◇SH2162◇弁護士の就職と転職Q&A Q57「転職活動は『現職を退職する決意』を固めた後で行うものか?」 西田 章(2018/10/29)

法学教育

弁護士の就職と転職Q&A

Q57「転職活動は『現職を退職する決意』を固めた後で行うものか?」

西田法律事務所・西田法務研究所代表

弁護士 西 田   章

 

 アソシエイトからメールを頂く際に、「まだ現事務所を辞めると決めたわけではないのですが、ご相談させてもらってもいいでしょうか」という質問をしてくれる方がいます。私自身、10年以上前、所属事務所からの出向期間中に、「出向を終えたら事務所に戻るべきか? それとも転職先を探すべきか?」と進路を迷っていたことがあるので、その気持ちはよくわかります。「退職すべきかどうかを相談できる先がないのか?」と途方に暮れた時の思いが、自ら職業紹介事業のライセンスを取得しようと思い立ったきっかけでもありました。

 

1 問題の所在

 転職活動を行う弁護士には、2つのタイプがあります。ひとつは「現職を辞める決意」を固めてから移籍先を探すタイプ(退職意思確定型)であり、もうひとつは「現職に100%満足しているわけではない」「もし、より良い先があるならば、移籍も考えてみたい」というタイプ(退職判断保留型)です。

 「退職意思確定型」の中には、現職場のボスにも了解を得て、堂々と転職活動をされている方もいますが(ボスに伝えてしまったほうが、本人は業務時間中にも面接に出掛けられるし、ボスとしても、補充人員の採用準備を進める時間を確保できるメリットがあります)、例外的です。通常は、一旦、退職意思を表明してしまったら、重要案件からは外されてしまいますし、いつまでも事務所にはいられなくなりますので、現職場には隠して転職活動を進めることが一般的です。いずれにせよ、「現職を辞める決意」が固まっていたら、「次の転職は失敗したくない」という思いから、「できるだけ幅広く移籍先候補を見て回りたい」という希望にもつながりがちです。

 一方、「現職場に不満はあるが、別に今すぐに辞める必要もない」という「転職予備軍」とも呼べる「退職判断留保型」においては、「現職の執務環境や労働条件が改善されるならば、残るのもありうる」という腹案を持っています。そのため、「退職意思確定型」以上に、転職活動をしている事実が現職に知られてしまうことを避けたいと考えます。また、結果的に転職しないことに決めた場合に、「応募先事務所に迷惑をかけてしまうことにならないか?」とか「転職エージェントに何と言えばいいか?」という懸念が生じます。

 

2 対応指針

 他事務所を訪問するのに、「退職意思を固めておく必要がある」ということはありません。現実にも、「現事務所でパートナーに昇進する」という進路を歩む場合でも、他事務所を見て回った後のほうが納得感のある判断を下すことができます。

 ただ、採用側が急いで人を探しているにも関わらず、退職意思が固まっているかのように装って応募してしまうと、採用担当者の貴重な時間を奪ってしまったり、他の候補者とのご縁を失わせてしまうという迷惑をかけてしまうおそれがあります。そこで、退職意思が未確定なことを伝えた上で訪問を依頼するほうが親切です(退職意思が未確定の状態でも、「優秀な人材が当事務所に真剣な関心を抱いてくれているならば、訪問を受け入れたい」という事務所も多いです)。

 なお、選考を途中で降りたり、オファーを辞退した場合に、怒り出す転職エージェントも残念ながら存在しますので(成功報酬だけで生活しているエージェントにとっては、時間と手間をかけた候補者に逃げられることが痛手になります)、余裕のないエージェントへの相談は控えるべきです(候補者から預かった履歴書を、誤って、候補者が現に所属している事務所宛てに送付してしまう、という大失態を犯したエージェントもいると言われています)。

 

