Brexit
―交錯かつ分化する政治・社会・法律を踏まえての企業活動―
第6回
伊藤見富法律事務所
弁護士 大間知 麗 子
ブランズウィック・グループ
土 屋 大 輔
3. コンティンジェンシー・プラニングと考慮すべき事項
(4) 知的財産権
ヨーロッパの知的財産権には、各加盟国の制度において保護されているものと、EU法の制度上で保護されているものがあり、とくに、後者であるEU 商標権とEU意匠権について、合意なき離脱後はその保護がイギリスでは失われるのではないかが懸念されていた。
この点に関して、イギリス政府は、現在EUで保護されている知的財産権を、Brexit後も継続して確実に保護することが、自国の産業の維持や発展にとってきわめて重要な要素になると考えているようであり、Brexit後の知的財産権(商標、意匠、特許、著作権等を含む。)の取り扱いについて、2018年の9月に一連の通知を出し、2019年1月にもガイダンスを公表している[1]。この文書の中で、イギリス当局は、EU 商標権とEU意匠権について、これに相当する制度をイギリス国内に創設し、現在の権利者に対して、追加の費用の負担なく、それに基づく権利を自動的に付与することとし、合意なき離脱の場合であっても、イギリス国内で継続して権利の保護が認められることを明らかにしている。
このような政府の方針の表明により、知的財産権がBrexit後も継続して保護されるため、企業にとっては短期的には安心感が得られるといえる。しかし、長期的にみれば、企業は、英国とEUのそれぞれの権利の更新や新たな申請などについて、離脱前よりも費用がかかることが予想され、Brexitは、この点でも、英国やEUの企業にとってコスト増をもたらす可能性が高い。
(5) 準拠法や裁判管轄条項などの契約の効力
ロンドンは、長年、国際的な紛争解決の中心地としての役割を果たしてきた。そのため、日本企業を含む多くの契約当事者が、英国の裁判所を裁判管轄地とし、英国法を準拠法として選択する合意をしている。これらの合意の内容が、Brexitによって影響を受けるかが議論されるが、日本とイギリスとの関係や、日本とEU加盟国との関係で、当事者が民事や商事の契約において裁判管轄地や準拠法を合意した場合の当該条項の有効性に限ってみれば、Brexitによって法的な有効性の判断への影響はなく、従前と変わらないことになろう。
この点が議論されるのは、主に、イギリスとEU加盟国との関係である。背景には、EU加盟国の市民が、近年、国境をまたがって他の加盟国の裁判所に提訴する事件が増大してきている中で、EU域内において、加盟国間の法秩序の抵触や錯綜といった障害によって権利の行使を妨げられるべきではないとする理念がある。このような理念に基づき、EUは長年にわたって、加盟国間での司法協力を進め、司法へのアクセスを容易にし、その域内での私法上の権利の行使を実効性あるものとすることを目指してきた。下記に述べる準拠法に関する規則や裁判管轄に関する規則は、そのような流れの中でできたEUの規則のひとつであり、Brexit後にどのように扱われるかは、イギリスの「主権の回復」を意味するものでもあるから、注目されているといえる。
この点、イギリス政府は、ガイダンスを公表して今後の方針を明らかにしている[2]。まず、準拠法についてみると、現在、EU加盟国では、ローマⅠ規則(契約債務の準拠法に関する規則)及びローマⅡ規則(契約外債務の準拠法に関する規則)に従い、基本的に当事者が選択した準拠法が適用されている。イギリスがEUを離脱するときには、イギリスではローマⅠ規則やローマⅡ規則は直接は適用されないこととなるが、イギリス政府は、これらの規則の規律を国内法に組み入れることを明らかにしており、EU離脱後もイギリスの裁判所において、準拠法に関してこれまでと実質的に同じ規律が適用され、当事者の合意した国の法律が適用される見込みである。
また、民事及び商事事件の裁判管轄に関しては、現在は、EU加盟国内でブリュッセル改正規則が適用され、基本的に合意された管轄が尊重されているところ、イギリスがEUを離脱すると、イギリスとEUの他の加盟国との関係は変容を受ける。裁判管轄権は、主権の範囲と密接に結びつくものであるから、離脱後のイギリスは、ブリュッセル改正規則に拠らない他の枠組み、すなわちハーグ条約やルガノ条約などに参加して、国際的な司法協調を図るとみられている。
このほか、EUには、その理念から、送達、証拠調べ、判決執行などについても規則があり、また、上記の政府方針ではBrexit後のイギリスにおける国際倒産手続きの扱いについても触れられている。ただ、既述のようにEU加盟国ではない日本の当事者との関係では、Brexitの法的影響はほとんどないと考えられるので、これ以上は検討しない。
もっとも、たとえば、金融契約においては、BRRD(The Bank Recovery and Resolution Directive)上のEU企業のベイルインやステイの契約上の有効化義務[3]の関係などで、Brexitによる規定振りの修正が必要になることが考えられ、日本企業においてはそれに応じることが求められるかもしれないし、同様に、各契約においては、EUの規則を意識して設けられていた規定が実際には少なくないと考えられる。そのような観点から、Brexitの影響を受けた契約の修正が日本企業に対して求められ、それに対して対応の必要が生じることは十分に考えられる。
なお、オランダ、フランス、ドイツ、ベルギーなどのEU構成国では、Brexit後のビジネスを招致する動きの一環として、英語で裁判を行うべく裁判所のシステムの変更を行う動きが加速しているようである[4]。
[1] Intellectual Property Office “Guidance: IP and Brexit”(2019年3月8日改訂)
https://www.gov.uk/government/publications/ip-and-brexit-the-facts/ip-and-brexit
[2] Department for Business, Energy & Industrial Strategy / Ministry of Justice “Guidance: Handling civil legal cases that involve EU countries if there’s no Brexit deal”(2018年9月13日改訂)
https://www.gov.uk/government/publications/handling-civil-legal-cases-that-involve-eu-countries-
if-theres-no-brexit-deal/handling-civil-legal-cases-that-involve-eu-countries-if-theres-no-brexit-deal
[3] EU法では、経営難に陥った金融機関の再生・破綻処理にあたって、破綻処理当局が、金融機関の一定の債務についての元本削減や株式への転換を強制する(ベイルイン)権限や、一定の契約の早期解約条項の行使を一時的に停止する(ステイ)権限が認められている。EU外の国の法律を準拠法とする契約においてもこれらの権限が確実に認められるようにするため、契約当事者には、これらの権限に服することを契約の条項に記載して契約相手方に承諾させる義務がある。
[4] BBC News “Why English courts are opening in the EU”(2018年2月28日)
https://www.bbc.com/news/uk-politics-42979920