証明責任規範を導く制定法に関する一考察
―立法論を含めて―
第3回
7 「法とは何か」という観点からの考察
- (1) ① こうして、証明責任規定の欠缺という穴は(若干、必要を超えて過剰ではあるものの)法規不適用の原則が埋めてくれている。
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② ところで、法規不適用の原則というものは法なのであろうか。上述のとおり、法規不適用の原則はドイツのローゼンベルクの学説であり、わが国における法律要件分類説(兼子理論)である。したがって、少なくとも法律で定められたものではない。法規不適用の原則を定めた制定法はない。そうだとすると、裁判所は(制定)法ではないものを適用し主張事実が証明されたかどうかを区別して真偽不明の場合や確定的な偽の場合も裁いてきたのであろうか。法とは何か、すなわち、法と法でないものとはどのようにして区別するのかが問題になる。
- (2) ① 法と道徳とは区別されるべきである、という観点からは、法とは、人の行為によって人為的に定められた実定法に限定するのが穏当であろう。実定法の存在形式すなわち法源としては、制定法、慣習法、裁判先例、学説、条理などがある[1]。わが国の法源制度は制定法主義に立つ[2]。制定法主義のもとでは、裁判で適用が認められるのは制定法のみである。ただ、制定法の条文に根拠を求めながら例外的に他の法源を認める場合もあるとされる[3]。もっとも、そうであれば実質的には制定法主義と変わらないであろう[4]。
- ② このように、制定法主義という観点からは、学説は法源としては認められず、裁判で適用することは認められない。したがって、法規不適用の原則は学説であるから、裁判で適用することはできないことになりそうである。これでは、規範説はもちろん法律要件分類説も裁判での適用は認められないことになるであろう。
- ③ この点、裁判規範としての民法説という要件事実論の考え方は、法規不適用の原則を採用しておらず[5]、法律要件分類説も採っていないとされているので、制定法主義に反するという批判を(おそらく)免れているかもしれない[6]。もっとも、裁判規範としての民法という発想も法規不適用説の温存であるとの指摘もなされている[7]ところではある。
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④ それでは法規不適用の原則を採用する要件事実論の考え方は、それは法ではないとして、裁判手続での適用は否定されてしまうのであろうか。
- (3) ① 確かにわが国が制定法主義をとる限りは、法規不適用の原則を前提ないし含意する要件事実論[8]の考え方は裁判での適用可能性を失ってしまうように見える。
- ② ところが、わが国の裁判所は、制定法の条文に根拠を求めながらも、例外的に他の法源を認める場合がある。たとえば、事情判決の法理は、そのひとつであろう[9]。最高裁判所は、行政事件訴訟法という制定法の条文[10]に根拠を求めながら、その規定に含まれるとされる法の基本原則を適用して、選挙を無効とはしなかった。そこでは、明文の規定がないのに安易にこのような法理を適用することは許されないとしながら、高次の法的見地からこのような法理(事情判決の法理)を適用すべき場合がないとは言い切れない、と述べられている。
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③ この推論方式(論法)によれば、法規不適用の原則は明文に規定はないが、たとえば、裁判官が、ある法規を適用し、その法律効果の発生を確定しうるのは、同効果を導く要件事実の存在について積極的心証を抱いたときに限るとか、実体法の条文が基本的に本文や但書という形に書き分けられていることなどから、そこに含まれる法の基本原則として法規不適用の原則を導き、それを適用して、反対事実が証明された場合[11]はもちろん真偽不明の場合でも、当該主張事実が証明されたとは言えないことには変わりがないのであるから、法規の適用は否定されるという結論を出すことは許される(制定法主義に反しない)と説明することもできそうに見える。この説明が成り立つのであれば、法規不適用の原則を採用する要件事実論の考え方も法による裁判という枠内におさまることができる。果たして、法規不適用の原則は、制定法の条文に根拠を求めながら、制定法には定められていない法理として導くことはできるのであろうか。
- (4) ① たとえば、実体法が証明責任の所在を意識したと解される構造を有していることから、法規不適用の原則を導くことはできるか。
- ② もう一度、上述した改正民法の117条1項を見てみよう。同条項は「他人の代理人として契約をした者は、自己の代理権を証明したとき、又は本人の追認を得たときを除き、相手方の選択に従い、相手方に対して履行又は損害賠償の責任を負う」と定めている。すなわち「自己の代理権の証明」があれば無権代理人としての責任を免れる。また「本人の追認を得たとき」も同じく免れる。前者は明確にその証明を要求し、後者は証明には触れていない。
- ③ したがって、自己の代理権については、それを証明することが無権代理人としての責任の不発生という法律効果を発生させるが、本人の追認については、それが証明されることが要件とされていないので、真偽不明に陥った場合、無権代理人の責任(の不発生という法律効果)を発生させるべきなのか、発生させないとすべきなのか、この条項からは結論が出てこないということになりそうである。
