弁護士の就職と転職Q&A
Q92「『英語はやりません』という選択肢はあるか?」
西田法律事務所・西田法務研究所代表
弁護士 西 田 章
旧司法試験世代には、英語が苦手でも「日本語の起案力ならば負けない!」という心意気で企業法務系事務所に就職する進路も普通のこととして存在していました。ただ、リーマンショック後は、日本企業も成長シナリオを海外に求めるようになり、外国企業をクライアントに持たない弁護士も「英語からは逃げられない」という予感を感じさせられています。50歳代以上には、「日本語業務だけで逃げ切る」と決める弁護士もいますが、ジュニア・アソシエイト世代にとっては、「これから30年間以上も英語なしで食っていくことできるか?」というのは(英語を苦手とする層には)深刻な問題となっています。
1 問題の所在
企業の新卒採用においてTOEICの点数をプラス評価してもらえるのと異なり、法律事務所の新卒採用においては、「英語力よりも論理的思考力」が圧倒的に重視されます。「TOEIC900点台だけど司法試験は2回目受験」の応募者を落として、「TOEICもTOEFLも受けたことがない予備試験合格組」を通過させるような書類選考基準が用いられています。これは、渉外系事務所であれば、「英語力は就職後でも上げられる(はず)」という成功体験に基づいており、国内系事務所であれば、「英語ができるアソシエイトを雇っても渉外案件を取れるわけじゃない。レビューもできない」という事情を反映していると推測されます。
そのため、企業法務系事務所でも、新規弁護士登録時には英語を得意としないアソシエイトが数多く存在します。そして「時間さえあれば、英語力を磨きたい」という希望を抱いています。ただ、1日24時間という限られた時間を何に費やすべきか、その優先順位の設定には悩ましさが伴います。英語もやっておきたいけど、担当している事件の資料を読み込むだけでも深夜までかかってしまう。それに、金商法とか個人情報保護法とか、司法試験では扱わなかった法律も勉強しておきたいし、コーポレートガバナンスコードも、企業価値評価の手法も基礎的なことは知っておきたい。そんな状況下で、英語学習に時間を割いてしまったら、肝心な本業で納得のいく仕事ができずに低評価を受けてしまう危険も生じます。
「英語」学習の悩ましさは、ゴールが見えず、どこまで投資すれば十分かの見極めが付かないところにもあります。大手の事務所で周囲を見渡せば、NY州弁護士資格を持った先輩がゴロゴロ存在します。TOEFLの勉強から始めて、時間をかけて留学準備をして、NY州弁護士資格を取得するところまで辿り着けても、今は、それだけで食っていける時代でもありません(ビジネスレベルの英会話力を身に付けるためにもプラスαの努力が必要です)。時間と費用のコスト予測は立てられても、それによって得られるリターンは不確実です。
また、英語案件を扱うことに対する「負担感」は、国内案件の経験が長くなるほどに重くなってきます。新人時代ならば、「法律論もわからないし、英語もわからない」という二重苦を背負うツラさがありますが、年次が経つほどに、「日本語ならば短時間で品質にも自信を持ってできる仕事が、英語が絡むと途端に異常に時間を要するし、クオリティにも自信を持てなくなる」という状況に陥りがちです。「ジュニア時代にスタートしなければ、英語案件を扱うハードルが更に高くなってしまう」とも言えるため、「国内案件の経験値獲得を劣後させても、英語案件に取り組む価値があるか?」という悩ましさを抱えることになります。
2 対応指針
将来のキャリアとして、インハウスも考えているならば、ジュニア時代に「英語を捨てる」という選択をすることは「愚策」です。企業を取り巻くリーガルリスクは、日本法よりも、海外リスクのほうが大きくなりうるため、国内案件しか担当できなければ、部門長を目指すことが難しくなってしまいます(管理職でなく、専門職を進むとしたら、将来的に「尊敬できない年下上司から疎まれるリスク」に直面します)。
法律事務所でも、シニア・アソシエイトの転職市場における求人は「英語人材」が中心です。法律事務所の中途採用ニーズは「生え抜きでは育てられない人材」を対象とするものであり、その典型例が「英語人材」です。
「英語抜きの企業法務系弁護士」が成り立つ分野として、唯一、思い当たるのは、「訴訟に強い弁護士」です。裁判所は日本語を用いると定められるため(裁判所法74条)、訴訟業務で一流と評価されるのであれば、英語が関わる事件であっても、「英語ができる補助者」との連携で対応する余地が残されています。
