SH4915 著者に聞く! 『法律文書の英訳術』(1) 柏木昇/伊藤眞/西田章(2024/05/08)

法学教育そのほか

著者に聞く! 『法律文書の英訳術』(1)

著 者:柏 木   昇
(東京大学名誉教授)

コメンテーター:伊 藤   眞
(東京大学名誉教授・日本学士院会員)

進行役:西 田   章
(弁護士)

 

第1部 学生時代 第2部 商社(法務部門)勤務時代 第3部 大学教員時代〜定年後

 

 「英語」は、若い弁護士が、キャリア・アップを目指す場合に、真っ先に思いつくテーマです。旧司法試験世代の弁護士が「いずれは独立して一国一城の主となる」ことを目指して日々の案件に没頭していたのと異なり、現在の若手弁護士は、「他の法律事務所への転職」や「インハウスへの転身」を含めたキャリアプランを検討することが一般的となりつつあります。そして、転職エージェントに相談した弁護士は、真っ先に「英語はどのくらいできるの?」という質問を受けて、人材市場において「英語」を扱うスキルが占める割合がきわめて高いことを知らされることになります。

 そこで、慌てて英会話教室に通いはじめる弁護士も見られますが、今度は「英会話を学ぶだけでは、外国企業を依頼者として扱える渉外弁護士になれるわけではない」という問題に直面します。外国企業からの依頼を受けたことがある弁護士であれば、「日本法を英語で説明すること」がいかに難しいかを知っています。そして、法務省が運営しているJapanese Law Translation(日本法令外国語訳データベースシステム)のありがたさを痛感することになります。

 

 20年にわたって法令の外国語訳プロジェクトを主導して来られた柏木昇先生が、その経験の集大成として執筆された『法律文書の英訳術』(商事法務、2023)(以下「本書」という。)が昨年12月に出版されました。本書は、関係者の間ですぐに評判となり、商事法務ポータルにおいては、仲谷栄一郎弁護士(アンダーソン・毛利・友常法律事務所外国法共同事業)による「『法律文書の英訳術』を読む(1)  (2)  (3)」が掲載されました。今般、その柏木昇先生に、本書の出版に関するインタビューをお願いしたところ、ご快諾をいただくことができました。

 また、柏木昇先生は、三菱商事から東京大学に転身されたことにより、企業法務の実務のノウハウを法曹教育に生かす道を切り拓いてくださった第一人者でもあります。そこで、インタビューにおいては、東大教授時代の同僚である伊藤眞教授にも同席を依頼して、研究者の側からの本書に対するご感想を述べていただくことをお願いしました(2024年4月10日商事法務において実施)。

左:伊藤眞先生 右:柏木昇先生 

 

 全3回にわたる記事の第1回である今回は、柏木昇先生が東京大学に入学されてから三菱商事に就職するまでの時代(1961年〜1965年)のエピソードを聞いています。まだ大学生だった柏木昇先生が、将来のキャリアなどまったく考えていなかったにもかかわらず、自身の知的好奇心のままに語学や基礎法学の授業を履修されたことが、結果的には、「コネクティング・ザ・ドッツ」として、その後の商社での国際取引法務や大学での教育活動における活躍の伏線となっていたことは、時代を越えて、現在の法科大学院生や司法修習生にも参考になるものがあるのではないでしょうか。

 

 

はじめに

 

進行役:西田
進行役:西田

伊藤眞先生は『法律文書の英訳術』をお読みになったと聞いております。まず、はじめに、伊藤先生より、この本の感想をお伺いできないでしょうか。

伊藤
伊藤

『法律文書の英訳術』という題名から、実用書をイメージしてこの本を読み始めたところ、頁を繰るにつれ、いささか驚かされたと申し上げるのは失礼かもしれません。後ほど申し上げます蝶法協会員である桃尾重明先生(桃尾・松尾・難波法律事務所)よりいただいた、「多少とも渉外法務にかかわる者として、極めて良き指導書と感服しています。実務に大いに役立つだけでなく、読んでいて楽しくなるご本かと思います」とのお言葉通り、実用書として非常に有益なのはもちろんなのですが、その背景にある、文学や翻訳学等についての柏木さんの幅広い造詣に敬服したからです。