- ④ つまり、条文の構造自体[12]から法規不適用の原則を導くことはできないことになる。むしろ、ある事実が証明されないということがその事実を効果発生の要件とする法規の不適用を導くという原則があるからこそ、当事者にとって自己に有利な法規の要件事実(にあてはまる主要事実)を証明する必要が生じ、自分に有利な法規はどれか見分けるため、それを実体法規の相互の論理的関係[13]に求めたり、あるいは、それらを識別するために法規の条文の形式的構造に依拠すると考えることができる。そして、これらを前提に、規範説は実質的考慮を排除し実定実体法規に基づいてなされるべき[14]とし、他方、我が国の法律要件分類説は実質的考慮もすることにしているのである[15]。
- ⑤ むしろ、上記改正民法117条1項のように、証明を求める場合は「自己の代理権を証明したとき」と明記しているのであるから、その反対解釈として、条文上その証明が求められていない場合、真偽不明に陥ったときについては何も語られておらず白紙であって、一般的な証明責任規範に委ねる趣旨と解するのが相当であろう。もし、「本人の追認」の場合も、その証明を求める趣旨であったのであれば、条文上「本人の追認を得たことを証明したとき(を除き)」と定めたはずだからである。同条項は、明らかに「自己の代理権」については証明を求め、「本人の追認」については(真偽不明の事態に)沈黙するという選択をしている。
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⑥ とすると、正面から一般的な証明責任規範に関する法律(証明責任規定)を制定するか、あるいは、法規不適用の原則を裁判において適用するための他の理由を用意する必要が出てくるように思われる。
- (5) ① では、上述した旧民法証拠編1条の文言から法規不適用の原則を導くことはできるであろうか。法律としては成立しなかったものの、いわば立法者意思を推知するような手法によってそれは導けるのであろうか。
- ② 同条項は「有的又は無的の事実より利益を得んが為め裁判上にて之を主張する者は其の事実を証する責あり、相手方は亦自己に対して証せられたる事実の反対を証し或は其事実の効力を滅却せしむる事実として主張するものを証する責あり」と定めていた。
- ③ この定めによれば、自分が主張する法的効果の要件となる事実を「証する責あり」とするとともに、その相手方は当該事実の「反対を証し」、あるいは、当該法律効果を滅却する事実として主張するものを「証する責あり」ということになる。たとえば、売買代金の支払を求める売主(原告)は、売買契約の成立を証明する責任があり、その相手方である買主(被告)は、その反対である売買契約が成立しなかった事実(たとえば贈与であった)事実を証明するか、または、代金請求権を覆す抗弁(たとえば弁済など)を証明する責任がある、ということになる。
- ④ 法規不適用の原則は反対事実の証明を相手方に求めることはしないので[16]、旧民法証拠編1条の定めから法規不適用の原則(を採用する立法者意思があったこと)を導くことは困難と解される。むしろ、反対に、法規不適用の原則を採用する意図はなかったことを導くことになるであろう。
- ⑤ やはり、証明責任に関する定めについては、端的にその欠缺を認めざるを得ないのではないかと思われる。
[1] 平野仁彦ほか『法哲学』(有斐閣、2010年)210頁。
[2] 平野・前掲注[1] 210頁。
[3] 平野・前掲注[1] 210頁。
[4] 平野・前掲注[1] 210頁。
[5] 新堂幸司監修『実務民事訴訟講座 第3期(5)』(日本評論社、2012年)24頁。
[6] 要件事実論には、包括説、裁判規範としての民法説、手法説などがある。新堂・前掲注[6] 22頁~参照。
[7] 松本博之『証明軽減論と武器対等の原則』(日本加除出版、2017年)316頁。
[8] 要件事実と要件事実論とは区別して論ずる。要件事実とは、実体法の定める一定の法律上の効果を発生させるための要件(法律要件)を構成する各個の要件のことである。要件事実とは法的な概念で類型的なものである。主要事実は要件事実に該当する具体的な事実のことである。要件事実論とは立証責任の所在に合わせて民法の条文の書き直しをしようとする考え方である。要件事実論の中にも、注40のとおり複数の考え方がある。
[9] 最大判昭和51年4月14日選挙無効請求事件(民集30巻3号223頁)。
[10] 行政事件訴訟法第31条。
[11] たとえば、売買契約の締結を立証しようとしていたところ、贈与契約であったことが証明された場合など
[12] 本文と但書の書き分けがなされていたとしても必ずしも証明責任の分配を意識しているとは限らないと考える。たとえば、会社法331条2項は本文と但書に書き分けられているが(株式会社は、取締役が株主でなければならない旨を定款で定めることができない。ただし、公開会社でない株式会社においては、この限りでない。)、これは証明責任の分配を意識した条文ではないと考えられる。
[13] 権利根拠規定、権利障害規定、権利滅却規定という関係。
[14] 実質的考慮を入れると、証明責任が各裁判官の各人各様の分配になりかねないから。
[15] 高橋宏志『重点講義民事訴訟法(上)〔第2版補訂版〕』(有斐閣、2013年)539-541頁。
[16] 真偽不明を法規不適用に結びつけるので、相手方は反証で足りるはずである。