◇SH0533◇法のかたち-所有と不法行為 第八話-1「日本の江戸・明治時代の土地所有関係」 平井 進(2016/01/26)

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法のかたち-所有と不法行為

第八話 日本の江戸・明治時代の土地所有関係

法学博士 (東北大学)

平 井    進

 

1  江戸時代の土地所有関係

 日本の土地所有関係について、豊臣秀吉の時代から見ていきたい。秀吉が天下統一のための諸戦にその家臣団を出陣させるにあたり、彼らは在地領主ではなく、常備軍として従軍する。秀吉が新たに獲得した支配地には功のあった家臣を大名として配し、転封・所替は当然に行われる。[1]このようにして、秀吉は大名等への領知について、「知行之儀」は「当座之儀」であり、知行される者は交替しうると述べている。[2]

 秀吉は大名の領地について、基本的に、村を単位とする検地を行い、その合計によって大名の石高を決め、新たに領知させた。これは統治のための公法的な権能であるために、領地は大名の私有ではなく、自動的な相続は認められなかった(相続の際に改めて領知した)。大名の地位は石高に対する観念的なものであって、原理的に特定の土地と関係付けられていない。[3]この統治体制は、徳川幕府に継承される。

 一方、検地において明らかにされた農民の土地は、その名請人のものとされた。上記の大名の統治の場合と異なり、土地の私法的な「所持」が認められたが、田畑の永代売買は禁じられていた。[4]江戸の町屋敷の土地については、町人による所持が認められ、この場合は相続や売買をすることができた。[5]このように、土地の所持の権能は用益に限られない管理権能をもっており[6]、また田畑の永小作も、地主がその権能を自由に取上げることができない対抗力をもっていたとされる。[7]

 町人が所持する土地については、江戸の町屋敷の売買において名主がそのことを記録し、その所持の権利証(沽券)を発行していた。[8]この制度は、明治5年に東京府において地券の制度(土地の所持者がその面積・価格等を届出る)となる。次いで、明治6年(1873)に日本全国において地券が発行され(それによる地租改正がなされ)、今日に続く所有権制度となる。



[1] 参照、安良城盛昭『太閤検地と石高制』(NHKブックス, 1969)225-228頁。

[2] 天正15年(1587)のキリシタン禁令「定」の第三条。

[3] 参照、石井良介『江戸時代土地法の生成と体系』(創文社, 1989)300-306頁。

[4] 参照、同上343-376頁。ただし、幕府の方針を採用しない藩もあり、また幕府も質流れは認めていた。

[5] 参照、同上394-424頁。

[6] 参照、同上346, 350頁。

[7] 参照、同上537-538, 542頁。

[8] 参照、同上6-10, 24-31頁。売買と沽券の手続について、426-444頁。

 

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