◇SH2528◇弁護士の就職と転職Q&A Q77「インハウスならば、司法試験は合格しなくてもよいか?」 西田 章(2019/05/13)

法学教育

弁護士の就職と転職Q&A

Q77「インハウスならば、司法試験は合格しなくてもよいか?」

西田法律事務所・西田法務研究所代表

弁護士 西 田   章

 

 5月の第2日曜日は、旧司法試験受験生にとって、「司法試験の択一試験」という決戦の日でした。仕組みが変わった現在の司法試験では、論文式試験を3日間受けた後に短答式試験が行われるようになりました。3月に法科大学院を卒業した受験者の中には、すでに4月に企業に入社して、会社員の身分で司法試験を受験される方もいます。その層からは「法務部員として生きていくなら、司法試験に合格しなくても構わない」という声も聞かれます。

 

1 問題の所在

 「インハウスに弁護士資格を求めるべきかどうか?」という論点は昔から指摘されて来ました。この問いについて、私は、リクルータとしての立場と、キャリアコンサルタントとしての立場では、異なる応答をしています。

 まず、リクルータとして、「この企業の法務担当者として、現在の人材市場において獲得できる可能性がある候補者の中で、誰を勧誘すべきか?」を考える場合には、弁護士有資格者を優先して推薦しているわけではありません。現状を見れば、法律事務所で外部弁護士として働いていても、それだけで当然にビジネスの意思決定に資するリーガルリスク分析をできるようになるわけではありません。二流の事務所であれば、「クライアントの意向優先」で、イエスマンで無理な理論構成でもゴーサインを出すこともあります。逆に、一流の事務所では、リスクの指摘に終わり、「では、そのリスクを取るためにどういう手法がありうるか?」の参謀にならないケースも散見されます。理論的には、「弁護士資格があれば、米国の訴訟又は当局調査で、秘匿特権を主張できる」という資格者のメリットもありますが、それならば、日本法資格者よりも、米国法資格者を優先すべきように思われます。

 そのため、結果的には、弁護士候補者と、同年齢で、学部を出てすぐに企業の法務部で経験を積み始めた候補者を比較した場合に、「弁護士候補者が法科大学院や司法試験に費やした年月分も実務経験に充てていた候補者のほうが優れている」と判断されるケースもあります。

 それでは、法科大学院修了生からキャリア相談を受けた場合に、キャリアコンサルタントとして、「司法試験や司法修習に投じる時間は無駄だから、法務部の仕事に集中したほうがいいよ」と助言するか? となると、そのようなアドバイスはしていません。会社員として企業法務の世界で生きていく上でも、司法試験合格にはキャリア形成上のメリットが大きいと思っています。

 

2 対応指針

 ジュニアの人材市場においては、1~2年の経験年数の差は、市場価値に大きな違いを生じさせます。しかし、「経験年数の差」は、中堅以降の市場では薄れていき、次第に「経験の中身/質」によって市場価値が測られるようになっていきます。

 「経験の中身/質」という点では、「いきなりインハウス」で一社しか経験していない法務部員には、「社内の指揮命令系統上の上司の意向を絶対視するようになってしまうリスク」が潜んでいます。その点、弁護士資格者には、『会社利益』や『上司の意向』よりも、リーガルマインドやコンプライアンス意識を上位規範に置いて仕事をしやすい立場にあります。

 また、キャリア形成という観点からは、弁護士資格者のほうが転職市場を活用しやすい、という利点もあります。ひとつの会社が常に自分の成長ステージに合った役割を自分に与えてくれるわけではありません。転職の好機を掴むためには、「人脈や仕事を複線化しやすい」「無職期間が怖くなくなる」という弁護士資格者の利点が生きてきます。

 

3 解説

(1) 経験年数と市場価値

 ジュニアの人材市場において、「まったくの未経験者」と「経験2~3年」の違いは大きいです。企業は「現在の仕事が忙しくて手が足りない」から人材を募集しますが、新人を雇っても仕事は減りません。むしろ新人の教育のための仕事が増えてしまいます。

 例えば、企業法務部の中途採用において、「法科大学院を修了し、司法試験に合格して司法修習も終えた、28歳の新人弁護士Aさん」と、「法科大学院を中退し、企業法務部で2年間の実務経験を積んだ、28歳の無資格者のBさん」が応募してきた場合に、即戦力を期待できるのは(新人弁護士Aさんではなく)無資格者Bさんです。

