自己株式取得・処分信託の会計上の理論的考察
―第1回 総論―
アンダーソン・毛利・友常法律事務所外国法共同事業
弁護士・公認会計士 中 村 慎 二
1 背景~株式需給緩衝信託®と会社法上の自己株式規制
「会社法上は自己株式ではないが会計上は自己株式と取り扱う」というのは、信託を用いて自社の株式を取得するスキームにおいては決して珍しいことではない。現に「従業員持株ESOP信託」では、信託財産として保有される発行会社株式が会社法上自己株式でないと解されているにもかかわらず、一定の条件のもと、会計上自己株式として取扱うことが要求される。実務対応報告第30号「従業員等に信託を通じて自社の株式を交付する取引に関する実務上の取扱い」(企業会計基準委員会)(以下「実務対応報告30号」という。)はこうした会計処理を明文化している[1]。
このような上場株式に関連した信託商品はその後も次々と開発されているが、近時注目されているものとして「株式需給緩衝信託Ⓡ」(以下「緩衝信」という。)が挙げられる[2]。
これは、一定の大株主や親会社等が保有する発行会社の株式を信託が株式市場を通じて一括取得し、その後、株式市場における需給の状況を勘案しながら時間をかけて徐々に売却するという仕組みである(図表1参照)。
緩衝信の目的として、政策保有株式の縮減や東京証券取引所の新市場区分への移行に伴う流通株式基準対策が考えられる。
緩衝信に関しては、実質的に自己株式の取得、保有および処分に関する会社法上の諸規制(自己株式規制)が適用されるかどうかが重要な法的論点となると思われるが、旬刊商事法務においてはすでにこれらの論点を正面から検討した先駆的な論稿が存在し、実務上重要な指針となっている[3]。これらの論稿では、緩衝信が信託財産として保有する発行会社株式は会社法上形式的には自己株式には該当しないものの、自己株式規制の趣旨に鑑み、その一部(または全部)が適用または類推適用される可能性を示唆している。また、これらの論稿では、緩衝信が信託財産として保有する発行会社株式が会社法上自己株式に該当しないとしても企業会計上はこれを自己株式として取扱うことが望ましい(または、少なくとも自己株式として取扱う必要性を検討すべき)との指摘もなされている[4]。
緩衝信の導入を契機に、信託の会計基準のさらなる整備が急務であると感じた。それは、利益獲得とは異なる目的で発行会社の株式を取得しその後処分するという信託スキームが現に存在することを認識する必要があるからである。そこで、本連載では、緩衝信に関する先駆的な法律専門家の論稿を読み解いたうえで、「利益獲得目的とは異なる目的で発行会社の株式を取得しその後すべて処分する」類型の自益信託(本連載では「自己株式取得・処分信託」という。)について、その特性を十分に踏まえた会計処理を考察しその論点を示すとともに、そのような検討の過程で浮上する新たな法的論点(跳ね返り法律問題)を明らかにしたい。
なお、本連載のうち意見にわたる部分は筆者の個人的見解にすぎず、筆者が現在所属し、または過去に所属したことのある組織の見解を示すものではないことをあらかじめご容赦いただきたい[5]。また本連載はその目的上、専ら会計上の論点を取扱うものであり、緩衝信の法的有効性について何ら意見を述べるものではなく、さらに前提として紹介する緩衝信に関する法律専門家の論稿を批評するものでもない。
本連載は全4回で構成される。第1回の本稿では、緩衝信に関する先駆的な法律専門家の論稿の要点を紹介したうえで、自己株式取得・処分信託の会計処理の考え方の1つを紹介する。第2回では自己株式取得・処分信託の会計処理について別の考え方を紹介したうえで、主要な取引(信託による発行会社株式の取得および処分)の会計処理の具体例を比較対照して紹介する。第3回では自己株式取得・処分信託が保有する発行会社株式に対して剰余金の配当を実施する場合の会計処理の課題を指摘する。最後の第4回では、会計処理方法が会社法の財源規制(分配可能額の計算)に及ぼす影響を考察する。
図表1 緩衝信の仕組みの例
(出典)株式会社近鉄百貨店「当社の流通株式比率向上を目的とする株式需給緩衝信託Ⓡの設定に関するお知らせ」(2022年5月26日)
2 緩衝信に対する自己株式規制の適用に関する法的分析の紹介
⑴ 本連載が参考とした自己株式規制の適用に関する法的分析
本連載では、自己株式規制を
- 自己株式の取得に関する規制(自己株式取得規制)
- 自己株式の保有に関する規制(自己株式保有規制)
