銀行員30年、弁護士20年
第20回 サラリーマンの出世と生きがい
弁護士 浜 中 善 彦
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弁護士のなかには、自分はサラリーマンには向かないので弁護士になったという人も少なくない。そういう人たちは、きまってサラリーマン経験のない人たちである。そういう場合のサラリーマンについてのイメージは、サラリーマンは出世のために上司の言いなりにならなければならないが、弁護士にはそういったことはないということのようである。
確かに、サラリーマンの場合、出世して高い地位につけば給料も多くなり、生活も安定するだけでなく、仕事も大きな仕事ができるようになると考えられている。そのこと自体は間違ってはいないが、出世と幸せとは同義ではない。そうはいっても、サラリーマンの場合、第三者から見れば、部長と課長とでは間違いなく部長が上であり、社会的評価も違う。したがって、サラリーマンの目標が出世という考え方にも理由があるし、多くのサラリーマンが何となくそう考えていることも否定はできない。
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私自身は出世に全く無関心であった訳ではないが、少なくとも、それが第一だと考えたことはない。入行して2年目のある時、人事部から直接電話があり、ニューヨーク支店へ行かないかといわれたが、躊躇なく、今は行きたくありませんと答えた。当時ニューヨーク支店といえばいわゆる出世コースであることくらいは承知していたが、銀行に入りたてで、支店の窓口業務の修行中であったので、それを覚えるのが先決だと思っただけのことであった。それと、当時、父がニューヨーク定期航路の船長をしていたので、行ったことはないが、ニューヨークにそれほど興味がなかったこともある。また経相(経営相談所)に転勤になって3年だったか4年経ったころ、所長から、支店長として転勤しないかといわれたときも、今はなりたくありませんと答えた。当時、司法試験の受験勉強を始めて間もない頃であり、そのまま受験勉強を続けたいと思ったからである。そのように、いわゆる出世を自ら断るようなことをしてきたことになるが、別にへそ曲がりでそうしたわけではなく、自分としてはそれなりの考え方があったのである。そのことを後悔したこともない。
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弁護士は資格を取れば上下はないが、期による先輩後輩はある。また実績によって、偉い先生とそうでない先生という区別はおのずとできてくる。したがって、弁護士には部長弁護士、課長弁護士という区別はないが、全く序列がないわけではない。なかには、テレビに出て、それで有名人気取りの弁護士もいなくはない。
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結局、出世云々よりも、幸せとは何かというそれぞれの価値観の問題ではないかと思うのである。私も若い頃は、銀行でいえば頭取や重役は雲の上の人のような感じがして、なんとなく偉い人のように思っていた時期がある。しかし、歳をとるにつれていわゆる偉い人たちと接触する機会が増えてくると、思ったほどではないことを実感することが多くなった。むしろ、階級社会では、無能であるが故に昇進する例も少なくないことを実感した。その点は、弁護士会の役員を見ても同様である。
銀行員を定年になって同期会に出席してみても、副頭取、常務等から課長までいろいろであるが、結局のところ大差ないなというのが実感である。サラリーマンであれ弁護士であれ、大事なことは、何が自分にとってしたいことなのか、自分にとっての幸せとは何かということではないかと思う。
以上