◇SH1736◇インタビュー:法学徒の歩み(1) 伊藤 眞(2018/04/02)

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インタビュー:法学徒の歩み(1)

東京大学名誉教授

伊 藤   眞

西田法律事務所・西田法務研究所代表

弁護士 西 田   章

 

 

 4月となり、法科大学院も新入生を迎えます。ただ、入学を喜んでいられるのはほんのわずかな期間だけです。優秀な学生でも「サマークラークに採用してもらうためには、良い成績を修めなければならない」という焦りを感じるようになりますし、学習が遅れてしまうと「本当にこのままで司法試験に合格できるだろうか」という不安も襲ってきます。

 新入生たちが逆風の中を進んでいくに際して、何か伝えてあげられることはないだろうか。ポータル編集部と相談した結果、先輩法律家の先生方に、学生時代の勉強法や職業選択の経緯を語っていただくというインタビューを企画しました。

 法律学習で通読する基本書や参照する体系書を執筆している権威ある学者。一流の法律事務所で企業法務の実務を形作って来た弁護士。これら先生方も、初めからキャリアの成功が約束されていたわけではありません。若い頃に、それぞれの時代において、悩みを抱えて迷いながらも進路を選択された過去があります。私がそのことに気付かされたのは、民事訴訟法の大家である三ヶ月章教授のエッセイ「一法学徒の歩み」(有斐閣)を読んだ時でした。同書に収められた対談で、三ヶ月教授は「どうして学者の道をお選びになったのですか。」との質問に対して、以下のように回答されていました。

  1.  「どこへ行ったって就職口がない以上、ひとつ学者にでもなろうかと思って採用してもらいました(笑)。いわば『デモ学者』ですよ。」「いつ大学から放り出されても、なんとか食いつないでいけるようにとなると、人のやらない民事訴訟法でもやっていれば・・・。」

 学界の最高権威ですら、必ずしも、順風満帆で予定通りの人生を歩んでこられたわけではない。だから、平凡な学生や法律家である私たちが、壁にぶち当たって悩むことは、当たり前すぎるぐらいに当たり前のことなのです。そんな当たり前の事実を受け止めることが、不安な中でも、日々の小さな努力を積み重ねる気力を絞り出すための第一歩であり、リスクを取って進路を選択する勇気へとつながっていくような気がしました。

 今回、三ヶ月教授の門下生である、伊藤眞教授にインタビューへのご協力をお願いしたところ、ご快諾をいただくことができました。そして、伊藤教授が、学生時代にどのように学習に取り組まれていたのか、なぜ、民事手続法学者という職業を選択されたのか、どのようにして『民事訴訟法』(有斐閣)や『破産法・民事再生法』(有斐閣)、『会社更生法』(有斐閣)、『消費者裁判手続特例法』(商事法務)といった優れた体系書を生み出すに至る研究意欲を保持し続けて来られたのかをお聞きして来ました(2018年3月7日開催)。以下、4回にわたり、その内容をご紹介させていただきます。

 

(問)
 まずは、学生時代に遡って、職業選択の理由をお尋ねしたいと思います。学生時代から法律の議論が好きで、「法学部に進学して法律家になる」という方向性を早くに決めていたのですか。

  1.    いえ、そのような正統派の研究者の出発点ではありません。自分の性格は「実業」には向かないとわかっていましたので、高校生時代に、まず「医学部に行くか、文学部に行くか」を考えました。しかし、医学部に進むほど数学が得意なわけではありませんでした。また、当時は文学部を卒業して、生計を立てることも難しいと思いました。結果として、法学部を選んだという、いわば消去法でした。

