◇SHR001◇冒頭規定の意義―典型契約論―【1】 はじめに―課題の設定― 浅場達也(2017/08/14)

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冒頭規定の意義
―典型契約論―

はじめに ―課題の設定―

みずほ証券 法務部

浅 場 達 也

 

 本稿は、過去にNBLに掲載する機会をいただいた次の2つの論稿の内容を踏まえたものであり、契約法における冒頭規定[1]の意義について若干の考察を加えるとともに、契約法体系化及び典型契約論について、新たな角度から検討を行うことを目的としている[2]

  1. • 「契約法の中の強行規定―梅謙次郎の『持論』の今日的意義(上)(中)(下)」(NBL891号23頁以下、892号40頁以下、893号47頁以下。以下、これらを併せて「前々稿「梅謙次郎の『持論』」(2008)」または「前々稿」という)   
  2. • 「契約法教育と強行規定(上)(下)」(NBL1002号22頁以下、1003号40頁以下。以下、これらを併せて「前稿「契約法教育」(2013)」または「前稿」という)

 前稿および前々稿は、契約各則の各条文(民法549条~696条)それぞれが、強行規定(または「強行規定に準ずる規定」)として位置付けられるか否かという視点から若干の検討を行った。そうした検討の延長線上[3]にある本稿においても、「各冒頭規定は、強行規定として位置付けられるか」との疑問を出発点とする。ただ、冒頭規定に関しては、契約各則の他の諸規定とは別の側面からも論ずる必要があると考えられるため[4]、本稿は、前稿・前々稿とは独立した論稿となっている。この「はじめに ―課題の設定―」においては、若干長くなるが、冒頭規定の特殊な側面を示唆する可能性を有する次の3つの疑問点について示しておくことから、検討を始めたい。

 

1. 冒頭規定の性質 ―強行規定か―

 第1の疑問点は、これまでの学説が、冒頭規定の性質を強行規定と位置付けてきたかということに関連する。まず、明治期の民法典起草時から現在に至るまで、冒頭規定の性質がどのように考えられてきたかについて、概観しておこう。

(1) 民法典起草時

 前々稿「梅謙次郎の『持論』」(2008)にて何回か言及したように[5]、明治期の民法典起草時のある段階(明治28(1895)年12月中旬頃)まで、契約総則・契約各則のすべての規定(懸賞広告4カ条を除く)は強行規定か任意規定かが法文上明らかにされており、各冒頭規定については、強行規定として明記されていた。

 しかし、民法整理会の終盤、すなわち同年12月下旬頃、すべての「強行規定を列挙する条文[6]」が削除されたことに伴い、契約総則・契約各則における法文上の強行規定・任意規定の区別は失われ、各冒頭規定が強行規定として示されることはなくなった。

(2) 梅謙次郎『民法要義』

 民法典制定後早い時期に公表された、起草者の一人である梅謙次郎の『民法要義』において、強行規定と任意規定の区別はどのように考えられていただろうか。まず、『民法要義 巻之一総則編』の「第91条[7]」の説明をみてみよう。この説明において、梅謙次郎は、各規定が任意規定であることを法の明文で示す主義を採用しなかったことと、その理由について、明確に述べている。重要な箇所なので、以下に引用しておこう。

  1.  「立法論としては、余は出来得べきだけは各場合に付いて規定を設け、其々の規定は当事者が反対の意思を表示したるときはこれを適用せずといえるがごとき明文を掲ぐるを可とすれども、この主義はすこぶる危険なしとせず。何となれば、もし反対の意思を許す場合において、其之を許す旨を掲ぐることを忘るるときは、たといその性質上命令的規定(強行規定)にあらざること殆ど判然せる場合といえども、他の随意的規定(任意規定)に付き明文あるに拘わらずその場合に限り明文なきがためすなわち解釈上の議論を生ずることあるべければなり。これけだし新民法においてこの主義を採らざりし理由の一つなり。」

 立法論としては、任意規定である旨を各条にて法文上明記する主義を採用することは可能だが、ある箇所でその旨明記することを忘れた場合、その旨明記されている他の箇所との関係で、解釈上の疑義が生ずる危険があるとの趣旨の梅謙次郎の記述である。

