公訴時効を廃止するなどした「刑法及び刑事訴訟法の一部を改正する法律」(平成22年法律第26号)の経過措置を定めた同法附則3条2項と憲法39条、31条
公訴時効を廃止するなどした「刑法及び刑事訴訟法の一部を改正する法律」(平成22年法律第26号)の経過措置として、同改正法律施行の際公訴時効が完成していない罪について改正後の刑訴法250条1項を適用する旨を定めた同改正法律附則3条2項は、憲法39条、31条に違反せず、それらの趣旨にも反しない。
憲法31条、39条、刑法及び刑事訴訟法の一部を改正する法律(平成22年法律第26号)附則3条2項、刑法等の一部を改正する法律(平成16年法律第156号)附則3条2項、刑訴法(平成16年法律第156号による改正前のもの)250条、刑訴法250条1項
平成26年(あ)第749号 最高裁平成27年12月3日第一小法廷決定 強盗殺人被告事件 上告棄却(刑集69巻8号815頁登載)
原 審:平成25年(う)第437号 名古屋高裁平成26年4月24日判決
原々審:平成25年(わ)第44号 津地裁平成25年11月22日判決
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本件は、平成9年4月13日に行われた強盗殺人の事案であり、「刑法及び刑事訴訟法の一部を改正する法律」(平成22年法律第26号。以下「本法」という。)附則3条2項の合憲性が問題とされた事案である。本件犯罪行為時の刑訴法250条では、強盗殺人罪の公訴時効は15年とされていたが、行為時から15年以上経過した後の平成25年2月22日に本件起訴がされている。これは、本件犯罪行為後の平成22年4月27日、強盗殺人罪等の公訴時効を廃止するなどした本法が施行され、本法附則3条2項は、本法施行の際その公訴時効が完成していないものについても、本法による改正後の刑訴法250条1項を適用するとしているところ、本件強盗殺人の公訴時効は、平成22年4月27日時点では完成していなかったため、本件に対して、本法による改正後の刑訴法が適用されたことによるものである。そこで、本法附則3条2項が、遡及処罰を禁止した憲法39条等に違反するのではないかが問題とされることとなった。
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憲法39条の規定の趣旨が刑事手続規定にまで及ぶかについては、①同条は刑事手続規定を対象とするものではないとする説、②一定の刑事手続規定について、同条が適用され、あるいは、その趣旨が及ぶとする説、③同条は刑事手続規定をも対象としているとする説に分かれているが、判例が③説をとっていないことは明らかであり(最大判昭和25・4・26刑集4巻4号700頁)、③説以外の立場からすれば、公訴時効制度とその変更をどのような趣旨のものとして捉えるかが、憲法39条との関係を考える上でのポイントになるものと思われる。そして、公訴時効制度を被告人に不利益に変更する新法を、新法施行時に現に公訴時効が進行中の事件に適用することと憲法との関係についての学説は、①新法適用は憲法39条、31条に抵触しないとする見解(酒巻匡『刑事訴訟法』(有斐閣、2015)243頁。立法担当者の説明として、吉田雅之「『刑法及び刑事訴訟法の一部を改正する法律』の概要」ジュリ1404号(2010)49頁、内藤惣一郎=馬場嘉郎「『刑法及び刑事訴訟法の一部を改正する法律』について」警論63巻7号(2010)65頁参照)、②新法適用は憲法39条、あるいは、同条の類推適用によって禁止されるべきであるとする見解(内藤謙『刑法講義総論(上)』(有斐閣、1983)31頁、小池信太郎「人を死亡させた罪の公訴時効の廃止・延長と遡及処罰禁止の妥当範囲」刑ジャ26号(2010)25頁)、③新法適用は憲法31条に反するとの見解(西田典之『刑法総論〔第2版〕』(弘文堂、2010)51頁)等に分かれていた。
