◇SH1361◇最二小決 平成29年4月26日 殺人、器物損壊被告事件(菅野博之裁判長)

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 本件は、被告人(当時46歳)が、①被害者(当時40歳)と何度も電話で口論をしていたところ、被害者からマンションの下に来ていると電話で呼び出され、刃体の長さ約13.8cmの包丁を持って自宅マンション前路上に行き、ハンマーで攻撃してきた被害者の左側胸部を、殺意をもって包丁で1回突き刺して殺害したという殺人の事案と、②コンビニのレジスターのタッチパネルを拳骨でたたき割ったという器物損壊の事案において、①の殺人に関する正当防衛及び過剰防衛の主張に関し、刑法36条の「急迫性」の判断方法について職権判示をしたものである。

 

 原々判決及び原判決は、刑法36条の「急迫性」の要件に関し、「単に予期された侵害を避けなかったというにとどまらず、その機会を利用し積極的に相手に対して加害行為をする意思で侵害に臨んだときは、もはや侵害の急迫性の要件を充たさないものと解するのが相当である。」という最一小決昭和52・7・21刑集31巻4号747頁(以下「昭和52年判例」という。)が示した積極的加害意思論により、正当防衛及び過剰防衛の成立を否定したものとみられる。

 しかし、「急迫性」の要件に関する判例理論である積極的加害意思論については、裁判員制度の導入を受け、裁判員に正確に伝え、理解してもらうことの困難性が問題とされ、主観的要件を間接事実の積み重ねによって認定するという判断手法は、裁判員にとって理解しやすいものではなく、故意のように主観的要件であることが不可欠なものでないのに、解釈でわざわざ認定の困難な主観的要件を設ける必要はなく、間接事実が実質的な要件を示しているのであれば、端的にそれを要件化すべきであるとの指摘がされている(佐伯仁志「裁判員裁判と刑法の難解概念」曹時61巻8号(2009)21頁等)。このような指摘を踏まえ、司法研究では、被害者の加害意思が争点となる類型については、「正当防衛が認められるような状況にあったか否か」(正当防衛状況性)という大きな判断対象を提示してはどうかとの提言がされている(司法研修所編『難解な法律概念と裁判員裁判』(2009)19頁~21頁、24頁~28頁)。しかし、これに対しては、正当防衛状況性というざっくりとした説明だけで、裁判員は本質的なところを理解して意見を述べられるかという疑問が投げ掛けられている(大塚仁ほか編『大コンメンタール刑法〔第3版〕(2)』(青林書院、2016)528頁)。

 裁判員制度導入後の下級審は、司法研究の提言を参考にして、争点整理や裁判員への判断対象の提示につき工夫を図ろうとしてきていると感じられるが、当事者と裁判員に対して当該事案でどのような要素を検討すべきか明確にしないまま正当防衛状況性に関する審理・評議を進めても、なかなかうまくいかず、試行錯誤しているのが現状のように思われる。

 また、本件のように侵害の予期がある場合における正当防衛の成否が問題とされる事例においては、積極的加害意思論が判例理論として示されていることから、積極的加害意思論での解決に必ずしも馴染まないと思われる事例でも、積極的加害意思論に引き付けた争点整理が行われたり、「積極的加害意思が認められなければ侵害の急迫性は否定されない」との誤った理解のもとで審理が行われたりしているのではないかとの懸念があったように思われる。

 

 本決定は、侵害を予期した上で対抗行為に及んだ場合における侵害の急迫性の要件については、対抗行為に先行する事情を含めた行為全般の状況から、刑法36条の趣旨に照らし許容されるものといえるかどうかで決すべきとの判断枠組みを示した上で、昭和52年判例が示した積極的加害意思論は、そのような判断枠組みにおいて侵害の急迫性が否定される一場合であるとの位置付けを明らかにしており、積極的加害意思が認められない場合でも侵害の急迫性が否定されることがあり得ることが示されているものとみられる。

 また、本決定は、対抗行為に先行する事情を含めた行為全般の状況に照らして検討すべきであるとした上で、考慮要素を掲げ、それらの総合考慮によって判断すべきとしている。「事案に応じ」との前置きがあることから明らかなように、本決定は、列挙された考慮要素すべてを常に検討する必要があるとしているものではなく、争点整理や裁判員との評議が行われる際の視点となるべき事情を示すことにより、下級審において、侵害の急迫性を判断するための重要な考慮要素は何かを意識した訴訟活動がされることを期待したものと思われる。

 さらに、本決定は、本事案の具体的判断において、原々判決及び原判決と異なり、昭和52年判例で示された積極的加害意思論に依拠することなく、客観的な諸事情を総合考慮して侵害の急迫性の要件を充たさないと判断しているが、裁判員裁判を意識して実体法上の判断の方向性を示したものとみることができ、注目される。

 

 以上のとおり、本決定は、侵害を予期した上で対抗行為に及んだ場合という正当防衛の成否が問題となる一類型に関し、積極的加害意思論を示した昭和52年判例の位置付けを明らかにした上で、侵害の急迫性の有無を判断するための考慮要素を掲げて判断方法を示すとともに、裁判員裁判を意識した実体法上の判断の方向性を示したとみられる点においても、実務上、重要な意義を有するものと思われる。

以上

 

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