◇SH0540◇法のかたち-所有と不法行為 第八話-3「日本の江戸・明治時代の土地所有関係」 平井 進(2016/02/02)

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法のかたち-所有と不法行為

第八話 日本の江戸・明治時代の土地所有関係

法学博士 (東北大学)

平 井    進

明治憲法-統治権と所有権

 徳川将軍は最高政治権力として全国の大名を「統轄」していたが、これは形式的には「大大名」として他を統合(諸侯統轄)していたのであって、基本的に各大名はその領分を領知(施政)していた。幕府の政務費用はその直轄領からの収入によって賄われており、諸大名に定期的に賦課することはなかった。

 それでは、大政奉還(1867年)の対象は、幕府の諸大名に対する統治権であったのか、諸大名を封じていた土地の所有権であったのか。これは前述の版籍奉還の場合と同様であって、幕府の機能の実体として私法的な所有権ではなく、公法的な統治権であった。

 前述のように明治6年に明治政府が地券を発行して全国の土地に私的な所有権を認めるにあたって、それは秀吉以来の検地の名請人の所持をそのまま所有に移したものであって[1]、その実施はほとんど問題なく行われていた。問題となったのは、政府がその土地に地租を課するにあたって、その理論的な根拠、すなわち、政府は日本全体の土地支配に関していかなる権限をもっていたのかということである。

 当初、岩倉具視らが唱えていたことは、天皇が日本全体の土地を所有しているという「王土論」であり、これによれば地租はその地代である。この場合、前述のヨーロッパの「分割所有権」と同様の構造をとることになり、それでは明治政府は新たな封建的体制をとるのかという問題となる。

 これに対して、(後に明治憲法の実質的な起草者となる)井上毅は、公権(統治権)と私権(所有権)とを区別し、天皇の統治権が各国民の所有権に優越し、それ故、所有権を制限し、租税を課す権限をもつというスキームを考えた。問題は、当時まだ議会ができておらず(議会の開設は明治23年)、それまでは自由民権派が「代表権なくして課税なし」として政府を批判する状況に対して、いかに対応するかということであった。[2]

 それでは、上記の統治権が私権に対して優越するという理論的な根拠は何か。憲法(明治22年)の案を起草する段階において、井上毅は次のことを確認している。(ヨーロッパ中世において)「法学ノ不完全ナル発明」によって、国家統治の公権を国王の最上の所有権とし、その支配において公法と私法を区分していなかったこと(家産的な国家)、それに対して、グロティウスは最上所有権を私法上のものとはせず、国の統治権であるとし、このような考え方によって君主は国家を公法的に統治するようになってきたこと、実際に1713年にプロイセン国王が従前の王領地を国有地とした(王室経費は新たに国家財政によることになる)こと等である。[3]

 ここにおいて井上が抱いていた理論的な疑問は、所有権が絶対不可侵であるとする理念と国家がそれを制限することができること(収用や課税)とがはたして整合するのかという問題であった。[4]これについて、ドイツから来た政府顧問のロエスレルは、所有権の絶対不可侵とは適切に賠償して収用する場合には当てはまらないと説明する。しかし、所有権の絶対不可侵理論が人間の自由という基本的人権によって裏付けられているのであるとすると、国家が収用しようとする場合はそれに抵抗する権利がある筈であり、「制限された(範囲での)絶対性」という概念自体、本来的には絶対性概念にならない。

 このように、所有権の絶対性という概念に煩わされることはなくなるとしても、依然として天皇の全国統治の公法上の大権が私法に優越することの根拠の問題は残る。ここにおいて、井上は、それが前者の公益性の故であり、日本においては伝統的にそのように実現してきたとする。

 帝国憲法の解説書である伊藤博文『憲法義解』(1889年)は井上が起草したものであるが、その第27条(日本臣民ハ其ノ所有権ヲ侵サルルコトナシ  公益ノ為必要ナル処分ハ法律ノ定ムル所ニ依ル)の説明に、フランスの革命による領主権の廃止やプロイセンの領主地の巨額の有償償却の場合と異り、日本においては各藩にあった土地を「容易ニ一般ノ統治ニ帰シ」、これを「小民ニ分予スルコトヲ得」たのは、「各国ニ其ノ例ヲ見サル所」とある。

 


[1] 明治元年の太政官布告において、「村々ノ地面ハ素ヨリ都テ百姓持之地タルヘシ」(註、都は全と同じ)とあり、従来の所持のとおりとしている。

[2] 参照、奥田春樹『地租改正と割地慣行』(岩田書院, 2012)22-24, 48頁。

[3] 参照、島善高『律令制から立憲制へ』(成文堂, 2009)234, 251-252, 255-256, 260-261頁。公法と私法の分離について、井上はドイツのブルンチュリ(加藤弘之訳)『国法汎論』(文部省, 明治5年)を参照している。J.C.Bluntschi, Allgemeines Staatsrecht, 1851-1852.

[4] 参照、石井紫郎「西欧近代的所有権概念継受の一齣-明治憲法第二七条成立過程を中心として」季刊日本思想史, 1 (1976) 121-126頁、奥田春樹『地租改正と地方制度』(山川出版社, 1993)502-509頁。

 

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