弁護士の就職と転職Q&A
Q38「依頼者が重視するのは、事務所名か? 担当弁護士名か?」
西田法律事務所・西田法務研究所代表
弁護士 西 田 章
弁護士という職業は、伝統的には、「サラリーマンになりたくない」という進路選択の帰結のひとつでした。だからこそ「自分の名前で仕事をする」「自分を信じてくれた依頼者に尽くす」という要素が必須だと思われていました。訴訟では、勝っても負けても、判決文に「訴訟代理人」として名前が載るのは、弁護士個人名です。法律事務所は送達場所にしか過ぎません。しかし、上場企業間の取引を支える企業法務の世界では、弁護士選択に際して、所属する法律事務所のブランドを考慮する比重が高くなってきています。
1 問題の所在
日本の経済力が毎年伸びている時代であれば、自分の能力に自信がある学生にとっては、官僚となるか、大企業に就職すればやりがいがある仕事が約束されていました。それにも関わらず、司法試験に足踏みさせられながらも、弁護士になろうとするキャリア選択には、通説・判例を盲信しない、反骨心のようなものの存在が伺われていました。訴訟弁護士が目指す着地点も、「経済合理性がある落とし所」よりも、「正義の実現」(少なくとも不正義を看過できない)という姿勢を示すところにありました。書類作成の訓練を積むことよりも、「依頼者の代弁者」としての闘争心に溢れていることが信頼の根源にありました。
ただ、クロスボーダー取引の広がり(日本企業の海外進出だけでなく、欧米系企業による国内進出)は、欧米流契約慣行の国内取引への輸入にもつながりました。ここでは、「ビジネスサイドのニーズに応えてスムースに取引を進めるために、類似案件の豊富な経験を有しているかどうか」が弁護士選択の重要な基準となっています。例えば、M&Aで友好的な公開買付けを行う場合のプレスリリースにおいても、そこで「リーガルアドバイザー」として記載されるのは、法律事務所名のみであり、担当弁護士の氏名は見当たりません。社会的な期待としては、法律事務所に所属している弁護士のM&A案件のノウハウは、すべて事務所単位で蓄積されて、所属弁護士にとって利用可能な状態になっている、と言うこともできそうです。
この傾向がさらに他分野にも広がっていくとすれば、企業法務分野での信頼要素として「個」の要素は薄まっていき、キャリアの成否は「著名事務所に入ること」と「所属事務所でチームプレーに徹すること」で決まるのでしょうか。
2 対応指針
企業が外部弁護士を選ぶのは、組織的な決定事項のひとつです。そこでは、依頼者側のキーパーソンが「この先生に依頼したい」という強い意思を持って提案してくれて、それに関連部署からの異議がなければ、その提案が実現します。そのため、①キーパーソンから「個人として強い信頼を受けること」が大前提として存在し、それに加えて、②「所属事務所に対する一定の安心感」も求められます。「所属事務所に対する一定の安心感」を測る指標としては、過去の取引実績が最も重視されますが、その他にも、同種案件の取扱実績、所属弁護士数やチェンバース等の弁護士ランキングに掲載されていることなどが参照されがちです。
定型案件や少額事件の委託先事務所選びでは、利便性(費用の安さを含む)だけで決まることもありますが、前例がない新規案件又は大型・重要な紛争案件の舵取りを「顔の見えない弁護士」に任せることはできません。ここでは「依頼者側のキーパーソンが誰を信頼するか?」という個人ベースの信頼が最も重要な判断要素となります。
3 解説
オーナー企業であれば、「経営者が信頼する外部弁護士」に依頼することに異議を述べる人はいません。ここでは、単純に「経営者から最も信頼されている外部弁護士は誰か」(又は「経営者が法務を任せている社内キーパーソンが最も信頼する外部弁護士は誰か」)の一段階で外部弁護士を決定することができます。