 確かに、同『民法要義』の『債権編[8]』の契約各則の部分を概観すると、原則として、各条の説明において強行規定・任意規定の区別には触れていない[9]。各冒頭規定についても、それぞれが強行規定なのか任意規定なのかは、記述上不明である。

(3) 従前の学説

 従前の学説のいくつかを概観しておこう。まず、代表的な契約法の体系書である来栖三郎『契約法[10]』の記述をみてみよう。同書は、「——典型契約に関する民法典の規定の性質はというと、おおむね、任意規定である」とした上で、「ただし、強行規定とされているものも少しはある」と続けるが、その後に列挙されている強行規定の中に、冒頭規定は全く含まれていない[11]

 近時の体系書である加藤雅信『契約法[12]』においても、この点は同様である。「——民法の契約の章にも例外的に若干の強行規定が存在するが、それらについては、関連する箇所で随時述べることにするが、ここでも一応列挙しておくことにしよう」として、来栖博士の挙げる条文と比較するとかなり多くの規定を強行規定として挙げているが、その中に冒頭規定は1カ条も含まれていない。

 コンメンタールに眼を転ずると、森田修「注釈91条[13]」における「契約法中の強行規定の例」と題する部分には、572条、628条、640条、678条等が挙げられているものの、やはり冒頭規定は強行規定として挙げられていない。

 では、従前の学説は冒頭規定を任意規定と考えてきたのかというと、冒頭規定を任意規定と明言する学説は見当たらないようである[14]。学説は、冒頭規定を強行規定とするわけではなかったが、さりとて、任意規定と明確に解するわけでもなかったといえるだろう。全般に、冒頭規定は強行規定か任意規定かと問う意識自体が、希薄であったような印象を受ける。

(4) 最近の見解

 最近に至り、冒頭規定を任意規定とは別の性質の規律であると位置付ける次のような複数の見解が現れていることが注目される。まず、石川博康准教授の記述をみてみよう。

  1.  「——例えば典型契約冒頭規定は、その契約の成立要件に関わるものである以上、その内容を当事者の合意によって変更することはできず―代金の支払という要素を排除した売買契約を締結することは認められない―、そのような典型契約冒頭規定が契約に関する任意法の秩序とは別の次元の規律であるということは明らかである[15]」(下線は引用者による)

 冒頭規定を、「任意法の秩序とは別の次元の規律である」としており、冒頭規定がその性質上、任意規定とは異質であることを明言している点で興味深い。

 また、長坂純「典型契約・冒頭規定の強行法規性[16]」は、冒頭規定は「強行法規の認定基準には馴染むものではない」が、「私法秩序を支えるガイドライン(「任意法規のガイドライン化」)として捉えることができるのではなかろうか」とする。ここでも、冒頭規定の性質は、任意規定とは異質のものと捉えられているといえるだろう。

 更に、伊藤進教授は、近時の論稿[17]で、冒頭規定を、「基本ルール強行法規」(私法上の行為の基本ルールを定めた強行法規)としている。冒頭規定を強行規定の一種とみている点で、石川准教授、長坂教授の見解よりも、冒頭規定の性質を強く捉える見解といえるだろう。

 簡単にまとめると、学説は、冒頭規定を強行規定と考えてこなかったが、最近に至り、冒頭規定を任意規定とは異質の規律と捉える考えが現れているといえるだろう。こうした学説の流れ、特に最近の見解を、どのように考えればよいのか。これらは整合的に理解され得るのか。これが冒頭規定をめぐる疑問点の第1点である。

 

2. 「どれかの典型契約に入れようと苦心する傾き」

 典型契約は法定の名を持つがゆえに「有名契約」とも呼ばれるのに対し、特に法定の名を持たない契約は「無名契約」と呼ばれる。第2の疑問点は、この「無名契約」に関するものである。

(1) 来栖三郎博士の見解

 「無名契約」の扱いと典型契約との関係において、ある種の「傾向」があることを示唆するような記述がある。来栖三郎博士の著名な記述を次に引用しておこう[18]

  1.  「しかし、混合契約と狭義の無名契約の区別の要否はともかく、無名契約(広義の無名契約)をどれかの典型契約に入れてしまうのは無理であり、無用であり、契約事実をゆがめて取り扱うことになるおそれがあるので有害でさえある。そのことはりくつとしては誰も否定しないが、それにもかかわらず具体的に契約を取り扱う場合には、ややもすると、その契約をどれかの典型契約に入れようと苦心する傾きがないではなかった。」(下線は引用者による)