(問)
 「実業に向かない」と考えたのに何か理由はあるのですか。

  1.    私の父親は、中小企業の経営者をしていました。20年くらい前に廃業しているのですが、自動車の車体関連の製造工場でした。子どもの頃から、父が帰宅するたびに仕事の愚痴を聞かされました。一昨日は親会社にいじめられた、昨日は税務署にいじめられた、今日は労働基準監督署にいじめられた、明日は労働組合にいじめられる、明後日は銀行にいじめられそうだ。小さい頃からそういう話を聞いて育ったために、高校生時代には「自分はいじめられる側にはなりたくない」「いじめる側にもなりたくない」という思いを抱いていました。
     

(問)
 中小企業といっても、様々だと思いますが、どのような規模だったのですか。

  1.    工員さんは100名ほどいたと思いますが、管理部門の人手が足りていませんでした。当時は、高度経済成長が始まる時期だったので、大学の就職課に求人を依頼しても、来てくれる人がいませんでした。そのため、経営者は、営業だけでなく、人事労務も、税務経理も、すべて自分でやらなければならず、各方面から出される問題事を抱え込んでいたのでしょう。だから、家庭でも愚痴をこぼさざるを得なかったのだと思います。
     

(問)
 東京大学法学部に入学されてからは、すぐに法律への学問的な興味を抱かれたのですか。

  1.    そんなことはありません。他の学生が、教室で法律論をカンカンガクガクやっている姿を見て、「なんでこんな議論が面白いんだろう?」と思っていました。そういう熱心な学生の中には、その後、弁護士となって大活躍されている方もいます。
     

(問)
 司法試験はどのような思いで受験されたのですか。

  1.    自分は、官僚にもなりたくないし、銀行員にもなりたくないと思っていました。法律学を好きだったわけではありませんが、大学4年次に司法試験を受けてみたら、勉強をしていなかったので、落ちてしまいました。ただ、将来のことを考えると、どんな職業に就くにしても、司法試験には合格しておかないと不安だったので、留年するよりはと思って、大学院に進学した年になんとか合格することができました。
     

(問)
 大学院進学に際して、専攻に民事手続法を選ばれた理由は何ですか。

  1.    法分野的な関心が特に強かったというよりも、当時、東大で民事訴訟法を担当されていた、三ヶ月章先生と新堂幸司先生の人間的な魅力が大きかったです。そして、司法試験合格後に、三ヶ月先生から「無給では気の毒だ」と声をかけてもらい、助手に採用していただきました。
     

(問)
 司法試験に合格されて、そのまま司法修習に進まれることは考えなかったのですか。

  1.    もちろん考えて、三ヶ月先生にご相談しました。私が「修習を終えてからもう一度大学に戻ってきてもよいでしょうか?」と伺ったところ、三ヶ月先生からは「君のように学問をそれほど好きでないタイプは、一旦、修習に行ってしまったら、もう研究室には戻ってこない」というような指摘を受けて、自分でも、そう思いました。そこで、「とりあえず、助手の3年間、研究に取り組んでみよう」と決めました。
     

(問)
 学部生時代は、授業には出席していたのですか。

  1.    授業には出席していました。ただ、法学部は、当時1学年600名近い学生がいましたので、演習は別として、民法などの基礎科目の講義は25番や31番の大教室で行われていました。
  2.    受講生の中には、大教室の最前列に座って、教授の講義を熱心に聞いて、授業が終わるとすぐに教授に質問をしている方ももいました。それとは対照的に、私は、25番や31番の2階席に座り、朝一限の授業では居眠りまでしていましたので、熱心な学生とは、ほど遠い世界にいました。
     

(問)
 一学部生として受けた、三ヶ月教授や新堂教授の授業は面白かったのですか。

  1.    三ヶ月先生は裁判法の授業を受け持っておられて、民事訴訟法の授業は、新堂先生が担当されていました。
  2.    三ヶ月先生が広い視野から雄弁を振るわれる授業は、当時から定評があり、皆が感動して聞いていました。
  3.    新堂先生の授業は、それとはタイプが異なりました。当時、新堂先生はアメリカ留学から帰ってまもない時期でしたので、大人数教室であるにも関わらず、問答式の、いわゆるソクラティク・メソッドを実践されていました。そのような授業スタイルは、当時の法学部でも、新堂先生おひとりだけだったと思います。
     