英米法学者として高名な早川武夫先生という方がいらっしゃいました。私は、学生時代に、早川先生の『法律英語の常識』(当時は日本評論社から出版されていた本で、その後にその増補改訂版が商事法務より『法律英語の基礎知識〔増補版〕』として公刊)を読んで感銘を受けたことがありますが、その本を思い出しました。英文科ご出身の早川先生が、シェークスピアをはじめとするイギリス文学に詳しいことは特に驚くまでもないのかもしれませんが、柏木さんの本からは、その早川先生の書かれた本と同じくらいの造詣の深さを感じて深い感銘を受けました。

大陸法を継受した我が国の法律家としてのご経験だけでなく、英語を母国語とする法律家の考え方とその基礎になっている文化そのものに対する理解の両方が備わっていないと、このような本を書くことはできないでしょう。
柏木さんと私は、柏木さんが三菱商事から東京大学に転じて以来、また蝶法協(蝶ネクタイを愛用する法律家協会)会員としてのお付き合いですが、本日は、そのご縁があってインタビューに同席させていただけますことを光栄に存じます。

柏木
柏木

大変に過分なご感想をいただきまして、ありがとうございます。
私としては、大それたつもりで書いたわけではありません。出版前には「翻訳『論』」というタイトルを付けることも考えたのですが、中身はすこしもアカデミックではありません。そこで、「翻訳『術』」という題名にしました。
法律論だけでなく、さまざまな分野からの本を引用しておりますが、振り返って考えてみると、「私は語学に興味があったんだなぁ」と今更ながらに自覚しました。

 

第1部 学生時代

 

進行役:西田
進行役:西田

今日は、「法律文書の英訳術」の執筆に至るまでの柏木先生のご経験や問題意識を、その学生時代にまで遡ってお伺いしていきたいと思います。
この本の末尾にある「著者略歴」には、柏木先生は、1961年に東京大学文科1類にご入学されて、第一外国語の英語だけでなく、第二外国語にドイツ語、第三外国語にフランス語とラテン語、それに加えて、古典ギリシャ語とスペイン語も聴講されていたと紹介されています。なぜ、こんなにたくさんの語学を履修されたのでしょうか。

柏木
柏木

確かに、同級生にはこんなに語学を履修している人はいませんでしたね(笑)。
私がこんなに語学を履修したのには、語学が大好きだった私の長兄の影響が大きいです。

進行役:西田
進行役:西田

お兄様は柏木先生よりも前に東大に通われていたのですね。

柏木
柏木

はい、長兄は、東大教養学部時代に、英語、ドイツ語、フランス語、ラテン語、ギリシャ語を履修していました。兄の時代にはスペイン語の授業はなかったのですが、就職してから、スペイン語、さらにロシア語、イタリア語、北欧語類を自分で学習していました。

進行役:西田
進行役:西田

それはすごいですね。

柏木
柏木

チェーホフの『桜の園』をロシア語で読んだり、ダンテの『神曲』をイタリア語で読んだりしていましたね。英語は、もちろん流暢でした。

進行役:西田
進行役:西田

ご自宅でもお兄様の語学力を知る機会があったのですね。

柏木
柏木

そういえば、兄は、一時期、『ローマの休日』という映画にはまっている時期がありました。ラストの記者会見のシーンで、主演のオードリー・ヘップバーンが、新聞記者のグレゴリー・ペックの友人のカメラマンから「ローマご訪問の記念のお写真です」と言われて外には出せない写真のネガを受け取った時に、さりげなく”Thank you.”というんです。そのセリフが気に入って、家で何度も”Thank you.”と言っていたのは、今でも覚えています。