- 自己株式の処分に関する規制(自己株式処分規制)
に区分したうえで、緩衝信に対する自己株式規制の適用関係につき図表2のような整理を前提[6]とし、本連載で検討対象とする「自己株式取得・処分信託」についても基本的には同様の規律が妥当とすると仮定したうえで会計上の論点を検討する。
図表2 緩衝信に対する自己株式規制の適用関係
場面 | 会社法上の規制の種類 | 適用条文 | 適用・類推適用の有無 |
取得 | 株主総会の決議 | 156条 | 〇(適用または類推適用) |
自己株式の取得に係る手続 | 158条~165条 | ||
財源(分配可能額)規制 | 461条1項2号 | ||
保有 | 自己株式の議決権の否定 | 308条2項 | △(発行会社の影響力次第) |
自己株式の配当請求権の否定 | 453条、454条3項 | ×(配当請求権が認められる)(注) | |
処分 | 募集株式の発行等 | 199条~ | ×(市場売却は可能) |
(注) これまでの緩衝信の導入事例では、緩衝信が保有する発行会社株式に対して剰余金を配当しない事例の方が多い。
⑵ 自己株式規制の適用全般に関する法的分析の要約
まず、自己株式規制が「全部適用される」か「まったく適用されない」か、別の言い方をすると、緩衝信が保有する発行会社株式が「どの場面でも発行会社の自己株式に該当する」か「いずれの場面でも発行会社の自己株式に該当しない」かの完全な二者択一(100か0か)の発想で割り切れるものではなく、自己株式規制を構成する個々の規制ごとに、その趣旨と目的を勘案し、緩衝信に適用されるか否かを検討することが妥当であろう[7]。
そのため、法律専門家によって具体的な相違が生じるとすれば、個々の規制が緩衝信に適用(あるいは類推適用)されるかどうかに関する判断であろう。
⑶ 自己株式取得規制の適用に関する法的分析の要約
緩衝信は自益信託であり、受託者による取引の経済効果は、委託者兼受益者である発行会社に帰属することになるため、緩衝信における発行会社株式の取得は、実質的に、発行会社の財産を株主(当該発行会社株式を緩衝信に売却する売主)に分配する性格をもつことは否定できない。この点を重視すると、緩衝信による発行会社株式の取得については自己株式取得規制が課されるという結論になると思われる[8]。
⑷ 自己株式に対する議決権の有無に関する法的分析の要約
次に、自己株式保有規制のうち議決権については、これを認めないこととしている会社法308条2項の趣旨は、「自己株式に議決権を認めると、株主総会の意思決定に経営陣が影響を及ぼすことが可能となり、会社支配の公正性が害されるため、それを防ぐ趣旨」であると解されている。これを踏まえると、「緩衝信が保有する株式の議決権行使について、発行会社が指図権を有するなど、その議決権行使に発行会社が影響を及ぼすことは、同法308条2項の趣旨に反し、許されないと解すべき」であるが、「他方、議決権行使の判断が受託者に委ねられ、発行会社がその判断に影響を及ぼすおそれがない場合には、緩衝信の保有する株式について議決権行使を認めても、同項の趣旨には反しないと解してよいのではないか」と指摘されている[9]。
⑸ 自己株式に対する剰余金の配当の可否に関する法的分析の要約
また、自己株式に対する配当請求権については、自己株式に対する配当請求権が否定されているのは、これを認めることに特段の弊害があるわけではなく、むしろ、認めることが無意味であるという消極的な理由に基づくものとであるとの解釈が示されている。そこで、「緩衝信の保有する株式は、法律上は自己株式ではなく、受託者が有するものである以上、あえてこれらの規制を課す理由は乏しい。むしろ法形式を尊重し、緩衝信の保有する株式については、配当請求権その他の自益権を認めてよいと考える」と指摘されている[10]。
⑹ 自己株式処分規制の適用に関する法的分析の要約
最後に、株式の処分の場面では、緩衝信による発行会社株式の処分には自己株式処分規制は直接適用されず、また、一定の公正な状況が確保されている限り、類推適用もされないとの見解が示されている[11](この論点が会計処理に及ぼす影響が軽微であると思われることから、本連載では詳細は割愛する)。
3 自己株式取得・処分信託の会計処理の考え方①
――発行会社と信託の一体性を重視
⑴ 自己株式取得・処分信託に関連する会計基準等
本連載で取り扱う自己株式取得・処分信託に共通する性質として次の4つを考える。
