◇SH0283◇香港・シンガポール:国際仲裁にまつわる弁護士費用負担の考え方 青木 大(2015/04/13)

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香港・シンガポール:国際仲裁にまつわる弁護士費用負担の考え方

長島・大野・常松法律事務所

弁護士 青 木   大

1.English RuleとAmerican Rule

 コモンロー圏の多くの国においては、勝訴者が要した弁護士費用を敗訴者が負担するという考え方( “Costs Follow the Event”)が一般的である。

 他方で、日本の裁判においては、原則として弁護士費用は双方が自己負担分をそれぞれ負担することとなり、勝訴者の弁護士費用を敗訴者が負担することが認められることは(一定の不法行為事案を除き)通常ない。米国も伝統的な考え方は日本と同様であり、①敗訴者が原則として勝訴者の弁護士費用を負担するという考え方を「English Rule」、②勝敗にかかわらず弁護士費用は双方がそれぞれ負担する考え方を「American Rule」と呼ぶ場合がある。

 国際仲裁においては「English Rule」が一般的である。UNCITRAL、ICC、SIAC、HKIAC等の主要な仲裁機関の仲裁規則は、勝訴者側の一定の弁護士費用を敗訴者に負担させることを仲裁人が命じることを可能とする規定を置いており、これは日本の仲裁機関JCAA、米国の仲裁機関ICDRの仲裁規則も同様である(ただし、投資仲裁の世界においては、従来はそれが当てはまらない状況があった。例えばICSIDにおいては過去、約半数の投資仲裁判断において「American Rule」が採用されていた。ところが、近時「English Rule」を採用する投資仲裁判断例が増えており、ICSIDの担当者によれば、2014年においては約80%のケースにおいて「English Rule」に基づくコスト配分が命じられたということである。)。

2. Standard CostsとIndemnity Costs

 さらに、「English Rule」において敗訴者が負担すべき費用については、「標準的費用(Standard Costs)」と、「支出補填的費用(Indemnity Costs)」という考え方がある。「標準的費用」とは、実際に当事者が支出した弁護士費用の全額ではなく、その中の合理的と考えられる範囲のものを指す。仲裁廷は当該合理的な額を算定するに当たって、個別具体的な手続経緯や当事者の手続追行態度なども考慮要素とする場合が多いため、一概に基準を示すことは難しいが、一つの目安として実際の弁護士費用の3分の2程度といわれることがある。他方で、「支出補填的費用」というのは、実際に当事者が支出した弁護士費用のほぼ全額であり、前者より後者の考え方による方が、勝訴者は多額の賠償を得ることが可能となる。

 国際仲裁などにおいて認められるのは通常は標準的費用であり、敗訴者が著しく合理性を欠く訴訟追行を行った場合などの例外的な場合を除いて、支出補填的費用が認められることは少ないといわれている。

3.仲裁判断取消訴訟に関する弁護士費用負担-香港の場合

 ところが、香港裁判所は、仲裁判断取消の請求が棄却された場合についてはこの考え方を逆転し、勝訴した被告の当該仲裁判断取消訴訟に要した費用については、原則として敗訴した原告が支出補填的に支払うべきであるという判断を近年下している(Pacific China Holdings Ltd (in Liquidation) v Grand Pacific Holdings Ltd [2012] HKA 332)。これは、他のコモンロー諸国の中でも比較的大胆な立場である。

 仲裁判断は終局的なものであるが、UNCITRALモデル法上その唯一の不服申立の手段として、仲裁地の裁判所における仲裁判断取消制度が認められている。仲裁判断取消制度における取消事由は基本的に極めて限定的ではあるが、その判断は各国裁判所に委ねられているため、(特に新興国において)一定の不確実性が伴うことは否めない。また、時として仲裁判断に従うことを極力回避したい敗訴者によって悪用的に用いられる場合もある。仲裁判断取消に失敗した原告が、勝訴した被告の弁護士費用をほぼ全額賠償しなければならないとすれば、このような悪用を一定程度抑止する効果が期待できる可能性がある。

4.シンガポールの場合

 シンガポールにおいては、香港のような明確な態度を示した裁判例は筆者の知る限り未だ現れていないが、昨年、高等法院において、これに関連しそうな裁判例が出された(Triulzi Cesare SRL v Xinyi Group (Glass) Co Ltd [2014] SGHC 220)。同裁判例は、香港企業とイタリア企業のICC仲裁における争いで、香港企業が仲裁に勝訴したところ、イタリア企業が仲裁地であるシンガポール裁判所に仲裁判断取消を申し立てた事案である。

 イタリア企業は、合意した仲裁手続の逸脱、自然的正義への違背、公序違反などを仲裁判断取消事由として掲げて争ったが、いずれの主張も証拠に支持されていないとして裁判所に退けられた。その上で、裁判所は、その後の費用の分担に関する裁判所の判断に当たって、支出補填的費用の賠償が妥当か否かについて両当事者が意見を述べるべきことを明示的に命じた。

 イタリア企業の支払うべき費用について最終的にどのような判断がなされたのかについては筆者が知る限り未だ公表されていない。ただ、昨年には仲裁判断取消が相当抑制的に行われるべきことを再確認するような控訴審判断も出されており(BLC and others v BLB and another [2014] SGCA 40)、シンガポール裁判所が今後、敗訴者が負担すべき弁護士費用の範囲について、香港裁判所の方向性に沿うような判断を取り入れる可能性も考えられるところである。

 English Ruleそのものの当否については賛否両論あるところであろうが、少なくとも仲裁判断取消に関しては、香港裁判所の方向性は悪用的な申立てに対して一定の抑止力を持ち得るように思われるし、他方で仲裁判断取消に自信のある当事者であれば、敗訴時に支出補填的費用の支払いが命じられるリスクはさほどの障害にはならないはずであるとも考えられることから、このような方向性が各国で採用されることは、基本的には歓迎されるべきことのように思われる。

 

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