実学・企業法務(第103回)
第3章 会社全体で一元的に構築する経営管理の仕組み
同志社大学法学部
企業法務教育スーパーバイザー
齋 藤 憲 道
Ⅳ 会社制度の変遷[1]
取締役・取締役会・監査役等には、会社の事業に関して発生する事故や不祥事を未然に防止することが期待され、大きな不祥事が発生するたびに会社法、金融商品取引法、証券取引所規則等が改正されて、コーポレート・ガバナンス、内部統制システム、リスク・マネジメント等が強化されてきた。
以下に、その変遷を示すので、今後の制度変更の方向性を考えるためのヒントにして頂きたい。
次の点に着目すると、大きな潮流が見えるだろう。
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○ 会社の機関
・会社の機構の設計の自由度拡大(その分、自己責任が増大)
・取締役、監査役の資格要件
取締役・監査役の株主要件の廃止(会社の所有と経営の分離)、社外役員の増加
・取締役及び取締役会の業務執行権限の拡大
取締役会の設置、株主総会決議事項の減少、剰余金配当の実施
・監査機能の強化
権限の強化、任期の伸長、会計監査人制度の導入、委員会制度の導入、株主総会決議で選任
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○ 情報開示の促進
・開示する情報の種類・量の増大、範囲の拡大、情報の適切性の確保
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○ 法令の規律と、ソフト・ローの規律の役割分担
・会社法、金融商品取引法、証券取引所規則等の役割分担と、規律の一元的調整
筆者は、今後、次の検討が重要になると考えている。
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○ 現行法の機能強化と簡素化
・会社法、金融商品取引法、証券取引所規則等の役割分担の簡明化と重複領域の調整
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○ 企業価値創造に貢献する簡素で効果的な経営管理システムの構築
・企業価値創造に貢献する管理システムのあり方(法令以外の検討事項が多い)
・情報開示の方法の簡素化(国・証券取引所等の制度を含めて一元的に検討)
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○ 監査機関(監査役等)に求められる資質の明確化とスキルの強化
・監査役等と会計監査人の役割分担のあり方
・監査役等が備えるべき資質・スキル
・内部通報制度のさらなる活用(一部、義務化を含む)
1. 第2次世界大戦終結まで 1890~1945年まで
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1890年(明治23年) 商法公布[2]
株式会社は免許制とされ、主務官庁から設立の免許を受ける[3]。取締役(3名以上、任期3年)及び監査役(2名以上、任期2年)は、株主総会でそれぞれ株主の中から選任する[4]。監査役の職務は、取締役の業務の監視、会社の作成する計算書類を検査して株主総会に報告、必要と認める場合の株主総会招集であり、これに必要な会社の業務財産の検査権を有する[5]。
明治23年商法は施行延期が繰り返され、結局、施行されることはなかった。 -
1899年(明治32年) 商法制定[6]
ドイツ法を継受して、設立を準則主義とする商法が制定された。
株主総会を万能かつ最高の意思決定機関(=株主総会中心主義)とし、株主の中から3名以上を取締役(任期3年)に選任する[7]。それぞれの取締役が会社を代表し、会社の業務執行は(定款に別段の定めがない限り)取締役の過半数で決定し、各取締役に会社の代表権が与えられた[8]。取締役は、定款に定めた数の自分の株券を、監査役に供託しなければならない[9]。
監査役制度が規定され[10]、株主の中から監査役(任期1年)を選任し、監査役に、必要と認める場合に株主総会を招集する権限を与えた。監査役は、報告請求権と財産調査権を有して、基本的に業務監査と会計監査を担当し、会社と取締役の間の訴訟(会社が原告の場合と被告の場合がある。)において会社を代表する。 -
1911年(明治44年) 商法改正[11]
取締役と監査役の責任の明確化が行われた。
会社との関係を委任関係とし、会社を代表する取締役を定款又は株主総会決議で定めることができる(定めない場合は、各取締役が会社を代表する)。任務を怠った取締役は会社に対して連帯して損害賠償責任を負う。
監査役の任期は2年(以前は、1年)とされた。 -
1938年(昭和13年)[12] 商法改正[13]
会社の所有と経営が分離され、取締役を株主とする要件を廃止した。取締役(任期3年)は各自会社を代表するが、定款によって取締役の互選で代表取締役を選任し得ること等が法律に明記された。株主総会の決議について、特別決議事項が設けられた。
監査役(任期2年)についても、株主とする要件が廃止された。
なお、1938年(昭和13年)に国家総動員法が制定され(昭和16年の改正により統制強化)、会社の経営は、政府が発するさまざまな戦時動員令の下で行われた。
[1] 〔昭和以降の法令検索に用いた書籍〕宍戸善一監修『会社法・商法法令集――昭和十三年改正以降の歴史』 (レクシスネクシス・ジャパン、2007)。「特集 会社法制の回顧と展望」商事2000号(2013)。「特集 蘇える旧商法」企業会計Vol.68 No.8(2016)。秋坂朝則『新訂版 商法改正の変遷とその要点』(一橋出版、2006)。
[2] 梅謙次郎『日本商法〔明治23年〕講義』(信山社、2005)。
[3] 明治23年商法166条
[4] 明治23年商法185条、191条
[5] 明治23年商法193条
[6] 日本法律学校内法政学会編『改正商法釈義』(修学堂・清水書店、1899)。松本烝治=田中耕太郎『註解日本商法』(帝国地方行政學會、1922)。及び、松波仁一郎『松波私論日本商法〔第5版〕』(有斐閣(明治大学発行)、1908)に詳しい。
[7] 明治32年商法164条、165条、166条
[8] 明治32年商法169条、170条
[9] 明治32年商法168条。『改正商法釈義』では、取締役が供託するのは「自己の過失によりて生じたる損害は取締役たりとも免る可らず。是等の担保に供し併せて其人の信用を増加する手段」であると説明している。
[10] 明治32年商法180~185条
[11] 明治44年商法164条2項、170条、177条1項、2項。松本=田中・前掲注[6]。
[12] 宍戸・前掲注[1]。
[13] この改正は、1941年の太平洋戦争勃発(真珠湾攻撃)に向けて多くの統制法令が制定される時期に行われたもので、実際に専ら改正法に沿って運用される機会はなかった。