中国:新型コロナウイルスに関連する契約不履行と不可抗力(前編)
長島・大野・常松法律事務所
弁護士 川 合 正 倫
1 はじめに
中国では、新型コロナウイルスの感染拡大を予防するため、本来は2020年1月30日までとされていた春節休暇が2月2日まで延長された。また、各地方政府はこれに加え医療関連事業者等の一部の事業者を除き、2月2日以降も一定期間操業再開を禁止する措置を講じた。北京、上海をはじめとする多くの地域では2月10日から事業を再開することが認められたが、依然として様々な態様で一般市民の移動が制限されていることも手伝い、帰郷先から戻らない人も少なくない。また、事業再開に伴い一斉に人が動き出すと感染が拡大するおそれもあることから、各地方政府は2月10日以降も在宅勤務、時短勤務や有給休暇の取得を奨励している状況にある。実際にオフィスビルに入館する際に体温検査が行われるだけでなく健康状態に関する誓約書の提出が求められることもある。さらには、航空便や船の欠航も相次ぐなど物流やサプライチェーンも麻痺状態にあり、本格的な事業再開の見通しが立っていない企業も少なくない。
このような状況下において、新型コロナウイルスに関連する理由に起因して、契約関係にある一方当事者が契約上の義務の不履行に陥る事態は想像に難くなく、法的には、これが不可抗力に該当し、義務を履行できない当事者が免責されたり、契約を解除できたりするのかという点が問題となる。
2 新型コロナウイルスに起因する契約不履行が不可抗力に該当するか
契約において不可抗力に関する規定がある場合には、契約の規定に従い不可抗力の該当性が判断されることになるため、「伝染病」や「疫病」といった文言が規定されているか、不可抗力は契約の履行不能を導く事情に限定されるのか、それとも履行遅滞の場合も含んでいるのかなど、規定内容を注意深く確認することが求められる。また、中国では契約に規定がない場合であっても、契約法に基づき不可抗力の適用が認められており、同法では、不可抗力とは、予見不能、回避不能かつ克服不能の客観的な情況をいうとされ、不可抗力が生じた場合には、既に履行遅滞の状態にある場合を除き、責任の全部又は一部の免除が認められている(第117条)。この点に関しては、民法総則第180条においても同趣旨の規定がある。また、不可抗力により契約目的の実現が不能となったことが契約の法定解除事由とされている(第94条1号)。
この点に関連して、2020年2月10日、全国人民代表大会常務委員会法制工作委員会(以下「全人代常委会法工委」という。)のスポークスマンは、新型コロナウイルスのために政府が採用する拡大防止措置は、これに基づき契約が履行できない当事者からすると、予見不能、回避不能かつ克服不能な不可抗力に該当すると表明した。また、中国の貿易振興機関である中国国際貿易促進委員会(CCPIT)は、2020年1月より、新型コロナウイルス感染による肺炎の防疫措置により、国際貿易の契約履行が不能となった企業に対して不可抗力事実性証明の発行を開始し、既に相当数の在中国企業がこの証明書を取得したとされている。
それでは、新型コロナウイルスに関連する契約不履行はすべからく不可抗力に基づくものと認められることになるのであろうか。
新型コロナウイルスによる不可抗力の検討を行うにあたっては、2003年に発生したSARSの際の裁判所による通知や裁判例が参考になる。既に廃止されている2003年の「最高人民法院の伝染性非典型的肺炎の予防・治療期間の法に従う人民法院の関連裁判、執行作業に関する通知」によれば、政府及び関係部門がSARSの予防及び治療のために講じた行政措置によって契約の履行が直接不能となった場合又はSARSの影響を受けて契約の当事者が全く履行できないことによって紛争が発生した場合は、「契約法」第117条及び第118条の規定に従って適切に処理するとされており、最高人民法院は、SARSの防疫により契約履行が直接不能となった場合又は契約当事者の契約履行が全く不能となった場合に限って、「不可抗力」が発生したものとみなすという慎重な姿勢を示した。また、SARSの際に不可抗力を認定した裁判例が複数存在するが、これらの事案においても免責が主張できるか否かは個別に判断されている。
さらに、2020年2月に入り各地方級の裁判所は各種の指導意見を出しており、例えば2月8日付けの上海市高級人民法院の指導意見においては、防疫に起因して当事者が履行不能となった場合等には、公平、誠実信用等の原則に従い、当事者間の合意、ウイルスの状況、ウイルス事情と履行不能や履行困難の因果関係、ウイルスによる影響の程度等を総合的に考慮して不可抗力や事情変更等の関連規定及び案件の具体的状況に応じて適切に処理する旨が記載されている。
加えて、CCPITが発行している不可抗力事実性証明では、基本的には当該企業の所在地において発せられた政府の通知により操業が禁止された期間が記載されているのみであり、当該事情が不可抗力に該当することまで証明する内容とはなっていない。
以上の状況に加え、不可抗力の効果は当事者が合意した契約の不履行を免責するという極めて重大な効果を有するものであることから、裁判所又は仲裁機関は一律に不可抗力の該当性を判断するのではなく、契約の内容(契約目的物、サービス内容、契約条件等)、両当事者が置かれた具体的な状況、政府の措置による影響、代替措置の有無、因果関係等、各種事案における個別の具体的事情に基づき、不可抗力の該当性及び不可抗力に基づく効果を慎重に判断することになるものと考えられ、上述した全人代常委会法工委のスポークスマンの発言もこれと矛盾するものではないと考えられる。
(後編)へ続く