著者に聞く! 『法律文書の英訳術』(3・完)
著 者:柏 木 昇
(東京大学名誉教授)
コメンテーター:伊 藤 眞
(東京大学名誉教授・日本学士院会員)
進行役:西 田 章
(弁護士)
第1部 学生時代 | 第2部 商社(法務部門)勤務時代 | 第3部 大学教員時代〜定年後 |
インタビュー(全3回)の最終回である今回は、柏木昇先生が東京大学教授に就任されて以降(1993年〜現在)のエピソードについて聞いています。本書のテーマである「法律文書の英訳」については、それが訓練を積んだ法律家が担うべき業務であることの背景には「コモン・ローで教育された英米の法律家」に対して「大陸法由来の日本の法律用語」の意味を正しく理解してもらうことの難しさがある、との説明がなされた上で、AI翻訳が発展してきている現代においても、なお、専門の法律家によるチェックの必要性がある、と述べられています。そして、国際取引の紛争解決の場面において、「せっかく契約交渉で準拠法を日本法に指定することに成功しても、シンガポール仲裁を採用してしまうと、いざ、仲裁になると、第三仲裁人に契約条項を正しく(契約締結時の意図通りに)解釈してもらえない」というリスクをもたらしていることも言及されています。
また、キャリア論としては、「面白そう」「人生二毛作」という好奇心に基づき、思い切って研究者に転身なされた柏木昇先生が、その後にキャッチ・アップの苦労に遭遇した話も聞くことができました。難しいテーマばかりでなく、趣味の大型バイク(自動二輪)についての話も伺っています。このインタビューに現れている柏木昇先生のお人柄を念頭に置きながら、本書を読んでいただくことにより、「法律文書の英訳」に対する理解と興味を深めていただけることを期待しています。
第3部 大学教員時代〜定年後
三菱商事に30年弱、お勤めになられてから、50歳を過ぎて、東京大学の教授に転身されました。その理由をお聞きしてもいいでしょうか。
管理職になると仕事が多少つまらなくなった。血湧き肉躍るような仕事が少なくなってきた、という事も理由の一つでした。
そこで「人生二毛作」にチャレンジするのも面白そうだと思いました。
商社の高給を捨ててアカデミックに飛び込むのは勇気のいる判断だと思うのですが。
当時、商社はそれほど高給ではありませんでした。
ご家族の反対はなかったのでしょうか。
まったくありませんでした。
三菱商事にいらっしゃった頃から、勉強を続けてこられたことが、東大転身の準備になったのだと思いますが、商社マン時代は、どのように仕事と勉強とのバランスを保たれていたのでしょうか。
簡単です。月曜日から金曜日までは会社の仕事に専念して、週末に勉強しました。
でも商社の仕事も大変ではないでしょうか。
確かに、土曜日の朝は、くたびれきっていたので、大体、10時から11時頃まで寝ていましたね。
10時過ぎに朝飯を食べて、それから、オートバイで丹沢に釣りに行ったり、本を持って行って丹沢山系の見晴らしのよいところで読書したりしていました。特にこれからの初夏の季節の丹沢の自然は最高ですね。オートバイにキャンプ用のコーヒー湯沸かしセットを積んで、ヤビツ峠あたりに行く。そこで折り畳み椅子を出して、本を広げながらコーヒーを飲んで、ホトトギスの声を聴きながら新緑の中で本を読む。これは幸せですよ。金曜までの疲れがいっぺんに飛びます。
これで気分転換をしてから、家に戻ってから勉強していました。
商社時代も勉強を続けていたので、スムースに東大教授に移行できたのですね。
そんなことはありませんよ。同僚の教授には長年の研究の蓄積があるのに対して日曜画家ならぬ日曜学者は勉強不足なのは明らか。純粋学者に比べて法律書も読んでいないし、判例も知らない。キャッチアップするために無我夢中で苦労しました。キャッチアップなんてできっこないけど、少しでも近付くために必死になってやらざるを得ませんでした。
商社時代よりも忙しくなったのですか。
はい。三菱商事でアメリカから日本に戻った頃、45〜46歳くらいの時から、ロシア語の勉強を始めて、大分できるようになってきたと思っていたのですが、大学に移ってからは、とてもロシア語に取り組む時間的余裕はなくなってしまいました。釣りもほとんどしませんでした。
週末も本や資料を読みますから、月月火水木金金、という感じでしたね。
週末の丹沢へのツーリングも、ですか。
オートバイには乗っていましたが、東大にきてから転居した新大塚のアパートから東大への通勤に土日に使うだけになりました。
ただ、京都大学の夏期集中講座を担当したときは、この時とばかりに「新幹線になんて乗っていられない」と思って、京都までオートバイで往復したことはありました。授業を受けていた学生たちには隠していましたが(笑)。
東京大学で教えるだけでなく、アメリカのロースクールでも教鞭を執られていますよね。
アメリカからデューク大学ロースクールのディーンが来日した際に、英米法の淺香吉幹さんに誘われてランチをご一緒したことがありました。それから半年くらいして、ディーンからお手紙をいただいて、サマースクールで2~3週間、日本法を教えてくれないか、という依頼を受けて、それをお受けしました。
アメリカの学生に日本法を教えたのですよね。
はい。アメリカの学生にも理解できるようにと思って、アメリカのUniform Commercial Code Article 2の条文の順番に沿って、日本の商取引法をアメリカ法と対比させながら教えました。みなさん熱心に聞いてくれました。
デューク大学でのサマースクールがきっかけとなり、そこから、ハーバード大学、コロンビア大学、ミシガン大学、UCLA大学でも日本法を教えることになったのですね。
アメリカの学生にも日本法を学びたい、というニーズがあるのですね。
この記事の続きはフリー会員の方もご覧になれます
ログインしてご覧ください