3 解説

(1) 現職でパートナーになるための判断材料

 法律事務所で働く弁護士は、「アソシエイトは労働者」だとしても、「パートナーは自営業者である」と考えるべきです。つまり、アソシエイトとして大きな不満なく働いてきた事務所だからといって、「その事務所でパートナーとなって弁護士業務を続けるべきか?」は別の問題です(パートナーになれば、事務所の経費(人件費や家賃等)の一部を負担するだけでなく、オフィスの賃貸借契約や借入れの連帯保証人になることが求められることもあります)。

 また、最近では、創業者世代の引退に伴い、「第一世代のパートナーには恩義はあったが、番頭役の第二世代・第三世代のパートナーの下で働きたいとは思わない」という分裂の事例も現れてきています。

 そんな中、一度も転職活動をしたことがないシニア・アソシエイトにとっては、自分の市場価値を正しく認識することは容易ではありません。現事務所で忙しくして「自分には価値がある」と思っていても、実際に転職活動をしてみると、受け入れ先が見付からないことに落胆する事例もあれば、逆に、現事務所では「自分は平凡」だと思っていても、周りに目を向けると、他事務所には(重なる経験を持った先輩がいない等の理由で)本人の能力・経験を高く評価してくれる先が見付かることもあります。

 そのため、予め、違うタイプの事務所を自分の目で見ておくことは、「現事務所でパートナーに昇進する」という進路を納得した形で判断するためにも役立ちます。

(2) 採用側のメリット

 法律事務所の中途採用においても、(A)現職を辞めてうちに来たいという意思が強い候補者の中から、当方の要求する水準を満たしている者を採用する、という「待ち」の方針の先と、(B)当方の要求する水準を満たした候補者の中から、うちに来たいと思ってくれそうな者を勧誘する、という「攻め」の方針の先があります。

 「退職意思確定型」を対象とする分だけ、(A)「待ち」方針のほうが採用確度は高いと思われがちですが、実際には、「退職意思確定型」は、ひとつだけでなく、多数の事務所に同時並行で応募していることが殆どです。そのため、高スペックの候補者ほど「複数のオファーをもらって、条件を見比べて、移籍先を決めたい」と希望して、採用側は「他事務所との候補者獲得競争」に巻き込まれてしまいがちです。

 その点、「まだ現職を退職するかどうかも決めていない」という候補者のほうが、「現事務所とは異なる魅力がある」という点が伝わると、他の事務所を見比べることなく、「自己実現の場として、現事務所と、どちらが優れているか?」という二者択一で進路を判断してくれる傾向も見受けられます。そのような事情も踏まえて、法律事務所からは「優秀な人材ならば、退職意思が固まる前でもいいから、早めに連れてきてもらいたい」と依頼されることがあります。

(3) 転職エージェントの思惑

 欧米のエグゼクティブサーチファームが、「リテイナ」(着手金を受け取った専属契約)で人材探索を行うのに対して、日本における弁護士の人材市場の転職エージェントは、ほぼすべて「転職希望者を法律事務所や企業に持ち込んで成功報酬を狙う」というビジネスモデルです。そのため、「履歴書が綺麗な転職希望者」に遭遇したら、「ぜひ転職させて成功報酬を手に入れたい」という動機付けが強く働きます(成功報酬以外の収入がないエージェントは、転職を斡旋できなければ、干上がってしまいます)。

 私自身も、10年以上前、自らの転職活動に際して、複数の人材紹介業者に相談しましたが、いずれの業者にも強い不満を覚えました(「家庭の事情でワークライフバランスを重視しなければならない」と訴えているにも関わらず、日本で一番忙しいと思われる事務所を紹介されたり、インハウスの採用選考を途中で降りたら、怒られたりしたことがありました)。

 また、転職エージェントの中には、本人の了解も得ずに、履歴書を提出する業者も残念ながら存在します(業界的には、「複数の業者から同一の候補者の紹介があった場合には、最初に履歴書を提出した業者に成功報酬を支払う」という慣習法が一部で存在するために、将来債権譲渡のように、「対抗要件だけ先に取得しておきたい」という意図があるようです)。そのため、「現職に留まる選択肢も捨てていない」ならば、成功報酬を狙うことに焦っている業者への相談は控えるほうが無難です。

以上

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