- (a) 発行会社(委託者兼受益者)から信託財産として拠出された金銭に基づき信託が当該発行会社の株式を取得し
- (b) 信託がその株式を随時(市場等を通して)売却し
- (c) 売却代金は発行会社に分配され
- (d) 発行会社は信託の目的が達成されるまでは信託受益権を継続して保有し、売却しない
緩衝信は基本的にはこのような性質を有すると思われるが設計次第では異なる性質を有する可能性もある。その場合の会計処理は別途検討する必要がある。
このような性質を有する自己株式取得・処分信託に直接適用することを想定した会計基準は存在しないが、信託(特に、金銭の信託、つまり金銭を信託財産として設定される信託)の会計処理を検討するにあたり参照すべきものとしては、企業会計基準委員会の公表している
- 企業会計基準第10号「金融商品に関する会計基準金融商品」
- 実務対応報告第23号「信託の会計処理に関する実務上の取扱い」(以下「実務対応報告23号」という。)
- 実務対応報告30号
に加え、日本公認会計士協会会計制度委員会報告第14号「金融商品会計に関する実務指針」が存在する。
⑵ 実務対応報告30号との整合性
実務対応報告30号は、従業員持株ESOP信託[12]のように「従業員を受益者とする他益信託を対象として」[13]いるのに対し、自益信託である自己株式取得・処分信託は信託財産の発行会社に対する経済的な帰属関係が異なるため、実務対応報告30号をそのまま適用することはできない。しかし、信託財産が当該発行会社の株式であるという点において自己株式取得・処分信託と従業員持株ESOP信託は共通しているため、その共通点に由来する部分については自己株式取得・処分信託の会計処理は実務対応報告30号と整合的であるべきというのが多数派の見解であると思われる。
⑶ 信託と発行会社を一体とみて会計処理する選択肢
実務対応報告23号は専ら自益信託を対象に、一定の類型に分類したうえで各類型における信託の委託者・受益者の会計処理を整理したものであるため、自己株式取得・処分信託の会計処理も実務対応報告23号に反するものであってはならないと考えられる。
しかしながら、実務対応報告23号の趣旨を尊重しつつも、
- (x) 発行会社の「道具としての信託」としての要素が強く、
- (y) 金銭以外の信託財産が発行会社の株式に限られ、
- (z) 信託の目的に照らして、信託受益権が売却・処分されることが意図されていない
という性質を有する自己株式取得・処分信託については、これまでの信託会計が取り扱ってきた信託とは性質が異なり、信託を発行会社と一体として会計処理する方法も許容されるのではなかろうか。
その理由は次のとおりである。
第1に、旧商法下では、金庫株解禁に伴い利用が進んだ自己株式取得信託において自己株式が信託財産として相当期間保有されることとなるような場合、会社は信託をいわば道具として利用しているにすぎないと考えられ、信託財産として保有される発行会社株式に対する議決権および配当の支払いが否定されていた[14]。このように、発行会社の道具にすぎない信託においては信託による発行会社株式の取得および保有を発行会社自身による自己株式の取得および保有と同様の手続規制に服させるのが相当であるという法的評価であるならば、両者の会計処理も同一とすることが合理的である。確かに、本連載の検討対象である自己株式取得・処分信託は自己株式を処分するという点において従来の自己株式取得信託とは異なるが、本来発行会社自身が実行したかった取引を、より少ない規制で実現するために信託に行わせるという要素が強ければ、自己株式取得・処分信託にも相当程度の「道具性」が認められると考える[15]。
第2に、基本的には信託財産が発行会社自身の株式であるという信託は、見かけ上、つまり信託受益権は発行会社にとって資産としての外形を有するが、その実質は資産性のない自己株式であるという、外形と実質の不一致がある。経済的実態をできるだけ反映するという点を重視すれば、上記のように「道具性」の要素が強い信託における信託財産が自己株式である場合にそれを発行会社の会計上信託受益権という資産として認識することは(たとえ期中に限ることとしても)必ずしも適切とはいえない。
