◇SH1171◇企業法務への道(13)―拙稿の背景に触れつつ― 丹羽繁夫(2017/05/19)

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企業法務への道(13)

―拙稿の背景に触れつつ―

日本毛織株式会社

取締役 丹 羽 繁 夫

《コーポレート・ガバナンス問題への深い関心》

 私がコーポレート・ガバナンスの問題に深い関心を寄せるようになったのは、社団法人海外事業活動関連協議会(Council for Better Corporate Citizenship, CBCC)[1]により93年9月に設けられた「コーポレート・ガバナンス専門部会」への参加に始まる。

 我が国においても、株主代表訴訟の訴訟手数料の引下げ等を目的とした1993年(平成5年)商法等の一部改正を一つの契機として、コーポレート・ガバナンスへの関心が高まっていた。このような中で、海外進出企業の利害関係者(ステークホールダーズ)と企業とのあり方を検討課題として取り組んでこられたCBCCでも、「コーポレート・ガバナンス専門部会」(部会長・斉藤惇野村證券専務取締役(当時))を設けて、「企業市民」の名にふさわしい企業と株主との関係とは何かをテーマに、主に欧米との比較を中心に翌94年3月頃まで検討を行ってきた。部会活動を締め括るものとして、CBCCでは、同年4月末から5月初めにかけて米国に調査ミッションを派遣し、米国のコーポレート・ガバナンスの実態、株主総会運営の実情、インベスター・リレーションズ(IR)の現状について様々な角度から規制当局・関係団体・米国企業の訪問をベースに情報収集を行った。このミッションの最後に、商事法務研究会の石川さんよりミッションの成果を一冊の書籍に纏めては如何かとのご提案があり、ミッション参加の有志により、(社)海外事業活動関連協議会編『米国のコーポレート・ガバナンスの潮流』(商事法務研究会、平成7年4月)が刊行された。以下では、刊行後21年余は経過した今でもその視点の新しさが失われていないこの書籍の紹介を兼ねて、私が執筆した本書の「はじめにー報告の目的」の一部を再録したい。

 「本報告そのものの目的は、ファクト・ファインディングに求められるが、わが国におけるこれからのコーポレート・ガバナンスをめぐる議論をより実りあるものにするためには、・・・米国の実情と日米の違いを十分に認識することが必要である。・・・以下の報告の中から、日米の違いを認識する上で特に重要と考えられるファクト・ファインディングを要約すれば、次のとおりである。

  1. ① わが国の企業は、業務執行を決定する機関でもある取締役会がその構成員である業務執行役員の職務の執行を監視するという、企業経営に対するチェック機能が働きにくいメカニズムを内包している。他方、米国企業では、株主の利益を代表する取締役で構成される取締役会の第一の機能は、業務執行役員のパフォーマンスの評価と、業務執行役員による企業経営を監視することにある。このために、取締役の独立性や、独立の取締役により構成される評価・監視機関としての委員会組織をどのように構成するかが、コーポレート・ガバナンスをめぐる議論の重要な対象となる。米国企業の実情をみると、取締役会構成員のうち、業務執行役員が通常は若干名に過ぎず、過半数以上が独立の社外取締役で占められているのもこのためである。
  2. ② わが国のマスコミにより「過激」な言動ぶりが伝えられてきた米国の機関投資家についてみると、多くの企業年金が「リレーションシップ・インベストメント」を保守的に守っている一方で、活発といわれる少数の公的年金基金といえども、投資先企業のガバナンスへの関与のコストを意識しながら、多額の投資のファイナンシャル・リターンを総体的に高めるべく、慎重に発言している。彼らの実像は、「過激」とはほど遠く、「リラクタント・アクティビスト」なのである[2]
  3. ③ 略
  4. ④ 連邦レベルの証券法の実施・監督機関であるSECも、投資家に対する企業情報の開示を通して、米国企業のコーポレート・ガバナンスに一定の役割を果たしている。・・・・SECの権限を示す最近の適切な例として、1992年の役員報酬に関する広範囲の情報開示を求める委任状勧誘規則の改正を挙げることができる。SECはこの改正により、役員の多額の報酬に対する社会の批判が高まる中で、役員報酬を企業業績(株主に対する投資リターンで計測された)に関連づけて、役員報酬の決定根拠の開示を求めた。ここでのSECの役割は、情報の開示を求めるだけであり、役員報酬の水準そのものは、取締役会またはその下部組織である役員報酬委員会の決定に委ねている。SECは正しく、情報開示のこの規則を通じて企業行動の基準を形づくっているのである。」