進行役:西田
進行役:西田

お兄様はその後、どういうキャリアを歩まれたのですか。

柏木
柏木

第一勧業銀行(現:みずほ銀行)に就職しました。銀行でニューヨークに駐在していた頃には、銀行の経営幹部がニューヨークに来てスピーチする際には、通訳を担当したこともあるそうで、その時のエピソードを兄から聞かされたことがあります。彼は、逐次通訳が面倒なので、同時通訳を始めたら、幹部から「側でしゃべられるとうるさいから、逐次訳にしてくれ」と注意されたことを怒っていました(笑)。

その後、MITのスローン・スクールに留学し、さらにデュッセルドルフに駐在しました。50歳前後で第一勧業銀行を退職し、桜美林大学の国際金融の教授になりました。

 

進行役:西田
進行役:西田

優秀なお兄様だったのですね。

柏木
柏木

私は、幼少の頃から、兄よりも成績が悪くて劣等感に苛まれていたので、「東大に入ったら逆転してやれ」と張り切って、教養学部では、兄と同じ語学を履修しました。
古典ギリシャ語も途中までがんばっていたのですが、試験前に「『教育する』という動詞の活用を、B5版教科書の6頁分全部覚えろ」という課題を出されたところで挫折してしまいました。
結局、第一外国語の英語、第二外国語のドイツ語、第三外国語のフランス語とラテン語までは試験を受けて単位を取ったのですが、古典ギリシャ語の分だけまた兄に負けてしまいました。

進行役:西田
進行役:西田

本の著者略歴には、アテネフランセにも通われた、と書かれていますね。

柏木
柏木

フランス語に興味を持っている二人の親友がいたので、彼らと一緒に、アテネフランセに通いました。

伊藤
伊藤

アテネフランスで高等科までご卒業された柏木さんには間違いなく語学の才能がありますね。私は、アテネフランセを初等科で中退してしまったので、柏木さんとの間には天地の差があります。
私の理解では、外国語が堪能な方には、音楽の才能があります。友人の坂井秀行先生(アンダーソン・毛利・友常法律事務所)の名言「音感がよい方は語学が堪能である」に共感します。努力をしなくて出来ないならば諦めもつくのですが、私の場合は努力しても駄目でした。もう40年以上前、米国留学から帰国して、まだ30歳代の頃にサイマル・インターナショナルの通訳科に通ったこともあるのですが、最初のクラス分けインタビューで創設者の村松増美先生から「君の英語は泥臭くていかんな」と言われたことをまだ覚えています(笑)。
ふと思い出しましたが、歌手の美空ひばりさんも、正規の教育を受けたわけではないのに、英語がとても上手だった、と聞いたことがあります。

柏木
柏木

私自身は、カラオケ嫌いで音楽の才能があったとは思わないのですが、聞くのは好きですね。
日本でも、アメリカでも、言葉は子供でも話せるし理解できる。子供は全部、耳から学びます。大人になると、目で見て勉強しようとするので、これが間違いなのかもしれませんね。

進行役:西田
進行役:西田

語学以外に、法律系ではどのような科目をとられていたのでしょうか。特に面白かった、と印象に残っている科目はありますか。

柏木
柏木

碧海純一先生の「法哲学」と田中英夫先生の「英米私法」は特に面白かったという印象が残っています。
その他、結果的に基礎法学をたくさん履修していました。英米私法、ドイツ私法、フランス私法、日本法制史、東洋法制史、西洋法制史、ローマ法といったところです。

進行役:西田
進行役:西田

もともと法哲学に興味があったのですか。

柏木
柏木

いえ、当時の親友からの依頼がきっかけです。彼は、授業の掛け持ちをしていて、週に二度の法哲学の授業の片方に出席できないので、「お前が代わりに出席してノートをとってきてくれ」と頼まれました。
そこで履修することにして、「授業に出る以上は教科書くらい読んでみよう」と思って、碧海先生の『法哲学概論』(弘文堂、1959)を買って読んだのがきっかけでした。読み始めたら、これが面白くて、一気に読んでしまいました。ついでにカール・ポパーとかバートランド・ラッセルの本を読みました。

進行役:西田
進行役:西田

どんなところが面白かったのでしょうか。

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