◇SH2101◇ベトナム:退職後の競業禁止―近時の裁判例 井上皓子(2018/09/21)

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ベトナム:退職後の競業禁止―近時の裁判例

長島・大野・常松法律事務所

弁護士 井 上 皓 子

 

 以前に「SH1974 ベトナム:【Q&A】労働者の秘密保持と兼業禁止」として、労働者の兼業禁止に関する法規制と、それについての一般的な考え方をご紹介しました。最近、退職後の競業避止条項の有効性に関して、これとは異なる考え方を取る裁判所の決定が出されましたので、今回はその事案をご紹介したいと思います。

 

事案の概要

 2005年10月、使用者であるX社は、労働者Yを人事採用部部長として採用することとし、雇用契約とは別に、秘密保持契約を締結しました。その秘密保持契約においては、退職理由の如何を問わず、①退職後12ヵ月間、Yは同業他社、競合しうる他社、関連会社、取引先等に就職することを禁止すること(本件競業避止条項)、そして、②それに違反した場合の損害賠償責任が規定されました。

 2016年11月、YはX社を退職しました。翌2017年10月、Yが同業他社に就職していることを確認したX社が、秘密保持契約において紛争解決機関として合意していたベトナム国際仲裁センター(VIAC)に仲裁を申し立て、Yに対し、本件競業避止条項の違反を理由とする損害賠償を請求しました。仲裁では、X社のYに対する損害賠償請求を認容する判断が示されました(ただし、仲裁判断の内容は非公開が原則とされているため、それ以上の詳しい理由付けなどは明らかにされていません。)。

 仲裁判断が示された後、Yは、(i)本件のような労働紛争には、仲裁機関であるVIACの管轄は及ばない、(ii)そもそも、本件競業避止条項は、労働者の職業選択の自由に違反するものであり無効であるとし、ホーチミン市人民裁判所に対し、VIACの仲裁判断を取り消すことを求める民事非訟を申し立てました。

 裁判所は、まず(i)を否定して労働紛争についても仲裁の管轄は及ぶとした上で、(ii)について、おおむね次のような理由を述べ、Xの申立を却下しました。

  1. - 民法第3条2項は「個人及び法人は、自己の意思で民事の権利及び義務を確立し、履行し、消滅させる。法律の禁止事項に反さず、公序良俗に反しないすべての約束及び合意は、各当事者に対する拘束力を有し、他の主体により尊重される」と規定している。
  2. - 秘密保持契約を締結する時点で、Yは民事行為能力を有し、契約に定める権利義務を十分に理解した上で任意に契約を締結した。すなわち、秘密保持契約は、X社とYとの自由意思に基づいて締結された。
  3. - したがって、X社とYとの自由意思により締結された秘密保持契約の内容は合法であり、本件競業避止条項も労働者の職業選択の自由を制限するとはいえない。

 

分析

 前回述べたように、自由に職業を選択することはベトナムでも憲法において認められた公民の基本的な権利の一つであり(憲法35条)、労働法においても、労働者には職業選択の自由があると規定されています(労働法5条1項a号)。そのため、一般的に、労働者の職業選択の自由を一方的に制限することは、形式上労働者の同意が得られたとしても、労働者の権利を侵害する行為となります。また、労働法21条は、在職中であっても労働者の兼業を認める規定を置いており、この規定には、兼職することとなる他社が同業であることや秘密保持を理由とする例外はありません。したがって、一般的には、在職中でも競業避止義務の一貫として他社への就職を禁止する条項の有効性については疑問があるといわざるを得ないと考えられますし、退職後についても同様に考え得ると解されます。

 今回ご紹介した裁判所の決定は、全文が公開されているわけではなく、情報が限られてはいるものの、こうした一般的な見解とは異なり、競業避止条項の有効性を確認したものとして注目に値します。他方で、問題とされる競業避止条項の具体的な内容について詳細な分析をすることなく、契約締結の自由や当事者の自由意思という民事上の原則を尊重し、それのみに基づいて、競業避止条項の有効性を一般的に認めたようにも思われ、労使間の力の差や、制限される対象が憲法上認められた労働者の職業選択の自由であることについての配慮が十分であったのかという点等において、その判断内容には疑問も残るところです。例えば、日本では、競業避止条項の有効性を判断するにあたり、①当該条項の目的である守るべき企業の利益があるかどうか、それを踏まえて競業避止条項の内容が合理的な範囲にとどまるかどうかというバランスを検討すべきとされており、合理的な範囲にとどまるかという点については、②労働者の地位(競業が禁止されるような重要な職務や地位であったか)、③競業が禁止される範囲に地域的な限定があるか、④競業避止義務が存続する期間、⑤禁止される行為の範囲について制限があるか、⑥代償措置が講じられているか等を考慮して、使用者と労働者との利益のバランスを取るべきとする考え方が一般的になってきていると考えられます。ベトナムにおいて、こうした一定の条件を満たせば競業避止義務の有効性が認められるというものではありませんが、少なくとも、これらの点に配慮した判断であって欲しかったようには思われます。

 なお、類似の裁判例として、2010年12月10日付のLong An省Duc Hoa県地方裁判所第一審判決(09/2010/LD-ST号)があり、こちらも上述の裁判所と同様の考え方を取り、競業避止条項は当事者の自由意思によって締結された合意であるため、職業選択自由の原則に違反するものではなく、有効かつ拘束力があるものであると判断したようです。しかし、判決のロジックについてはやはり同じような疑問があるように思われます。

 いずれにせよ、今回ご紹介した事例は、一裁判所の1つの決定に過ぎず、その判断内容については疑問も残りますし、この点について明確に規定した法令もないため、この判断がただちに今後の規範になっていくとは思われません。そのような現状では、競業避止条項の有効性についてはなお慎重に考えるべきだと思います。ただ、今後、類似の事例が蓄積されていくのかどうかについては、注目していきたいと思います。

 

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