著者に聞く! 『法律文書の英訳術』(2)
著 者:柏 木 昇
(東京大学名誉教授)
コメンテーター:伊 藤 眞
(東京大学名誉教授・日本学士院会員)
進行役:西 田 章
(弁護士)
第1部 学生時代 | 第2部 商社(法務部門)勤務時代 | 第3部 大学教員時代〜定年後 |
左:伊藤眞先生 右:柏木昇先生
インタビュー(全3回)の第2回である今回は、柏木昇先生が三菱商事に就職されてから、東大教授になるために退職されるまでの時代(1965年〜1993年)のエピソードを聞いています。国際取引法務の権威であることを誰もが認める柏木昇先生でも、若手社員時代には、意に反して配属された法務部門において、英語が苦手なのに「泳げない者をプールに放り込んで泳げるようにさせる」というオン・ザ・ジョブ・トレーニングの方針の下でへとへとになりながら英語力を磨かれていった経緯が語られています。そのストーリーは、「知識詰め込み型」の教育を受けてきた若手弁護士に対して、良い刺激を与えてくれるのではないでしょうか。
第2部 商社(法務部門)勤務時代
今では、法務部を志望して商社に入る学生もいると思いますが、柏木先生も法務部志望だったのですか。
いいえ。内定者に対する配属面談があり、希望配属先を聞いてくれたので、私は「営業部に配属してほしい」と頼みました。商社に法務部門があるなどとは夢にも思いませんでした。
就職したら、もう法律文献を使うこともないだろう、と考えて、法律辞典と基本書を残して法律参考書は赤門前にあった鈴木書店で売って、それで手に入れたお金を使ってスキーに行きました(笑)。
三菱商事に入社してから、法務部配属を知らされたのですね。
当時は、総務部文書課という部署でした。そこが法律を担当する部署だ、ということを知ったのはその数日後です。
当時、三菱商事の新入社員は何人くらいいたのでしょうか。そのうち、総務部文書課の配属は何人だったのでしょうか。
1965年当時の三菱商事の新入社員は約200名程度と思います。そのうち、総務部は2人で、文書課に配属されたのは、私ひとりです。
法務部門への配属は本意ではなかったのですね。
総務部文書課の先輩からは「なに、石の上にも三年だよ」と言って慰めてくれましたが、その先輩が定年まで30年以上、法務部門から離れませんでした(笑)。
当時、総務文書課には何人くらいの社員が所属していたのでしょうか。
9人でした。
三菱商事の法務部門は、現在では、子会社への出向者等も含めると140名も在籍していると聞いています。大発展をしたわけで、今の法務部門が何をやっているのかは私も想像がつかない状態です。
肯定的な表現を用いれば、当時は少数精鋭の組織ですね。
私の教育係を担当してくれたその先輩は、本が大好きで、いつも本を読んでおられました。
配属は不本意だったかもしれませんが、先輩には恵まれたのですね。
その先輩も、フランス語もよくできる方で、その方とは、ときどき昼休みに連れ立って、日本橋丸善の洋書売り場に行きました。表向きは「外国の法律の本の購入のため」という名目で、フランスの小説を買ったりしていました(笑)。
どのようなフランスの小説を読まれていたのですか。
ジョルジュ・シムノンの『メグレ警視』シリーズを何冊か読みました。それから、マルセル・パニョルの『マリウス』『ファニー』『セザール』のマルセイユ三部作も非常に面白かった。下町の雰囲気がよく出ている小説でした。最近知ったのですが、山田洋次監督もマルセル・パニョルが好きだったそうです。下町の叔父さんやおばさんたちの会話表現は抜群に上手でした。「寅さん」映画と一脈通じます。
その他に、ジャン・ジロドゥの戯曲『オンディーヌ』は、浅利慶太が演出して、加賀まりこと北大路欣也が出演している舞台を観に行って感激したので、本も読みました。
商社というと、仕事が忙しいイメージがありますが、当時はどうだったのでしょうか。
4年目くらいからはハードワーク続きでしたね。
あるプロジェクトに巻き込まれた時は、月に60時間から100時間の残業をしていました。そのプロジェクトの担当部のある人などは、私よりももっと忙しくて残業時間は月150時間を超えていました。
忙し過ぎて仕事が苦しかったのではないでしょうか。
少しも苦ではありませんでした。それだけ若かったのですね。
入社後は、ずっと法務畑だったのでしょうか。入社前に希望していた営業部には異動できなかったのでしょうか。
結果的にずっと法務でした。ただ、法務に配属されたことは、今から考えると非常にラッキーだったと思います。
営業部よりも法務部(総務部文書課)でよかった、と感じておられるのですか。
そうですね。たとえば、鉄鋼関係の営業部に配属された場合は鉄鋼の商売しか知ることができません。でも、法務にいれば、鉄鋼も、プラント輸出も、食品も、木材も、石油もいろんな商売を経験できるわけです。
また、出張先も、鉄鋼部門ならば、鉄鉱石が出るブラジルとか、ソ連/ロシア、アメリカとかの鉄鉱石の産出国が中心になります。法務だったら、担当する事業部門によって、世界各国に出張することができます。そういう意味では、法務に入ったからこそ、幅広い経験を積むことができました。
クロスボーダー案件が多かったと思いますが、柏木先生ならば、学生時代から語学に堪能だったので、すぐに順応できたのですね。
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通訳・翻訳を仕事にする人と、通訳・翻訳を利用する人のWebマガジン「通訳・翻訳ブック」に柏木昇先生のインタビューが掲載されました。