 本書は2部で構成されている。第2部は前述ミッションの記録であるが、第1部の報告は、コーポレート・ガバナンスをめぐる法律上・規制上のフレームワーク、コーポレート・ガバナンス問題への米国機関投資家の対応、米国企業のインベスター・リレーションズで構成されている。私は、「第I章 コーポレート・ガバナンスをめぐる法律上・規制上のフレームワーク」のうち、「1 フレームワークの概観」を担当した。詳細は、本書の拙稿に譲るが、法律上・規制上のフレームワークの構造、取締役(業務執行役員)の株主(会社)に対する義務、取締役の独立性をめぐる議論、モニターリング機関としての取締役会、取締役(業務執行役員)の義務違反による株主代表訴訟を採り上げた。我が国では一昨年6月より「コーポレートガバナンス・コード」が上場企業に対して適用されているが、ここでは、このコードを踏まえてもなお今日的意義を有する二つの問題に絞り、とりわけ、米国の権威のある法律家約2,000人で構成されている米国法律協会(The American Law Institute, ALI)のコーポレート・ガバナンスに係わるリステイトメント(”Principles of Corporate Governance: Analysis and Recommendations”, 1994、以下「原理」という)による提言を紹介することにより、拙稿の内容に触れたい。

 1つは取締役の独立性をめぐる議論である。拙稿を執筆した1994年当時の米国における取締役の「独立性」をめぐる議論は、株主を代表して業務執行役員をモニターするものとしての適格性の観点から展開されていた。ALIの原則によれば、①株主数2,000人以上、且つ総資産1億ドル以上の大規模公開会社では、会社のシニア・エグゼクティブ[3]と重要な関係(significant relationship)がない取締役を、取締役会の構成メンバーとして過半数確保すること、②株主数500人以上2,000人未満で、総資産500万ドル以上1億ドル未満の公開会社では、上記の取締役を少なくとも3名以上確保することを勧告している(「原理」§3A.01)。そしてシニア・エグゼクティブと重要な関係については、①会社との雇用関係、②業務執行役員との親族関係、③会社との営業取引関係及び④会社の顧問法律事務所、ファイナンシャル・アドバイザー又は引受主幹事に就任した投資銀行との関係、という4つのメルクマールから定義されている(「原理」§1.34(a))。

 このような独立の取締役が株主を代表して業務執行役員をモニターする立場を象徴するのが、株主総会における取締役の着席位置である。本書109頁では、94年4月25日にシアトル本社で開催された米国ボーイング社の株主総会の模様を伝えている。即ち、「日本の総会では、役員全員が壇上に着席するのが一般的であるが、米国の場合、CEOとコーポレート・セクレタリーの2人だけか、それに・・・・エグゼクティブ・オフィサーが1人か2人加わり、質疑応答も含めて全ての議事を取り仕切るスタイルが多い。」ボーイング社においても、会長、社長、コーポレート・セクレタリー及び上席副社長の4人のみが壇上に着席しており、その他の取締役及びエグゼクティブ・オフィサーは株主席の最前列に着席していたのである(本書130頁)。

 前述の「コーポレートガバナンス・コード」では、基本原則4.で取締役会の責務について、

 「上場会社の取締役会は、株主に対する受託者責任・説明責任を踏まえ、会社の持続的成長と中長期的な企業価値の向上を促し、収益力・資本効率等の改善を図るべく、

  1. 1. 企業戦略等の大きな方向性を示すこと
  2. 2. 経営陣幹部による適切なリスクテイクを支える環境整備を行うこと
  3. 3. 独立した客観的立場から、経営陣(執行役及びいわゆる執行役員を含む)・取締役に対する実効性の高い監督を行うこと

をはじめとする役割・責務を果たす」ことが期待されている。問題は、独立の社外取締役は斯業の専門性を必ずしも有していないので、どのようにすれば、外部的視点からの、企業価値向上に向けた助言機能や監督機能を発揮できるようにするかにある。企業側がそのための環境を整備し、社内取締役・業務執行役員は社外取締役の助言や監督を受け入れる勇気と倫理観を持つとともに、社外取締役の側でも、適切な助言や監督を行う勇気と倫理観を持つことが期待される。

 2つ目の問題は「経営判断の原則」についてである。米国における「経営判断の原則」とは、裁判所は会社の複雑な経営事項には十分な判断能力がないので、取締役の行為や判断が一定の要件を満たせば、当該行為又は判断は適法であるとの推定を受けることができる、という判例法上確立されてきた法理である。この問題については、翌95年に『月刊/取締役の法務』に寄稿した「『経営判断の原則』をめぐる混乱と誤解」(1995年9月25日号)の中で、「原理」の考え方をより詳細に紹介している。「経営判断の原則」をめぐる問題は、第一に、経営判断が一定の要件を満たしていれば、裁判所の審理が排除される訴訟手続法理であるのか、取締役の会社に対する義務違反を認定する際の責任基準であるのか。第二に、取締役の判断がこの原則により保護されるには、どのような要件を満たさなければならないのか、単に、その判断に至る意思決定過程の合理性だけでなく、その判断の内容の妥当性をも要求されるのか、という議論であった。これらの問題は、1829年のルイジアナ州最高裁判決[4]以来160年を超える判例の歴史がある米国でも、「原理」に至るまで合意が確立されていなかった。