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公訴時効制度の存在理由は、①時の経過により、刑罰を加える必要性が減少又は消滅するという実体法上の理由、②時の経過により、証拠が散逸し適正な裁判の実現が困難になるという訴訟法上の理由、③事実状態の尊重(犯人をいつまでも不安定な状態に置くべきではなく、また、被疑者・被告人となり得る国民を訴追の可能性から解放し、その地位の安定を図るべきとの理由)、④捜査機関及び裁判所の負担を軽減するという政策的観点上の理由等が指摘されている。これらは、いずれも、時の経過に伴って生じる変化に応じて法的安定性を図ることにあるが、公訴時効によって訴追可能性が消滅すれば、処罰に値する犯罪人が罪を免れるという望ましくない効果もあるため、公訴時効制度をどのように定めるかは、これらの利益と損失の比較衡量(=処罰の必要性と法的安定性の調和)によって定められるべき事柄として、総合的判断に基づく立法政策に委ねられていると解される(松尾浩也『刑事訴訟の原理』(東京大学出版会、1974)106頁、大澤裕「人を死亡させた罪の公訴時効の改正」ジュリ1404号(2010)58頁、河上和雄ほか編『大コンメンタール刑事訴訟法〔第2版〕第5巻』(青林書院、2013)110頁〔吉田博視〕、川出敏裕「判例講座 刑事訴訟法〔公訴・公判篇〕第1講 公訴の提起」刑ジャ51号(2017)60頁等)。本判決が、「公訴時効制度の趣旨は、時の経過に応じて公訴権を制限する訴訟法規を通じて処罰の必要性と法的安定性の調和を図ることにある」と判示しているのは、我が国における公訴時効制度の趣旨と位置づけを確認し、訴訟法規として定められた公訴時効制度を改正する本法の適用範囲を定めた本法附則3条2項が、実体法規の事後法を禁じた憲法39条に直接的に違反するものではないことを示したものと思われる。
次に、憲法39条の趣旨、適正手続を保障する憲法31条やその趣旨まで含めて考えた場合には、更に検討を要するが、公訴時効を廃止又は時効期間を延長することは、訴追可能期間の時的限界を変更するものに過ぎず、行為時点における違法性の評価や責任の重さを遡って変更するものではなく、公訴時効を廃止又は時効期間を延長することは、行為者が自らの行為を選択する際に予測していた可罰性の評価自体に変更を生じさせるものとはいえず、憲法39条が実体法規の事後法を禁じた主たる趣旨は、国民の予測可能性の保護であると解されるところ、行為時に定められていた期間で公訴時効が完成するという行為者の予測は、憲法上の保護に値するものとはいい難い。したがって、現に公訴時効が進行中の事件に対して、公訴時効を廃止するなどする新法を適用することについては、憲法の各規定の趣旨を踏まえても、憲法上の問題が生じるとはいえないであろう。本判決が、合憲性の結論を導く理由として「本法は、その趣旨を実現するため、人を死亡させた罪であって、死刑に当たるものについて公訴時効を廃止し、懲役又は禁錮の刑に当たるものについて公訴時効期間を延長したにすぎず、行為時点における違法性の評価や責任の重さを遡って変更するものではない」ことを挙げているのは、このような点を考慮したものと思われる。
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もっとも、公訴時効完成後の事件に対してまで公訴時効制度を廃止するなどする新法を適用することについては、従来から、多くの学説において、否定的見解が示されてきたところであり(平野龍一『刑法――総論Ⅰ』(有斐閣、1972)69頁、福田平『全訂刑法総論〔第5版〕』(有斐閣、2011)42頁等)、現に、本法附則3条1項は、公訴時効完成後の事件に対しては本法を適用しないものとしている。公訴時効完成後の事件に新法を適用することには、①公訴権、ひいては刑罰権を事後的に復活させるものとして、実体法上の刑罰権との関係が問題となり得ること、②公訴時効完成によって、捜査・公判に応じる負担からいったん完全に解放されたにもかかわらず、新法によって、これが覆されるとすれば、被疑者・被告人となり得る者の法律上の地位を著しく不安定にするものである可能性が高いこと、③国家の側が一度放棄した公訴権(ないし刑罰権)を復活させることには、禁反言的な側面があり、処罰の公正さに疑念を生じさせかねないこと等の問題点が指摘できる。これらが、立法政策上の当否の問題にとどまるのか、憲法39条の趣旨、あるいは憲法31条及びその趣旨との関係において問題とされるべき事柄なのかに関する議論は、未だ十分に熟していないように思われ、本判決も、公訴時効完成後の事件に対する新法適用の可否に関して言及しているものではない。ただし、本判決は、「被疑者・被告人となり得る者につき既に生じていた法律上の地位を著しく不安定にする」場合について、憲法39条の趣旨あるいは憲法31条及びその趣旨との関係において問題があるとされ得る余地を残しており、その点は、今後の議論に委ねられたものといえよう。
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本判決は、公訴時効制度の改正に伴う、新法の適用範囲と憲法との関係について初めての最高裁判断を示したものであって、重要な意義を有するものと思われる。