◇SH0791◇最二小判 平成28年6月3日 遺言書真正確認等、求償金等請求事件(小貫芳信裁判長)

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 X及びYらは、いずれも亡Aの子であるところ、本件は、Xが、Aが所有していた土地について、主位的にAから遺贈を受けた、予備的にAとの間で死因贈与契約を締結したと主張して、Yらに対し、所有権に基づき、所有権移転登記手続を求めるなどした事案である。Aが作成した本件遺言書(原々審判決別紙1)には、印章による押印がなく、いわゆる花押が書かれていたことから、花押を書くことが民法968条1項(自筆証書遺言)の押印の要件を満たすか否かが争われた。

 原審は、本件遺言書におけるAの花押は民法968条1項の押印の要件を満たすとして、本件遺言書による遺言を有効とし、同遺言によりXは上記土地の遺贈を受けたとして、Xの請求を認容すべきものとした。

 本判決は、花押を書くことは、印章による押印と同視することはできず、民法968条1項の押印の要件を満たさないとして、原判決中Xの請求に関する部分を破棄し、Xの予備的主張(死因贈与契約)について更に審理を尽くさせるため、原審に差し戻した。

 

 民法は、「遺言は、この法律に定める方式に従わなければ、することができない。」(同法960条)と規定し、同法第5編第7章第2節に遺言の方式を定めている。遺言について厳格な方式を要求するのは、遺言者の真意を確保するためであり、遺言者の死後に遺言者の真意を直接確認することはできないから、遺言者の真意に基づいて遺言がされたことを判断するのに適した方式を定めておき、これを満たすもののみが遺言として効力を有することとしたものである(中川善之助=泉久雄『相続法〔第4版〕』(有斐閣、2000)500頁、穗積重遠『相續法(第2分冊)』(岩波書店、1947)342頁等)。

 自筆証書遺言の方式につき、民法968条1項は、「自筆証書によって遺言をするには、遺言者が、その全文、日付及び氏名を自書し、これに印を押さなければならない。」と規定している。これは、明治23年公布のいわゆる旧民法に置かれていた同旨の規定が、現在に引き継がれているものである。

 自筆証書遺言につき氏名の自書に加えて押印を要求する規定が旧民法に置かれた趣旨を明確に記載した立法資料は見当たらないが、押印を要求する趣旨について述べる初期の学説としては、押印は遺言書として完成させるための要件である旨を述べるもの(奥田義人『民法相續法論』(有斐閣、1898)305頁、牧野菊之助『日本相續法論』(法政大学、1909)428頁等)や、遺言は重要な法律行為であるから特に押印を必要とした旨を述べるもの(和田于一『遺言法』(精興社、1938)66頁)があった。

 昭和年代以降は、氏名の自書に加えて更に押印を要求する意義に疑問を呈する学説が見られるようになり、立法論として押印の要件を撤廃し、解釈論としてもこの要件を緩和すべきである旨を述べるもの(近藤英吉『判例遺言法』(有斐閣、1938)48頁)や、三文判でもよいとすればその実効性が疑わしい旨を述べるもの(中川善之助監修『註解相続法』(法文社、1951)295頁[小山或男])などがあり、以後、同旨の見解を述べる学説が多い(柚木馨『判例相續法論』(有斐閣、1953)323頁、中川善之助編『註釋相續法(下)』(有斐閣、1955)41頁[靑山道夫]、中川善之助ほか編『注釈民法(26)』(有斐閣、1973)72頁[久貴忠彦]、阿部徹「自筆証書遺言の方式」加藤一郎=太田武男編『家族法判例百選(新版・増補)』(有斐閣、1975)263頁、内田貴『民法Ⅳ〔補訂版〕』(東京大学出版会、2004)465頁等)。

 判例(最一小判平成1・2・16民集43巻2号45頁等)は、自書のほか押印を要求する趣旨について、「遺言の全文等の自書とあいまって遺言者の同一性及び真意を確保するとともに、重要な文書については作成者が署名した上その名下に押印することによって文書の作成を完結させるという我が国の慣行ないし法意識に照らして文書の完成を担保することにあると解される」としている。上記平成元年最判は、上記趣旨に照らして、自筆遺言証書における押印は指印をもって足りる旨を判示していた。

 

 「花押」とは、例えば新村出編『広辞苑〔第6版〕』(岩波書店、2008)によれば、「署名の下に書く判。書判ともいい、中世には判・判形と称した。初めは名を楷書体で自署したが、次第に草書体で書いた草名となり、さらに様式化したものが花押である。」などとされている。

 「花押」が自筆証書遺言の押印の要件を満たすか否かについて、学説は、否定説(牧野菊之助・前掲428頁、柳川勝二『日本相續法註釋(下巻)三版』(巖松堂書店、1925)328頁、中川善之助監修・前掲295頁[小山或男]、佐藤隆夫「遺言の方式」中川善之助教授還暦記念『家族法大系Ⅶ』(有斐閣、1960)167頁等)と肯定説(中川善之助編・前掲41頁[靑山道夫]、阿部徹・前掲264頁、久貴忠彦「自筆証書遺言の方式をめぐる諸問題」中川善之助先生追悼『現代家族法大系5』(有斐閣、1979)234頁、高野竹三郎『相続法要論』(成文堂、1982)273頁、中川淳『相続法逐条解説(下巻)』(日本加除出版、1995)60頁、中川善之助=泉久雄『相続法〔第4版〕』(有斐閣、2000)520頁等)とに分かれているが、近年は、押印の要件を緩和すべきとする立場からの肯定説が多いといえる。