 「原理」では、「経営判断の原則」について、以下の4つの要件が掲げられており、これらの要件が満たされる場合に、取締役は「通常の注意義務」[5]を履行しているものとみなされる(「原理」§4.01(c)):

  1. ⑴ 誠実であること;
  2. ⑵ 経営判断の対象について利害関係を有していないこと;
  3. ⑶ 経営判断の対象について、その状況下で適切であると合理的に信じる程度にまで情報を得ていること;
  4. ⑷ その経営判断が会社の最善の利益になると相当に(rationally)信じていること。

 即ち、ALIは、「経営判断の原則」とは、前掲⑴~⑷の要件が満たされた場合に、取締役の経営判断の内容を審理する際に用いられる「通常の注意義務」基準とは異なる「特別の責任基準」であることを明確にした。ALIはさらに、裁判所は、経営判断の過程が合理的であるか否かを審理するのみならず、経営判断の内容が合理的であるか否かを判断するために必要な範囲で、その内容をも審理の対象とすることを明らかにし、裁判所の審理を排除するという訴訟手続法理の考え方を斥けている。

 翻って、我が国の判例は「経営判断の原則」をどのように適用してきたのであろうか。東京地判平成5・9・26(野村證券株主代表訴訟事件・判時1469号25頁)以来、日本版「経営判断の原則」のフォーミュラが蓄積されてきた。私なりにこれを要約すれば、「取締役の経営判断の基礎となる事実の認識またはその事実に基づく意思決定の過程に通常の企業人としての看過しがたい誤りがなければ、その経営判断は取締役に付与された裁量の範囲を逸脱していない。その経営判断が結果として誤ったものとなり会社に損害を与えたとしても、当該取締役の責任は問われない」、ということになろう。このような日本版「経営判断の原則」に対しては、実務家及び学識経験者から、次のような批判がなされてきた。第一に、意思決定の基礎となる事実認識と意思決定の過程を、果たして明確に峻別することができるのか。第二に、判例から窺われる日本版「経営判断の原則」は、事実認識に基づく意思決定の過程のみを問題とし、意思決定の内容の相当性又は合理性を何故に問わないのか、という批判である。

 ALIの1978年から15年にわたる上記の検討と提言は、「経営判断の原則」をめぐる判例の蓄積が未だ少ない我が国でも、今後とも大いに参考にされるべきであろう[6]



[1] 同法人は、1989年に経団連により設立され、2010年に公益社団法人に改組され、その名称も公益社団法人企業市民協議会に改められた。CBCCのウェブサイトについては下記URLより閲覧されたい。
  https://www.keidanren.or.jp/CBCC/index.html

[2] ここでは、機関投資家の行動指針として2014年2月に確定され、「機関投資家がエンゲージメント(目的を持った対話)を通じて、あくまで中長期的な観点から企業に対して価値向上や持続的な成長への取り組みを後押しする」(『日本経済新聞』2016年6月7日)日本版スチュワードシップ・コードの原型を窺うことができる。

[3] シニア・エグゼクティブとは、chief executive officer、chief operating officer、chief financial officer、chief legal officer、chief accounting officerに加えて、(an officer) “who is in charge of a principal business unit, division, or function (such as sales, administration, or finance) or performs a major or policymaking function for the corporation”と定義されている(原則§1.33及び1.27(a)(b))。

[4] Percy v. Millaudon, 8 Mart. (n.s.) 68 (L.A. 1829))

[5] 「原理」§4.01 (a)は、取締役が自己の職務を遂行する上で満たさなければならない以下の「通常の注意義務」基準の要件を定めている:

  1. 1. 誠実であること;
  2. 2. 会社の最善の利益になると合理的に(reasonably)信じる方法によること
  3. 3. 通常程度に慎重な者であれば同様の地位及び類似の状況下で尽くすことが合理的に期待される注意を払うこと。

[6] 同じような問題は原発訴訟でも生じている。原発訴訟では、1992年の四国電力伊方原発設置取消訴訟の最高裁判決以来、「原発は複雑な技術なので、安全規制は専門家に委ねることにし、審査の過程に見過ごしがたい過ちがある場合に設置を無効にできる・・・。審査プロセスは問うが、基準の中身は問わない」(日本経済新聞2016年5月16日『原発と司法、海図なき航海』)として、行政の裁量を広く認めるものと理解されてきたが、昨年(2016年)3月の大津地裁関西電力高浜原子力発電所3、4号機運転差止め訴訟判決では、「(原子力規制委員会の:筆者)審査基準に不合理な点があり、あるいは・・・看過しがたい過誤、欠落があ」るとして、従来は専門家の判断に委ねられてきた同基準の中身をも問題にしていることは、示唆的である。

 

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