◇SH0545◇法のかたち-所有と不法行為 第八話-4「日本の江戸・明治時代の土地所有関係」 平井 進(2016/02/05)

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法のかたち-所有と不法行為

第八話 日本の江戸・明治時代の土地所有関係

法学博士 (東北大学)

平 井    進

 

4 国体と天皇機関説

 前述のように徳川幕府の統治は公法的なものであったが、王政復古を大義名分として幕府を倒した明治政府としては、その統治の公法性を説明するにあたり、幕府の統治の伝統をいうことができず、その前の時代からそうであったという歴史的な観念によることになる。

 憲法の発布勅語にある「朕ハ我カ臣民ノ権利及財産ノ安全ヲ貴重シ及之ヲ保護」するとあることは、前述の所有権に関する第27条に対応するが、前述の『憲法義解』の井上が起草した稿本である「憲法説明書」によると、前述の「各国ニ其ノ例ヲ見サル所」の後に、それが「国体ノ美ト臣民忠順ノ懿徳ヲ徴明スルニ足ルモノ」であるとある。[1](ただし、『憲法義解』においては削除されている。)[2]

 ちなみに、上記稿本の上諭に、歴史的に国の光栄が恒久に失墜していないのは、「我カ国体ノ美ナルニ由ルノミニアラス、又我カ臣民ノ賦性醇厚」によるとある。(この部分も『憲法義解』においては削除されている。)

 当時の憲法関係文書で「国体ノ美」が現れるのはこれら稿本の二カ所だけであり、井上のいう国体は臣民の美風と対になる概念であった。明治憲法に「国体」の語はないが、『憲法義解』で「国体」について述べているのは、憲法(第1章)、摂政(第17条)、租税(第63条)、予算(第71条)、改正(第73条)のところである。[3]租税と予算の二カ所において、「国体にもとづき、理勢(物事の自然の成行)に酌む」という表現があり、そのような事柄に「国体」は端的に関係し、かつ合理的に解されるものとされている。

 このような統治の公法性が奈良・平安時代の王政になかったことから、井上はそれを『古事記』『日本書紀』の天皇の「しらす」(「しろしめす」と同義)という行為に求めた。[4]『憲法義解』の第1条(万世一系)に、古典では統治のことを「シラス」といい、「一人一家ニ享奉スルノ私事ニ非サルコト」を示しており、「憲法ノ拠テ以テ其ノ基礎ト為ス所」とあり、また『皇室典範義解』の第45条(世伝御料)に、「一国統治ノ公義ニ依リ豪族ノ徒ヲ斥ケテ其ノ私ニ邦土ヲ領有スルヲ許サス」[5]、皇室の経費は全国の租税を以てして内庫の私産を用いてこなかったこと(家産的でなかったこと)は立憲の主義に符合し、「善美ナル国体ノ基礎ナリ」とある。

 このように、統治の公法性をいうために古典の神話的なことがらを題材とせざるをえなかったことにより、これは、ヨーロッパ中世の王権神授説的な趣向につながることになる。憲法の告文の「皇宗ノ神霊ニ誥ケ白サク、皇朕レ天壤無窮ノ浩漠ニ循ヒ、惟神ノ宝祚ヲ承継シ」、発布勅語の「国家統治ノ大権ハ朕カ之ヲ祖宗に承ケテ」という文は[6]、天皇の神聖(第2条)、万世一系(第1条)に対応している。しかし、これらは上記の「国体」概念とは無関係であった。

 後に昭和10年、天皇の御親政という議論から、昭和10年の美濃部達吉の天皇機関説に対する非難が起るのであるが、この論は美濃部がいうように家産的な国家概念であり[7]、上記のように明治憲法の制定者が否定していたものである。

 上記のように、「国体」概念が、明治政権が幕府の統治の公法性を否定するために用いられていたとすると、歴史においてifを問うことが許されるならば、幕末において「公武合体」が成功していればどうなっていたであろうか。

 


[1] 清水伸『明治憲法制定史(下)-枢密院における明治憲法制定会議-』(原書房, 1973)539頁。

[2] 稿本は原案として枢密院顧問官に配布され、その後、起草関係者と学者(穂積陳重・富井政章・末国精一)らによって字句が修正された。

[3] 第1章に憲法に大権を掲げるのは、固有の国体は憲法によって鞏固であることを示すこと、第17条の摂政を置く要件を皇室典範に譲るのは「国体ヲ重ン」ずるからであること、第63条の租税の徴収を旧に依るのは「国体ニ原(もと)ツケ、之ヲ理勢ニ酌ミ、紛更ヲ容レサル」からであること(ただし、稿本に国体の文はない)、第71条に民主主義によるアメリカ等で議会が予算を廃棄することがあることは「我カ国体ノ固ヨリ取ルヘキ所ニ非」ず、「我カ憲法ハ国体ニ基ツキ、理勢ニ酌ミ」対応すること、第73条の条項の改正について、「国体ノ大綱ハ万世ニ亙リ永遠恒久ニシテ移動スヘカラス」と雖も、節目において変通することは必要なくはないことである。

[4] 井上が「しらす」を日本独自の公法的な統治として見ていたことについて、島・前掲, 230-233頁を参照。

[5] 井上の「皇室典範説明案」では、「我カ国ハ肇国ノ初ニ於テ統治ノ公義ニ従ヒ、領有ノ私道ニ依ラス、皇位一統ノ大義ニ遵由スル者既ニ二千有余年、而シテ学理上ノ発見推論ヲ仮ラサル者ナリ」とあり(島・前掲, 314頁)、豪族のみならず皇室が私有せず、統治の公義を行っていたということを明示的に述べている。

[6] 告文は天皇が宮中で皇祖皇宗に対して読上げ、発布勅語は正殿で政府要人に対して読んで憲法の書を下賜したものである。

[7] 参照、宮沢俊義『天皇機関説事件-史料は語る-』(有斐閣, 1970)上93頁。

 

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