◇SH0930◇法のかたち-所有と不法行為(完) 第十六話-8「古代・中世の定住商業における所有権の観念化」 平井 進(2016/07/15)

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法のかたち-所有と不法行為(完)

第十六話 古代・中世の定住商業における所有権の観念化

法学博士 (東北大学)

平 井    進

 

8  文字はいかにして形成されたか

 前回、「所有」という法関係と世界最古のオリエントの都市の生成との関係について見たが、最古の文字の生成との関係についても見ておきたい。

 古代オリエントにおいて、絵文字的な記号は、前述のトークンといわれる粘土片の押印マークから進化している。以下に、この分野で最も注目される説を出しているシュマント=ベッセラの書の頁数を引用しながら概観する。[1]最初期のものは前八千年頃にイランとシリア(メソポタミアの周辺地域)から出土している(31)。前3700~前3500年頃に、トークンを中空の粘土の球に入れて封じ、球の表面にもトークンを押印することが始まり(46)、これらもイランとシリアから出土している(52-53)。同様の機能は、トークンに穴をあけて複数個を紐でつなぎ、その紐の両端を粘土で封ずるブッラといわれるものにも見られ、これは輸送する商品の荷札となる(42)。

 封球の表面にトークンとは別に筆記具で押印マークを付けることがあり、これが前3500~前3000年頃の粘土板への押印記号、すなわち絵文字につながる(56, 59, 75)。

 トークンの最初の形態(プレイン・トークン)では、そこで示されていたのは穀物・動物等の種類とその数量であり(83-85)[2]、例えば「羊三頭」は、羊の記号が三つ押印されることにより表される。牧畜・農業社会においては、トークンをもち、押印するのは、対象の数を一つづつ数える物理的な占有者であり、占有の権能は、それが失われたときにそれを取り戻すことであって、トークンはその地位にあることを示していた。

 トークンの次の形態(コンプレックス・トークン)では、示されていたのは加工食品・織物・奢侈品(金属・玉等)等であり、技術的な製品(またはその原材料)である(86)。これは、その集落(都市)の中で生産する場合と、その集落の外と貿易をする場合がある。貿易においては、その品物に付けられたトークンは「占有しない所有」を示している。[3]トークンの記号は音によらないので、異る言語の地域の間で共有された(86)。

 「占有しない所有」は、前述のように輸送・取引を委託する貿易活動においては必然的であって、その観念性は妥当であるが、おそらくその概念ができた後に次の段階がある。

 後の時代の粘土板文書では、神殿における記録として、そこに貢納される物の種類・数量・貢納者・受納者等を示しており[4]、この機能はトークンの時代に始まっていたとされる。実際には、貢納はそれを行わない者を制裁する強制によるものであったとされる(徴税のはしり)。それは、人々がもつものを神の名義にするということであり、(神が現実に占有するのではない以上)それは神の「所有」として観念され、上記の資料はそのような所有権能の行使を示している(人々が納めるものを記し、未納のものを確認する)(109-114)。

 このようにして、上記の「占有しないものを所有する」という観念から派生して、「他者のものを所有する」という観念ができるようになるのであるが、これは、義務者とその義務を記す手段によって、新たにそのような法関係を明確にし、または設定することができたことと関連する。文字は単に言葉を表すだけではなく、それが表すことがらの実体を作り出すこともできるのである。このようにして、文字を扱う層が支配層となる。[5]

 「他者のものを所有する」という観念は、(氏族や部族の神ではなく)都市を支配する神がおよそ都市にあるものを支配するという新たな観念によって正当化される。都市の支配は、前述のように「四方世界」を支配するという観念に拡大し、これにより、古代メソポタミアの王は、正義を確立するために全土を支配する(ように神に召命された)ことを宣言していた。[6]

 この支配構造は、その後のオリエントの王朝、マケドニアのアレクサンドロス大王の帝国、ローマ帝国を経て、大航海時代のトルデシリャス条約(地球を二分して支配する)となり、その後の帝国主義の動きに至る。社会規範に反して「他者のものを所有する」支配概念によって成立する体制は、本質的にその他者によって崩壊する構造をもっている

 サヴィニーは、所有権について述べるところで、各人は意思のない自然を支配すべき使命があるとする。[7]これ自体は「他者のものを所有する」ことを意味していないが、その使命というところに、上記の大航海時代以来の(ヨーロッパ)精神が反映しているように見える。第十一話で述べたように、「他者のものを所有する」法制は、先住民族(およびその環境)の厚生・保護等に対しても構造的な問題をもっている。

 

 さて、「法のかたち」というエッセイの題は、最初に述べたように、司馬遼太郎の「この国のかたち」からヒントを得たものである。このエッセイでは、最後に「国のかたち」「言葉を表すかたち」「法のかたち」について、それらの人間社会の初期からの関連性についても若干検討することができた。(貿易の始まりにおける所有概念を「商事法務」のはしりと見るとすると、それはその概念形成の主要な部分をなしていた。)

 このエッセイで試みていたことは、法関係の機能構造を切口として、人間の活動に関する総合的な学の可能性を探り、また従来の法学の基礎を見直すことであり、ここではまだその入口に立ったばかりである。

 このようなエッセイを執筆する機会を与えていただいた石川雅規氏に最大限の謝意を申し上げる。また、ポータル掲載には佐藤庸平氏のお世話になった。関係する方々へのお礼と共にこの連載を終えることにする。



[1] デニス・シュマント=ベッセラ『文字はこうして生まれた』(岩波書店, 2008)。Denise Schmandt=Besserat, How Writing Came About, University of Texas Press, 1996.

[2] シュマント=ベッセラ(10-11)は、A. Leo Oppenheim, “On an Operational Device in Mesopotamian Bureaucracy, Journal of Near Eastern Studies,” 18/2 (1959)を引用して、持主が「〇頭の羊は△△(使用人)の分担である」と記した資料を紹介している。

[3] トークンには、輸送荷物を示すものもある(18)。初期のトークンの出土がメソポタミア周辺の貿易中継都市に多いことは、それが主に貿易活動にあったことを示唆しているようである。シュマント=ベッセラは、貿易活動が計数技術の発達を促していなかったと見るが(106-107)、そうであったとして、貿易活動にトークンが用いられなかったという理由にはならない。

[4] 記号が音も表わすようになるのは、名前を表記するためであったとされる(127)。これにより、記号はその後、一般の語り言葉も表わすこともできる文字として進化する。

[5] トークンが権力者層と見られる墓に副葬されていた例があり(108-109)、このことはトークンの性格を示している。

[6] ハンムラビ(前18世紀)とリピト・イシュタル(前20世紀)の「法典」について、中田一郎・前掲, 2, 9, 72, 190-191頁を参照。

[7] Cf. Friedrich Carl von Savigny, System des heutigen Römischen Rechts, Bd.1 (1840), §56, pp. 367-368.

 

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