中国:EUがWTOに提訴した中国の新しい知財戦術「禁訴令」(上)
長島・大野・常松法律事務所
弁護士 鹿 はせる
2022年2月18日に、EUはWTOに対して、中国の裁判所(人民法院)が、①EU企業に対して知的財産権保護のため外国の裁判所に訴えることを事実上制約する仮処分(禁訴令)を続々発令していること、②同仮処分に関する裁判所の判断等の情報開示を十分に行っていないこと等が、WTOの知的財産保護に関する条約、いわゆるTRIPS協定(Agreement on Trade-Related Aspects of Intellectual Property Rights)に違反するとして、提訴(協議要請)を行ったと公式ウェブサイトで公表した[1]。
中国の裁判所が近時そういった禁訴令を外国企業に対して下していることは、後述するように日本企業もその対象となっていることから既に日本でも報道されているが、本稿では1. 禁訴令が問題となった事案背景及び訴訟の類型、2. 禁訴令の中国法上の根拠、3. 各発令の概要、4. EUが行なった提訴の概要と今後の見通しを整理の上、更に5. 日系企業に与える可能性を含め初期的なコメントを行う。なお、禁訴令は仮処分の一種であり、英語では“Anti-Suit Injunction”、ASIと略されることが多いが、本稿では中国及び日本での用法に従って「禁訴令」とする。
1. 禁訴令の背景及び訴訟類型
中国の禁訴令が問題となった訴訟はこれまで5件あるが、当事者、類型及びタイミングはいずれも近似している。訴訟の原告はいずれも携帯電話メーカーであり、被告はいずれもその携帯電話製造に必要な標準必須特許(SEP)を保有する外国企業である。
標準必須特許は、標準規格に準拠した商品役務を製造・供給するために回避できない特許であり、特許権者は、公正、合理的かつ無差別の条件(FRAND条件)で他社にライセンスすることが求められる。しかし、何がFRAND条件にあたるかは解釈の問題であり、特許権者とライセンシーの間で紛争となりやすい。
本件各訴訟では、各当事者間で特許侵害の有無や特許の有効性等をめぐっても争われており、問題の理解を複雑化させているが、簡単に言えば、いずれも原告の携帯電話メーカーが被告に対して、標準必須特許のロイヤリティがFRAND条件を満たさない(要するに、高すぎる。)として、値下げを求めたものである。
2. 禁訴令の法的根拠
禁訴令はそれ自体新たな法令ではなく、民事保全手続における仮処分の一種である。民事保全手続は日本では民事保全法で定められているが、中国では民事訴訟法103条1項[2]で原則が定められており、裁判所は一方当事者の行為等により判決の執行が困難又はその他の損害が生じうる場合に、他方当事者の申立て又は職権により、一方当事者に(i)財産の保全及び(ii)一定の作為又は不作為を命じることができると規定されている。(i)の財産保全が日本の民事保全法上の仮差押及び係争物の仮処分に、(ii)の作為・不作為命令が日本の仮の地位に関する仮処分に、それぞれ概ね相当する。なお、知財関連の保全処分については、中国最高人民法院の「知的財産権に係る紛争の行為保全案件の審査における法律適用の若干問題に関する規定」(「知財紛争保全規定」)[3]が補充的に規定されている。
禁訴令は、そのうちの(ii)の作為・不作為命令の一種であり、中国の裁判所が、原告の携帯電話メーカーの申立てにより、被告の標準必須特許権者に対して、係属事件の審理期間中、他の裁判所に類似訴訟を提起したり、既に(特許侵害等を理由として)他の裁判所に訴えが提起され、有利な判決又は処分が下されている場合であっても、その判決及び処分を撤回したり、執行を求めてはならないことを内容とするものである。また、問題になっている事例では、いずれも、被告は禁訴令に違反した場合に一日100万人民元(約1600万円)の制裁金の支払いを命じられる[4]など、間接強制条項が禁訴令に含まれていることも特徴的である。
3. 禁訴令の実例
上記の通り、中国で禁訴令が問題となったのはこれまで少なくとも5件があるが、その概要の一覧は以下の通りである。Huawei対Conversant訴訟で2020年8月に中国最高人民法院が下した禁訴令を皮切りに、近接したタイミングで下級審が禁訴令を下していることがわかる。
① 原告:Huawei 被告:Conversant[5] | |
訴訟の争点 | Conversantが保有する4G関連のSEPの中国のロイヤリティ |
発令日時 発令裁判所 申立者 |
2020年8月28日 中国最高人民法院 Huawei |