第3に、信託受益権は、金融商品として処分されることが想定されるのであれば、会計上資産として計上することに有用性がある。しかし、発行会社がその信託の手仕舞いの手段として信託受益権の売却による現金化という選択肢を持たず、あくまで信託の目的を達成した場合に信託財産の交付を受けて信託を終了させることが予定されている場合、信託受益権という資産が現実に取引の対象として注目される機会がない。最終的に信託財産が発行会社に交付されるという最終的な姿が決まっているのであれば、発行会社の会計上も、端的にその信託財産を(期末を待たずに)オンバランスさせる方が適切である。
第4に、この手法の大きな特徴は、信託が発行会社株式を取得した時点で、期中に(期末を待たず)会計上「自己株式」を計上することを要求する点にある。会社法上の分配可能額規制では、期中の自己株式の帳簿価額が分配可能額の計算に影響するため(連載第4回参照)、自己株式取得・処分信託が保有する自己株式の帳簿価額を適時に分配可能額の計算に反映させる方が、本稿において紹介した法的見解に整合的であるように思われる。
もっとも、このような「信託を発行会社と一体として会計処理する方法」を明示的に要求する会計基準は存在しないため、かかる会計処理については異論も多いと思われる。そこで別の選択肢として、現行の実務対応報告23号の解釈の中で自己株式取得・処分信託の会計処理方法を決定する方法が考えられる。その詳細は連載第2回で述べることとしたい。
第2回につづく
[1] 実務対応報告30号8項(1)参照。
[2] 株式需給緩衝信託®は野村證券株式会社の登録商標であり、同信託は同社および野村信託銀行株式会社によって開発され、サービスの提供が開始されている。具体的内容は両社が公表した2022年2月14日付「株式需給緩衝信託®のサービス提供開始について」を参照。
[3] 本稿では、田中亘「特集 ガバナンス向上を促す自己株式規制の新たな視座―東証市場再編を契機として― Ⅱ 自己株式規制と信託」商事2302号(2022)53頁以降、および 橋本基美=太田洋=野澤大和「同特集Ⅲ 株式需給緩衝信託の仕組みと法的論点」同61頁以降参照。
[4] 田中・前掲注[3] 60頁参照。
[5] 本連載は会計上の論点に焦点を当てているが、これらが筆者の所属する組織の取扱業務であることを示すものではない。また最終的な会計処理方法は、適宜発行会社の会計顧問に相談のうえ、監査人と十分に協議したうえで決定する必要がある点にもご留意いただきたい。
[6] 田中・前掲注[3] 53頁以降参照。
[7] 田中・前掲注[3] 56頁、橋本ほか・前掲注[3] 64頁参照。
[8] 田中・前掲注[3] 57頁参照。
[9] 田中・前掲注[3] 58頁から59頁参照。
[10] 田中・前掲注[3] 59頁、橋本ほか・前掲注[3] 64頁から65頁参照。
[11] 田中・前掲注[3] 57頁から58頁、橋本ほか・前掲注[3] 65頁から66頁参照。
[12] 本連載では実務対応報告30号3項が対象としているような「従業員への福利厚生を目的として、従業員持株会に信託を通じて自社の株式を交付する取引」を念頭に置いている。
[13] 実務対応報告30号32項(2)ほか。
[14] 原田晃治=泰田啓太=郡谷大輔「自己株式の取得規制等の見直しに係る改正商法の解説(下)」商事1609号(2001)11頁参照。
[15] なお、本稿での道具性というのは信託が形骸化しており信託自体の有効性に疑義があるということを意味するわけではなく、会計の視点から、受託者の行為を発行会社の行為とみなすことが適切であるといえる程度に両者の一体性が強いという意味である。繰り返しになるが、本稿では緩衝信の法的有効性について意見を述べるものではなく、法的に有効に設定された自己株式取得・処分信託の会計処理について考察するものである。
(なかむら・しんじ)
弁護士・公認会計士/アンダーソン・毛利・友常法律事務所外国法共同事業 パートナー
1999年東京大学法学部卒業。2000年弁護士登録、2006年公認会計士登録、2008年公認内部監査人登録、2009年米国イリノイ州公認会計士登録。2008年米国イリノイ大学会計学修士号取得、2010年CFA協会認定証券アナリスト認定。2011年7月~13年7月金融庁総務企画局(現:企画市場局)企業開示課に出向。2016年日本アクチュアリー協会正会員。
主な著作として、『新しい株式報酬制度の設計と活用――有償ストック・オプション&リストリクテッド・ストックの考え方』(中央経済社、2019)、『株式実務担当者のための会計・金商法・税法の基礎知識』(商事法務、2021)。