も増加しているとされている。立件数の増加は、「冤罪」の増加を引き起こしかねず、日本の企業が「冤罪」に巻き込まれ、政治職在任者刑事事件部に事件を扱われ、そのまま弁解の機会を充分に与えられることなく判決が「確定」されるおそれがないわけではない。
また、先般の汚職行為防止基本法の改正により、贈賄者が、法人の従業員、代理人、関連会社又はその他法人を代表したり代理したりする者である場合、かかる者が何らの権限を有していない場合も、その贈賄行為が法人の利益のために行われた場合は、適切な汚職防止の内部的措置を行っていることを証明しない限り、法人も処罰の対象となる旨が明確化された。このことから、企業そのものが汚職トラブルに巻き込まれることを防ぐために、以前にも増してローカルスタッフを含めた体制作りをしていく必要性が生じている。
日系の企業が政治的公務員の関連する不正・汚職に関与して起訴・裁定されることは多くないとは思われるが、タイには上記制度があることから、些細な事情が収拾のつかない事態を引き起こす可能性がありうる。したがって、政治家が絡む不正の裁定制度として政治職在任者刑事事件部があることを念頭におき、「冤罪」に巻き込まれた際のリスクを考慮に入れた上で、駐在員のみならず、ローカルスタッフを含めた適切な体制作りがなされることが期待される。