 しかし、この「先に実務に出た経験年数の優位性」が通じるのは、ジュニアの人材市場だけです。前記の事例の10年後に、「38歳で、弁護士経験10年のAさん」と、「38歳で、実務経験12年の、無資格者のBさん」が中途採用で競合した場合には、今度は、Aさんが選ばれる可能性のほうが高まります。つまり、人材市場では、「経験年数2年>経験年数0年」という不等式は真ですが、10年経ってしまえば、「経験年数10年以上≒経験年数10年」であり、もっぱら、比較すべき対象は、「経験してきたことの中身/質」に移っていきます。

(2) 「会社利益」「上司の意向」とその上位規範

 比喩的な表現として、企業法務部には、「アクセル」と「ブレーキ」の役割がある、と言われることがあります。一般論で言えば、「生え抜きの会社員のほうがアクセル機能(経営陣やフロント部門の意向に従った対応)に長けている」「外部弁護士のほうがブレーキ機能(リーガルリスクの指摘)に長けている」と言えそうです。ただ、現実の企業法務で直面する問題は、道路交通法に置き換えると、「飲酒運転をしてもいいか?」のようにストレートに白黒が付けられるようなものばかりではありません。例えば、「スクールゾーンにおける時間指定の車両通行禁止を通過できないか?」「迂回しているうちに商機を逸してしまうが、それでもいいのか?」といった形で現れます。アクセル重視派からは、「一回限りの通行ならば、事故を起こさなければ、実務上のリスクはない」とコメントする法務担当もいるかもしれませんが、ブレーキ重視派からは「当局に通行禁止道路の通行許可申請書を出しましょう」という慎重意見が出てきそうです。

 日常的な対応では、アクセル重視派のほうが、事業経営の効率性の観点からは重宝されます。ただ、難しいのは、日々の細々とした問題で一度も上司やフロント部門に逆らったことがない法務担当が、もし、会社の重要な経営マターに内包される看過できないリーガルリスクに直面した場合において、プロジェクトのスケジュールを乱して、業務効率を阻害するようなブレーキ機能を発揮することを期待できるか? という点です。ここでは「法務が折れて、事業部に『貸し』を作るかどうか?」という社内政治的な発想ではなく、「(個人の主観を超えて)弁護士として呑めるリスクかそうでないか?」という、業界標準的な相場感を持って判断に向き合えることが役立ちます。

(3) 転職市場と弁護士資格

 企業法務部で、ブレーキ機能を発揮するために、弁護士資格が有益だと指摘する理由として「弁護士ならば、体を張って(=退職を覚悟して)社長にNOと言える」という表現が用いられることがあります。別に、無資格者でも転職する人はいますし、有資格者でも転職に慎重な人はいますので、必ずしも正確な表現ではありませんが、「経済的にも、社会的にも、会社に依存し過ぎてはいけない」という教訓は常に意識しておくべきです。

 実際、「新卒入社から定年までひとつの会社に働き続けるべきか?」と言えば、法務のキャリア形成については、必ずしもそうとは言えません。法務の機能は「日常的な業務を適正に運営する」という場面から、現在では、「会社の成長・事業拡大(M&Aや海外進出を含む)」や「会社の危機時期(不祥事対応、紛争・財政危機を含む)」における経営判断に伴うリーガルリスク分析に重点が移ってきています。それは、会社にとっても初めての経験となるために、(同社における過去の経緯や社内人脈に通じていることではなく)同じような「成長」又は「危機」を先行して経験した他社事例に通じた人材が求められることになります。経営者のカテゴリーに、「連続起業家」が存在するように、法務部門においても、「連続ジェネラルカウンセル/チーフ・リーガル・オフィサー」が存在するはずです。

 ただ、法務のトップのポストは常に空きがあるわけではありませんので、候補者が動ける時期とのタイミングが極めて重要になります。社内人事においては、「待機ポスト」がありえますが、転職市場を活用する場合に、「待機ポスト」だからといって、無職を受け入れるのにはかなりの抵抗があります(本人も無収入でいることは精神的につらいでしょうし、次の採用の場面でも「無職というのは首になったのか? 本人に何か問題があったのか?」と疑われるリスクが伴います)。この点、有資格者であれば、法律事務所に無給のカウンセル/顧問ポストで籍だけ置かせてもらうこともできますし、場合によっては、個人事務所を形だけ設けることもできますので、「転職市場における待機ポスト」は得やすいことは確かです。

以上

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