◇SH1348◇(パネルディスカッション)医事法と情報法の交錯(1) 宍戸常寿/米村滋人/矢野好輝/横野恵/田代志門(2017/08/21)

未分類

(パネルディスカッション)医事法と情報法の交錯(1)

――医学研究における個人情報のあり方と指針改正――

 

(司会)東京大学教授 宍 戸 常 寿

(コーディネーター)東京大学准教授 米 村 滋 人

前厚生労働省医政局研究開発振興課課長補佐 矢 野 好 輝

早稲田大学准教授 横 野   恵

国立がん研究センター社会と健康研究センター生命倫理研究室長 田 代 志 門

 

NBL1103号 [特集] 医事法と情報法の交錯――シンポジウム「医学研究における個人情報保護のあり方と指針改正」に報告部分を掲載した。

ここに掲載するのはディスカッション部分である。

 

パネルディスカッション&質疑応答

はじめに

  1. 宍 戸  それでは、後半の部としまして、パネルディスカッションをさせていただきたいと思います。
     これまでの4先生のご報告で、医学研究と個人情報のあり方について、もうかなり多様な論点が出ております。また、ご報告で十分触れられなかった論点もあると思いますので、残された時間で深掘りをしていただきたいと思います。
     司会は、ご報告者でもありましたけれども、米村先生にお引き受けいただきましたので、以後の進行はよろしくお願いいたします。
  2. コーディネーター(米村)
     では、このパネルディスカッションのセッションは、私、米村が司会進行を務めさせていただきます。
     まず、ディスカッションに入る前に、4人の講演を受けて、お2人の先生にコメントをお願いしておりますので、それぞれの先生から、お願いしたいと思います。
     まず、新潟大学の鈴木正朝先生のほうからコメントをお願いできますでしょうか。
  3. 鈴 木  発言の機会をいただきまして、どうもありがとうございます。新潟大の鈴木と申します。
     先ほどのご講演で、田代先生から、インフォームド・コンセントと個人情報保護法上の同意は実は異なるのではないかというご指摘をいただきました。この点について、少しコメントをさせていただきたいと思います。
     まず、個人情報保護法のガイドラインをみていきますと、第三者提供や目的外利用等で求められる「同意」について、「意思表示である」と書いてあります。民事法の先生からみれば、果たしてこの同意は意思表示といえるのかという疑問が呈されるのではないかと思います。
     加えて、先ほどガイドラインの同意の事例としてクリックその他いろいろご紹介がありましたが、よくよくみると、今度は効力発生時期を発信で認めているのか、到達で認めているのか、了知で認めているのか、事例がばらばらであることがわかると思います。意思表示であろうかという問題に加えて、表白主義なのか、発信主義なのか、到達主義なのか、認識云々と書いてあるところを見ると了知まで求めているのか、事例の意味するところがばらついていて、理論的に整理されていないようにみえます。
     医事法の世界は、刑法上、不法行為法上の被害者の承諾ですとか、契約法上の承諾があって、ベースは意思表示で形成されていると思うのですが、個人情報保護法の同意は、同意が何たるかという理論的なところを今まで詰めることなくやってきていた。民法上は「観念の通知」に近いものに見えますけども、そこは行政法上の私人の行為として独自に論じられる部分があるのかもしれませんが、外形的なクリックみたいな事実行為でよしとしているようです。これでは医事法上のインフォームド・コンセントとの関係を議論するのも大変だなと思うわけです。
     加えて、そもそもなぜ本人の同意が必要なのか、その理論的根拠は何なのか。やはりインフォームド・コンセントでいうときのそれと個人情報保護法で求められるそれとでは異なっているのかもしれません。それとも両方ともプライバシーの権利から導かれるのでしょうか。そうなるとプライバシーの権利とは何かが問われなければなりません。プライバシーの権利に係る情報と個人情報との関係の整理もなく、また、プライバシーの権利という言葉を使えば、自己情報コントロール権の理論的基礎もまた曖昧です。さきほど自己情報コントロール権の方向に向かうのではないかというご意見もありましたが、それは、「個人情報は本人のものである」という命題を前提として、いわば財産権モデルで考えていくことになるのではないでしょうか。そうであるならば、個人情報の世界は民事法の理論で多分覆い尽くされることになろうかと思いますけれども、果たして、情報というものが有体物とのアナロジーでルールが形成されることで矛盾なく説明付けられて現実にそれで支障なく運用できるのかというと、私は、やはりそれは無理であろうという立場です。
     最後に一言いえば、さきほど「両者にズレがある」というコメントがありましたが、多分そのズレは、1つに、個人情報保護法はあくまでも一般的な「個人情報」を念頭に置いて一般法として制定されていますが、医療分野における個人情報保護法の方は、医療情報と個人情報のハイブリット型のルールを求めている。その意味で当然に個別法を必要としていたはずですし、平成15年法のときから、個別法、特別法をつくることを検討すべきだと起草者はいっていました。それをつくらずにガイドライン行政でしのいできたわけです。そうした立法の怠慢も背景にあってそのズレが生じてきた部分もあると思っております。
     以上です。
  4. コーディネーター
     ありがとうございました。
     それでは、お二人目の指定発言者として、慶応義塾大学の山本龍彦先生にコメントをお願いできればと存じます。よろしくお願いいたします。
  5. 山 本  慶応義塾大学の山本龍彦と申します。私の専門が憲法ということですので、少し大上段と申しますか、メタなところからご質問をさせていただきたいと思います。
     一言で申しますと、このようなルールをつくる場としてどこがふさわしいのかと。あるいは、そのルールをつくるあり方や手続としてどういうものが一番ふさわしいのかというのが、私の基本的なご質問です。
     今回、指針の改正にあたり、改正個人情報保護法の76条の適用除外の規定が結構重要視されたのだというお話でしたが、果たしてそれで十分だったのかどうかという論点はあろうかと思います。適用除外にしたことの意義、あるいは根拠というのは、これはまさに憲法の問題でして、憲法23条の「学問研究の自由」を萎縮させないようにするということなわけですけれども、しかし、なお依然として萎縮されてしまっている部分もなくはないのではないか。
     適用除外機関になっている機関として、報道機関や宗教団体がありますが、例えば報道機関の中の個人情報保護の取扱いルールを、例えば総務省主導でつくるということは、多分報道機関側からかなりの抵抗・反発があるようにも思われるわけです。そういう意味では、報道機関では、適用除外規定をもって、自律的・自主的なルール形成をしているようにみえます。それは取材等の関係で個人情報保護云々のことが取材対象者からいろいろいわれると、取材の自由が失われるかもしれない。そういう観点から、自分たちでつくるのだということでつくっている。
     ですから、シンプルに考えますと、研究者が自律的にガイドラインをつくって、それを示していく、あるいはそういって示したものを政府機関が承認するといったような、さまざまなルール形成のあり方があって、それによって研究の自由が萎縮しないような形で、他方で個人情報保護法上の理念を踏まえて、研究の自由と個人情報保護を調和的に考えていくということがあり得るようにも思われるわけです。
     そういう意味で、今回、ルール形成にかかわった先生方もおられますし、それをかなり近くでみていらっしゃった先生方もおられると思いますので、今回のルール形成のあり方について何か思うところがあればお聞かせいただきたいということと、今後、こういった研究の自由の萎縮というものをできるだけ排除した形で個人情報保護法の理念を実現していくために、どのようなルール形成のあり方が妥当なのかということについてご意見を伺えればと思います。

 

タイトルとURLをコピーしました