(問)
 ソクラティク・メソッドでは、当時学生だった伊藤先生もご発言なされていたのでしょうか。

  1.    いえいえ、私は、大教室の2階席でしたので発言なんてしません(笑)。弁護士として活躍中のK君など、1階席の最前列に座る熱心な学生が積極的に手を挙げて発言しているのを上から眺めているだけでした。
     

(問)
 それでは、研究者としては、民事訴訟法の両教授はどのように優れていたのでしょうか。まず、三ヶ月教授にはどのような印象がありますか。

  1.    三ヶ月先生は、ドイツ法とフランス法を主とした比較法研究とともに、日本法についても歴史研究を徹底され、それを解釈や立法論に反映されるという手法と感じました。
  2.    歴史研究や比較法研究自体は、一般的な研究手法ですが、三ヶ月先生は、それを踏まえて、具体的な解釈論や立法提言にまでまとめ上げ、説得的な文章と口頭表現で展開されていらっしゃることに感銘を受けました。
     

(問)
 なるほど。それでは、新堂教授にはどのような印象がありますか。

  1.    新堂先生の手法は、三ヶ月先生とは異なっていました。恩師の学風にする表現としては、不遜に響くかも知れませんが、その着想の豊かさにおいて他の追随を許さないという印象で、世の常の研究者では思いつかないような視点を提示されました。例えば、「民事訴訟法理論はだれのためにあるか」(判例タイムス221号(1968年))という講演録は、現在でも広く読まれていますが、こういう問題提起は、新堂先生にしかできないものだと思います。
     

(問)
 三ヶ月教授や新堂教授から受けた指導で印象に残っているのは何ですか。

  1.    三ヶ月先生の演習では、ドイツ法、フランス法の文献を正確に読解することの重要性を学びました。これは、ドイツ法やフランス法について、その後の研究を怠っている私ですが、現在でも、貴重な財産として大切にしております。
  2.    新堂先生からも、たくさんの指導をいただきましたが、印象的だったことをひとつ挙げると、文章の書き方です。学生気分が抜けずに、判例評釈や論文の文章に、強調のための形容詞とか、「非常に」というような強調語句を用いていたところ、「それは読者の評価であって、筆者がそういう表現を用いて訴えるのは無意味だ」と指摘されたのを覚えています。
     

(問)
 民事訴訟法以外の分野で、当時の教員で、特に印象深い方はいますか。

  1.    法解釈論争で高名な、民法の来栖三郎先生は、感銘を受けた先生のひとりです。まさに学究的な先生で、大学の教育と研究に専念する姿勢を貫いておられました。私自身は実践できていませんが、研究者の姿勢として、あるべき姿勢だと思います。
     

(問)
 助手時代に、同世代の研究者で一目置くようなライバルはいたのですか。

  1.    ライバルという気持ちはありませんが、印象に残っているのは、助手同期である、民法の石田穰さんです。石田さんは、司法修習を経て裁判官を務めてから、助手に採用されたので、年齢的には5歳ぐらい上ですが、学問一筋の研究者です。
  2.    私が一方的に教えていただくだけですが、民法総則でも担保物権法でも、著書を贈っていただくと、座右において参照しています。
     

(問)
 勉強を離れたこともお聞きしたいのですが、学生時代に法律以外にも読書をしていたのですか。

  1.    日本の近代文学、西洋の近代文学は好きで読んでいました。特に、トーマス・マンは良く読み、背伸びしてドイツ語で読んだ小説もあります。法律学の勉強という面では、無駄な時間を使ったのかもしれませんが、間接的には、自分が文章を書く上での訓練にはなっているところがあるかもしれません。

(続く)

 

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