 下級審裁判例としては、アルファベット2文字を組み合わせた形象を花押と認めつつ、作成者が自筆証書遺言について当該花押をもって押印に代替させる意思を有していなかったとして、自筆証書遺言とは認めなかったもの(東京地判平成18・6・23判例秘書)、片仮名を崩したサイン様のもの及びひらがな1文字を○で囲ったものについて、自筆証書遺言の押印の要件を欠くとしたもの(東京地判平成25・10・24判時2215号118頁)等がある。

 

 本判決は、前記平成元年最判の判示した自筆証書遺言の押印の要件の趣旨を踏まえ、我が国において、印章による押印に代えて花押を書くことによって文書を完成させるという慣行ないし法意識が存するものとは認め難いとして、花押を書くことは、民法968条1項の押印の要件を満たさないとした。

 自筆証書遺言における押印の要件は、当該文書の作成者を特定するという意義だけでなく、作成者が当該文書を有効な遺言書として完成させる意思を有していたことを明確にする意義を有するものであり、ある者が当該文書を書いたことが判明するからといって、押印がなく花押が書かれた当該文書を遺言書として有効とすることが当然にその者の意思に沿うとはいえないであろう(本件でも、Yらは、AはXに遺贈をする意思はなく、自筆証書遺言に押印が必要であることを知っていたAは、本件遺言書を有効な遺言書としないために、あえて花押を書いた旨を主張して争っていた。)。

 なお、前記のとおり、遺言は民法所定の方式に従わなければすることができないとされている(同法960条)のは、遺言者の死後において、当該遺言が遺言者の真意に基づいてされたものであることが明確に判断できるようにするためであることからすると、その方式を具備しているか否かは、できるだけ形式的かつ客観的に判断されるべきものといえる。この点、花押は、いわゆるサインや単なる記号と外形的に区別し得るものであるのか否か、また、これを使用する者が継続的に押印の代わりに使用する意思を有することを要するのか否かなどが問題となり得るところであり、その概念は不明確なものといわざるを得ず、遺言の方式の要件として形式的・客観的に判断するのにそぐわないものといえよう。

 前記平成元年最判は、指印は自筆証書遺言の押印の要件を満たすものとしたが、指印は、その概念自体は明確である上、押印と同様に同じ形象が繰り返し再現されるものであり、また、究極的には個人を特定する機能が高いのに対して、花押は、押印のような再現性はなく、個人を特定する機能も高いとはいえないのであるから、花押を指印と同等のものと見ることはできないであろう。

 遺言者の真意を明確にするために要求することとした方式要件を余りに緩和して解することは、方式要件を定めた意義を没却し、無用な紛争を招来することになりかねない。また、実際上も、自筆証書遺言をする際に、押印でも指印でもなく、花押を書かざるを得ない状況があるとは通常想定し難いのであり、花押を認めないことにより自筆証書遺言の利用が阻害されるとはいえないであろう。

 なお、最三小判昭和49・12・24民集28巻10号2152頁は、「英文の自筆遺言証書に遺言者の署名が存するが押印を欠く場合において、同人が遺言書作成の約1年9か月前に日本に帰化した白系ロシア人であり、約40年間日本に居住していたが、主としてロシア語又は英語を使用し、日本語はかたことを話すにすぎず、交際相手は少数の日本人を除いて、ヨーロッパ人に限られ、日常の生活もまたヨーロッパの様式に従い、印章を使用するのは官庁に提出する書類等特に先方から押印を要求されるものに限られていた等原判示の事情(原判決理由参照)があるときは、右遺言書は有効と解すべきである。」(判決要旨)としている。この判決は、押印を欠く自筆遺言証書が有効となる場合のあることを示したものであるが、「よほど特別の事情」のある一事例を示したにとどまるものであり(大和勇美・昭和49年判解民559頁)、一般的に真意が明らかであれば押印を要しないとする方向で押印の要件を緩和したものではないとされている(小田原満知子・平成元年判解民15頁)。本件では、原判決で認定されている事実関係によれば、Aは、長年公務員としての勤務経験があり、寄せ書き等の色紙に花押を書いたことはあったものの、各種契約書等には押印をしていたのであり、上記昭和49年最判の事案のような、押印を欠く自筆遺言証書が有効となる特別な事情があるとはいえないことは明らかと思われる。

 

 本判決は、自筆証書遺言における押印の要件につき、上記平成元年最判が指印をもって足りる旨を判示した後に残されていた問題について、最高裁が判断を示したものであり、理論的にも実務的にも、重要な意義を有すると考えられる。

 

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