他方、特にオーナー色がない上場企業であれば、法務部門だけでなく、経営企画やその他の関連事業部門にも「ヘンな外部弁護士を選んでもらいたくない」という意向があります。そのため、ある外部弁護士を選ぶことが提案されても、その提案は「関連部署から見ても不自然ではないか」というチェックを受けなければなりません。外資系企業の日本法人であれば、本国又はアジア太平洋地区のリーガルから「なぜこの事務所を利用するのか?」という質問を受けることもあります。
また、外部弁護士選びのキーパーソンが社外にいることもあります。例えば、M&Aに慣れていない企業が、リーガルアドバイザーよりも先にフィナンシャルアドバイザーを選任したならば、そのフィナンシャルアドバイザーが自社と付き合いがある法律事務所をリーガルアドバイザーに推薦することも頻繁に行われています。友好的なM&Aでは、買収側リーガルアドバイザーが、対象者側のリーガルアドバイザーを推薦することもあります。また、国内に法務部門を持たない外資系企業が日本法のリーガルカウンセルを選ぶときには、本国で信頼されている欧米系ローファームの意見を参照しがちです。
関連部署等が行う二次審査では、主体的に外部弁護士を選ぶというよりも、提案を受けた外部弁護士について「その選択に大きな問題は生じないか?」という視点からのネガティブ・チェックを行うことになります。典型的には、「この種取引の取扱い経験はあるのか?」と尋ねられて、候補先弁護士には過去の実績を示すことが求められます。また、規模的には、人数が大きい事務所に所属するほうが有利です。ひとり事務所に対しては、「担当弁護士に病気や事故があっても業務に支障はないか?」という懸念が示されたり、デューデリジェンス業務や大規模な調査が必要な場合には「スケジュール通りに進めるだけのマンパワーが足りるのか?」という心配を受けることもあるためです。
また、金融機関には、「利用できる法律事務所リスト」を予め作成している先もあります。この場合には、リストに自分の事務所の名前が存在しなければ、選択肢にすら挙げてもらうことができません(まず、社内キーパーソンに社内調整をしてもらって、リストに自分の事務所の名前を載せるところから始めなければなりません)。
日系企業が、外部弁護士選びに際して、「弁護士ランキング」を特に参照しないのとは異なり、欧米系企業の場合には、チェンバースのような弁護士ランキングに載っていることも(情報アップデートができていない部門があるとか、売り込み熱心な弁護士がランキングしやすいという批判があるものの)、受任をスムースに進めるポイントとなっています。
M&Aやファイナンスのトランザクションには、既に数十年の実務の積み重なりが存在しています。そのため、どれだけ優秀な弁護士でも、新人が、いきなり、スクラッチから独自のスタイルで契約書を起案しても、関係当事者(及びそのアドバイザー)に受け入れてもらうことはできません。まずは、取引実績のある法律事務所で修行し、現在の実務慣行に基づいて、一人でディールを回せるようになることが先決です(仮に独立するとしても、その後です)。
一人でディールを回せるようになった後で、自分名義で案件を受任できるための方向性には、①利便性を追求する方法と、②独自性を追求する方法があります。数としては、類型的・定型的案件のほうが多くありますから、費用を他事務所よりも安く設定した上で、レスポンスを早くして、フットワーク軽く応対することでリピートの受任を呼び込むのも一案です。ただ、「安さ」と「利便性」だけでは、重要案件の受任にはつながりません。「この案件だけは絶対に成功させたい」「絶対に負けられない」という案件を抱えた時に、依頼者側のキーパーソンは「人数が多い/ランキングが高い無難な事務所選択」をするわけではありません。「この先生に依頼してもダメだったら、もうしょうがない」とまで思ってもらえる先が候補となります。それは、「組織(企業)」から「組織(法律事務所)」に向けられる信頼というよりも、「個人(キーパーソン)」から「個人(弁護士)」に向けられる期待です。
以上