 無名契約を、典型契約のどれかに入れようと苦心する傾向についての来栖博士の指摘である。「具体的に契約を取り扱う場合」に関する記述であり、人々の契約に関する行動[19]において観察されるある種の「傾向」について来栖博士は語っているといえるだろう。ここで来栖博士はそうした「傾向」に対して、「無理」「無用」「有害」という否定的な評価をしており、来栖博士の典型契約に対する消極的な評価がよく現れている記述と考えられる。

(2) 星野英一教授の見解

 体系書・概説書の記述ではないが、来栖『契約法』の発行より若干後の座談会[20]において、星野英一教授が行った発言の内容に、興味深いものがみられる。

  1.  「ところが、従来、といってもいつごろまでなのか、あるいは現在でもかなりそうなのかも知れませんが、従来の法律学は、法律に規定されている典型契約を中心に教えてきたのは当然としても、社会に行なわれている契約を何とかしてそのどれかの類型にあたるとし、ある典型契約にあたるとした後はそれに関する規定を原則としてすべてそのまま適用する、という思考方法をとってきたわけです。」(下線は引用者による)

 ここで「社会に行なわれている契約」とは、有名契約・無名契約を含めた契約一般を指していると考えられるから、無名契約を典型契約に無理にあてはめようとするという上の来栖博士と同趣旨の見解といえるだろう。

(3) 末川博博士の見解

 星野教授は、上の思考方法がとられてきた時期として、「従来」と表現しているが、では、「従来」とはいつごろからだろうか。かなり古い記述として、次の末川博博士の見解をみてみよう。これは、昭和8(1933)年に公表された雑誌論文[21]の中にある記述であることに留意する必要があるだろう。今から80年以上前のことである。

  1.  「斯くの如く、契約法の領域では、具体的に當事者が締結する契約の内容について典型契約の内容通りであるべきことの要求が爲されてはをらず、且つまた斯かる要求が爲され得る餘地もないに拘らず、今日までの實際法律上の取扱を觀れば、或る具体的の契約がある場合に、人は強ゐてその契約を何らかの典型契約の型にはめ込んでその効果を定めようとする傾向が強い。」(下線は引用者による)

 各時代を代表する契約法研究者が、興味深いことに、同趣旨のことを語っている。長期に亘って、民法学者が「強いて典型契約にはめ込む傾向」に対して警鐘を鳴らしてきたにもかかわらず、その「傾向」は生き続けてきたといえるかもしれない。この「傾向」はどこから生じるのか。こうした「傾向」を否定的に捉える見解は、妥当なものなのか。これが冒頭規定をめぐる疑問点の第2点である。

 

3. 冒頭規定の要件の一定の安定性

 第3の疑問点は、われわれの周囲に存在する典型契約の実例に関するものである。われわれが普段目にする契約書の実際の例を考えてみよう。そうした契約書には、請負契約・消費貸借契約など典型契約の名を持つ契約も多い。そして、典型契約の名が付された契約の内容をみると、その契約の成立要件が、それぞれの典型契約の「冒頭規定の要件に則った」ものであることが多い。

 例えば、請負契約であれば、民法632条がその要件を「当事者の一方がある仕事を完成することを約し、相手方がその仕事の結果に対してその報酬を支払うことを約する」と定めているところ、実際の多くの請負契約書は、「甲は○○の仕事の完成を約し、乙はその仕事の結果に対して報酬を支払う」と定めている。「契約自由の原則」が貫徹されるなら、いくらか要件・内容の異なった請負契約書があってもよさそうなものであるが、あまり見かけない。冒頭規定の定める成立要件が、一定限度、遵守されているようにみえる。冒頭規定を学説が強行規定と解して来なかったにもかかわらず、社会の中で、冒頭規定の要件の安定性が一定の水準で保たれているといってもいいだろう。これは何故だろうか[22]。これが、冒頭規定をめぐる疑問点の第3点である。

 以上の3つの疑問点について検討を加え、冒頭規定の意義を考えるとともに、それを踏まえて、契約法体系化及び典型契約論について若干の考察を加えること。これが本稿の課題である。

 


