インドネシア:インドネシア語の使用に関する大統領令の制定
長島・大野・常松法律事務所
弁護士 前 川 陽 一
1. はじめに
契約書の言語としてインドネシア語の使用を義務づけた、国旗、国語、国章及び国歌に関する法律(2009年第24号)(以下「言語法」)は、かかる義務に違反した契約の有効性を巡って争われた裁判(以下「関連事件」)の判決とも相まって、外国企業のインドネシアにおける契約実務に大きな影響を与えてきた。契約書の使用言語に関する言語法の明文規定は、以下のとおりきわめて短いものであり、そのため解釈について不明なところも少なくない。
- 第31条
- ⑴ インドネシア政府、インドネシア法人又はインドネシア人を当事者とする契約又は覚書は、インドネシア語を用いなければならない。
- ⑵ 外国当事者を含む前項の契約又は覚書は、当該外国当事者の言語又は英語でも記載することができる。
言語法の規定の詳細は、同法施行後2年以内に制定される大統領令において定められることになっていたが、上記条項を含むインドネシア語の使用を義務づける規定に関しては、制定後10年を経た2019年9月30日、インドネシア語の使用に関する大統領令(2019年第63号)(以下「本大統領令」)において定められるに至った。
言語法を巡る過去の実務及び関連事件の経緯に関する詳細については、SH0042 インドネシア:言語法を巡る紛争の今 福井信雄(2014/07/24)、SH0077 インドネシア:ジャカルタ高裁、言語法に関する西ジャカルタ地裁判決を支持 前川陽一(2014/09/08)、及びSH0441 インドネシア:言語法をめぐる判決確定 福井信雄(2015/10/09)を参照されたい。
インドネシア語の使用に関して本大統領令が対象とする場面は多岐にわたるが、本稿では契約書に関する論点について以下の2点を紹介したい。
2. 契約書の翻訳の準備
言語法の施行後、とりわけ関連事件の最高裁判決確定後は、インドネシア当事者を含む国際取引においては、まず英語で交渉して英語版の契約書ドラフトを先行させ、英語版が固まったところでインドネシア語訳を作成して契約締結に至る、という流れが典型的な契約実務であると思われる。また、上記最高裁判決では、英語版とインドネシア語版を同時に締結すべき旨の判示もされたことから、契約書の様式としても、両言語版を契約書面の左右に併記するバイリンガル形式のものを用い、同時に締結していることを明確にするのが実務の標準となってきている。しかし、時間的な制約からインドネシア語への翻訳がどうしても間に合わない場合に、英語版契約のみの締結を先行させて、その後すみやかにインドネシア語版を用意するという対応が許容されるかは、言語法の明文規定のみでは一義的には明らかでなかった。
本大統領令は、この点、外国当事者を含む契約書に用いられる英語版(又は当該外国当事者の言語版)は、契約当事者間の当該契約書に対する共通理解のために用いる、インドネシア語版に同等の文書ないし翻訳文書である旨規定している。この規定を前提とすると、インドネシア語版が未完の状態で英語版のみ先行して締結することは、同等ないし翻訳の基礎となるべきインドネシア語版が存在しないことになるため許容されないとの解釈を導きうる。したがって、少なくとも、英語版とインドネシア語版を同時に締結することが実務上安全な対応であるといえよう。
3. 契約書の優先言語
英語版及びインドネシア語版で締結された契約書について、その内容の解釈に齟齬が生じた場合には英語版を優先させる旨の規定を盛り込むことで、インドネシア語を正確には理解しきれない外国当事者のリスクヘッジとする契約実務が行われてきたところである。
本大統領令は、この点、インドネシア語版とこれに同等の文書ないし翻訳文書とされた英語版(又は当該外国当事者の言語版)との間の解釈に齟齬が生じた場合には、当該契約書において当事者が合意した言語を優先言語とすることができる旨を明記した。従前の契約実務を追認したものといえ、歓迎したい。
4. さいごに
なお、本大統領令は、契約書の使用言語に関する規定に違反した場合の法的効果を明示していない。そのため、今後も関連事件の判決を前提として、違反の場合には契約が無効となるリスクを念頭に実務上の対応を進めていく必要がある。