3 解説
(1) インハウス
従前は、インハウスへの転向は、「留学帰りで英語が流暢ならば、外資系企業に」「そうでなければ、国内企業に」という優先劣後の傾向が見受けられました。確かに、通常の正社員の給与テーブルに組み込まれてしまう国内企業よりも、外資系企業のほうが高い年俸を期待できるため、「敢えて国内企業に行く」という選択をする理由がありませんでした。
しかし、徐々に、「国内企業ならば、本社で経営の参謀として働ける」「日本の上場会社規制や株主総会対策も扱える」「経営陣の信頼を得られたら、執行役員や取締役を狙う余地もある」ということで、国内企業で働くことの魅力も認識されはじめてきました。また、同時に「少子高齢化が進む日本では、国内企業も、事業の成長シナリオを海外に求めざるを得ない」という状況下で、国際カルテルや海外の腐敗防止法にも焦点が当たり、海外子会社管理の重要性が増してきて、国内企業の法務・コンプライアンス部門にとっても、海外のリーガルリスク管理が重要な任務となってきています。このため、国内企業におけるインハウスの採用においても「英語ができる人材」が求められるようになり、その傾向はより強まってくるものと思われます。
現状では、まだ「国内案件だけを担当する英語不要のポスト」にも採用ニーズがありますが、英語案件を守備範囲外に置く人材には、法務・コンプラ部門の責任者に昇進するチャンスは薄くなります。インハウスへの転向希望者には「別に社内で偉くならなくても構わない」と考える者もいて、30歳代まではそれが通用します。しかし、40歳代、50歳代と年齢を重ねるうちに、「年下の上司に仕えるのは肩身が狭い」という声が聞かれるようになってきます。
(2) 法律事務所の転職市場
上記のとおり、「インハウス志向がある人ほど英語力を磨いたほうがいい」と考えられます。では、だからといって、法律事務所でプライベート・プラクティスを続けるならば、英語なしでもやっていけるか、と言えば、そういうわけでもありません。
パートナーとして自ら売上げを立てていくことを考えれば、英語案件を狙うよりも、国内案件に特化するほうが、当面の実績を上げやすいとは言えます。ただ、アソシエイトとして給料を貰えるポストへの転職を狙おうとする場合には、「英語案件を扱えるアソシエイト」のほうが遥かに求人数が多いことは確かです。法律事務所では、基本的には「新人を採用して自前で育てる」という採用育成システムが王道とされています。そのため、中途採用ニーズの中心は「生え抜きでは獲得できないタイプ」に存在します。その代表例が、英語ができるアソシエイトです。
そして、「英語ができないアソシエイトを中途で採用するならば、新人を採用するほうがよい」「どうせOJTで英語案件を一から鍛えなければならないならば、若くて素直な新人のほうが教育しやすい」という発想を抱く採用担当が多いことには留意しておかなければなりません。
(3) 訴訟弁護士
外国企業や外国人担当者をクライアントとする仕事を捨てて、クライアントを国内企業に限ったとしても、英語案件(英文の資料や英語ネイティブの関係者が関わる事件)から逃れられるわけではありません。そこで、「どのような類型の仕事であれば、自らは英語を扱えなくとも、『英語ができる補助者』を通訳的に介した作業でも、国内クライアントの信頼を維持できるか?」とを考えることになります。
この点、相手方が外国企業又は外国人担当者のときに、英語での契約交渉が予定され、かつ、最終契約が英文で締結される可能性が高い類型の仕事では、クライアントは自社の顧問弁護士に対しても「自ら相手方と英語で意思疎通ができて、英文契約を直接に理解できるスキル」を求めるのが自然です。
そう考えてみると、「英語ができなくとも、日本語による弁論や起案力で外部弁護士を選びたい」と思わせるのは、やはり、(裁判管轄を日本の裁判所とする)訴訟分野に限られるように思われます。裁判所法第74条は、「裁判所では日本語を用いる」と定めているため、仮に事件関係者全員が英語で原資料を理解できたとしても、裁判官への主張・立証は日本語を用いることになります。訴訟弁護士として、事件の見立て、準備書面の起案、証人尋問において、他の弁護士に負けないスキルを身に付けてやる、という目標を掲げた場合には、「英語を捨てる」という選択肢もありうるかもしれません。
以上