[1] 民法における典型契約は、それぞれの冒頭に、その典型契約の成立要件を定める規定を置いている。以下、これらを「冒頭規定」という。

[2] 現在、契約を中心とする債権関連法の改正作業が終盤の段階にあり、2015年3月に改正案が国会に提出された(現時点で、継続審議となっている)。(※追記:周知のように、民法改正案は2017年5月に可決成立し、同年6月2日に公布されたが、ここでは、本稿の公表時(2016年8月)の表現を、手を加えずにそのまま残してある。)本稿の検討範囲の多くが「債権法改正」と重複しており、可能であれば、改正後の具体的な規定の内容を踏まえた上で、本稿の検討を行うべきだといえるであろう。しかしながら、債権法改正作業の終了までにはなお若干の時間を要すると考えられるとともに、その上でさらに本稿を(改正法を踏まえて)変更するとなると、更にかなりの時間を要することになると思われる。このため、現行法を素材とすることの限界を踏まえた上で、可能な諸点を論じておくというのが、現時点での本稿公表の趣旨である。

[3] なお、本稿中、幾つかの箇所で「契約法教育」に言及しているのは、「契約法教育のあり方」を主たるテーマとしていた前稿「契約法教育」(2013)の延長線上に本稿があることから来ている。

[4] 前稿(上)NBL1002号30頁の注(20)にこの点を指摘しておいた。

[5] 前々稿(上)NBL891号29頁、(中)NBL892号44頁、(下)NBL893号47頁を参照。

[6] 前々稿(下)NBL893号51頁を参照。

[7] 梅謙次郎『民法要義巻之一総則編(訂正増補)』(有斐閣、1899)(復刻版、1984)203頁を参照。

[8] 梅謙次郎『民法要義巻之三債権編(訂正増補)』(有斐閣、1899)(復刻版、1984)を参照。

[9] 但し、例外もある。第1に、「この規定は公益規定ではない」との趣旨の記述を含むことから、任意規定であることが推察できる規定であり、梅・前掲注(8)『民法要義巻之三債権編』の中では(以下の頁数は、同書での頁数を示す)、651条(751頁)、658条(767頁)、672条(799頁)の記述がこれに当たる。第2に、「公益に反するものと認めざるを得ない」との趣旨の記述から、強行規定であることが推察できる規定であり、626条(690頁)の説明がこれに当たる。但し、これらはあくまで例外的な記述であり、大部分の条文の説明においては、強行規定・任意規定の区別はなされていない。

[10] 来栖三郎『契約法』(有斐閣、1974)737頁を参照。

[11] 来栖三郎博士が列挙する強行規定は、572条、604条、626条、628条、640条である。いずれも期間や担保責任に関する規定であり、冒頭規定は含まれていない。

[12] 加藤雅信『新民法大系Ⅳ 契約法』(有斐閣、2007)165頁を参照。

[13] 森田修「注釈91条」川島武宜=平井宜雄編『新版注釈民法(3)』(有斐閣、2003)223頁を参照。

[14] 来栖博士のように「おおむね、任意規定である」とする中に、冒頭規定も任意規定であることが含意されているのかもしれない。

[15] 石川博康「典型契約冒頭規定と要件事実論」大塚直ほか編著『要件事実論と民法学との対話』(商事法務、2005)130頁を参照。

[16] 長坂純「典型契約・冒頭規定の強行法規性」法時85巻7号(2013)88頁を参照。

[17] 伊藤進「私法規律の構造(一)――私法規律と強行法規の役割・機能――」法律論叢85巻2・3号(2012)54頁を参照。

[18] 来栖三郎『契約法』(有斐閣、1974)741頁を参照。

[19] 「人々の契約に関する行動」を本稿では「契約行動」と呼んでいる。「Ⅳ 小括」の1. (2)の「契約行動と契約規範」において若干の検討を行う。

[20] 星野英一ほか「研究会・代理店・特約店取引の研究」(1)NBL138号(1977)10頁上段の星野発言を参照。

[21] 末川博「預金に関する法律問題の再吟味」銀行研究25巻5号(1933)73頁を参照。なお、末川博士のこの論稿は、判例評釈を加えて、『債権 末川博法律論文集Ⅲ』(岩波書店、1970)440頁以下に収録されている。

[22] この第3の疑問点は、上の第2の疑問点とかなりの程度重複しているともいえるが、これまで明確に指摘されてこなかった点であるため、ここでは別の点として挙げておく。

 

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