禁訴令の概要 |
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禁訴令後の帰趨 | 不明 |
② 原告:Xiaomi 被告:InterDigital[6] | |
訴訟の争点 | InterDigitalが保有する3G、4G関連のSEPの全世界のロイヤリティ |
発令日時 発令裁判所 申立者 |
2020年9月23日 武漢中級人民法院 Xiaomi |
禁訴令の概要 |
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禁訴令後の帰趨 |
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③ 原告:ZTE 被告:Conversant[7] | |
訴訟の争点 | Conversantが保有するSEPの中国のロイヤリティ |
発令日時 発令裁判所 申立者 |
2020年9月28日 深セン中級人民法院 申立者:ZTE |
禁訴令の概要 |
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禁訴令後の帰趨 | 不明 |
④ 原告:OPPO 被告:Sharp[8] | |
訴訟の争点 | Sharpが保有するWi-Fi、3G及び4G関連の全世界のロイヤリティ |
発令日時 発令裁判所 申立者 |
2020年10月16日 深セン中級人民法院 OPPO |
禁訴令の概要 |
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禁訴令後の帰趨 |
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⑤ 原告:Samsung 被告:Ericsson[9] | |
訴訟の争点 | Ericssonが保有する4G及び5G関連の全世界のロイヤリティ |
発令日時 発令裁判所 申立者 |
2020年12月25日 武漢中級人民法院 Samsung |
禁訴令の概要 |
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禁訴令後の帰趨 |
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その後中国最高人民法院は、2020年10大知的財産案件として、①のHuawei対Conversant及び④のOPPO対Sharpの事例を取り上げており[10]、このことは、中国最高人民法院がこれらの事件で下された禁訴令に対して実務上の「お墨付き」を与えたものと見られている。
(下)につづく
[2] EUが行なった協議要請内では民事訴訟法100条1項となっているが、中国では昨年末に民事訴訟法が改正され、2022年1日1日付で施行されており、条文番号が変わっている。本稿は改正後の条文番号に従う。
[3] 中国語:最高人民法院关于审查知识产权纠纷行为保全案件适用法律若干问题的规定
[4] 100万人民元の根拠は、民事訴訟法118条1項で、同法に違反した場合の罰金の上限が100万人民元以下と定められているためとされている。
[5] (2019)最高法知民终732、733、734号之一民事裁定书
[6] (2020)鄂01知民初169号之一民事裁定书
[7] (2018)粤03民初335号之一民事裁定书
[8] (2020)粤03民初689号之一民事裁定书
[9] (2020)鄂01知民初743号之一民事裁定书
[10] 2020年中国法院10大知识产权案件和50件典型知识产权案例
https://www.court.gov.cn/zixun-xiangqing-297991.html
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(ろく・はせる)
長島・大野・常松法律事務所東京オフィスパートナー。2006年東京大学法学部卒業。2008年東京大学法科大学院修了。2017年コロンビア大学ロースクール卒業(LL.M.)。2018年から2019年まで中国大手法律事務所の中倫法律事務所(北京)に駐在。M&A等のコーポレート業務、競争法業務の他、在中日系企業の企業法務全般及び中国企業の対日投資に関する法務サポートを行なっている。
長島・大野・常松法律事務所 http://www.noandt.com/
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