法のかたち-所有と不法行為
第一話 権利を観念化するとはどのようなことか
法学博士 (東北大学)
平 井 進
3 商業上の所有観念と土地の所有観念は異る
商業は、取引が自由である市場があることが前提であり、そのような市場取引を安全・公正にする環境を提供する場として都市が発達する。前述のように、その取引においては、対象の物を占有せずにそれを所有する観念的な権利が必要となり、その権利の移転は取引当事者の合意によって成立するが、それが所有権の観念性とその移転を観念する契約である。
所有物の移転は、伝統的には引渡を要件としていたが、これに対して、グロティウスは合意によって権利が移転するという理論を立てた。これは、彼がいたオランダの通商都市における慣行を反映している。リスクを負担することによりその利益・損失が誰に、どの程度帰属するかを明らかにするには、その範囲を定める権利・義務が必要であるが、占有を前提にしなければ、この法関係は観念的になる。これをその観念性の「取引的モーメント」ということにする。
一方、農業的な土地支配についてはどうであろうか。中世の土地の領有に基づく封建関係において、領主-農民の間では、領主は土地と農民を一体的に支配するのであり、農民層は、そのような身分的な支配関係を脱した自由な土地の保有を求める。封建関係の土地制度(上下の領主関係において、上位者が下位者を保護すべく土地領有を承認する代りに、下位者に軍事賦役を義務付ける)においては、基本的に土地の商業的な取引はないので、前述のような取引上の観念性を生み出すことはない。封建関係において特有の土地所有の観念性を生むのは、その根底に(下位領主の軍事関係にせよ、農民の身分関係にせよ)自らの生活の自由の希求があることによる。このような観念性を「身分的モーメント」ということにする。
このように、所有に関して、二つの流れによる観念性の発達があったと考えられる。一つは、対象の占有を要さずその取引を行えるようにするものであり、もう一つは、土地関係において社会的関係(軍役・身分)の自由がないことについて、それを希求する理念としてである。